ボタンの掛け違い?

 永田町では、「俺は聞いてない」のたぐいの話が実に多い。
ちょっとした「ボタンの掛け違い」が問題を大きくすることは日常茶飯事だ。

 防止策は、情報を正しい順序で段取りよく説明することに尽きる。霞が関の官僚にはそのノウハウが蓄積されている。故に、これまで重要政策の決定過程では、有力政治家へのご説明(いわゆる根まわし)は官僚に一任されていた。

 誰には誰か強いとか、信頼があるとかも見事に分析されている。少々の躓きがあっても、政治主導のもと役者を変え、攻め口を変えて火消しにあたり、次第に収束に向かっていった。

 ところで、政府の最重要課題(となってしまった)である普天間基地移転問題。連立政権内の意見調整どころか、閣内さえ無調整と思える無秩序発言が繰り返され、一向に解決の糸口が見えてこない。

 この問題も表面上は、ボタンの掛け違いのように見える。しかし、その淵源は単純な手順のミスではなく、総理の不見識にあるのではないか。国際的な安全保障関係への影響や、基地周辺の住民感情を考えず、場当たり的に発せられる軽いメッセージこそが、問題を深刻化させている。

 「命がけで」とか「職を賭して」といった総理の言葉の値打ちは、繰り返されるにつれ、どんどん軽くなる。「あくまで5月末までに‥‥」と言われても、今や、全く信憑性がない。

 普天間問題に限らず、その場しのぎの総理発言の数々が、国政の混乱を増幅させていることを総理自身が自覚されているのだろうか?

「このままでは日本は沈没する」と多くの政治家が発言しているが‥‥私もまったく同感である。

 現政権の暴走を一刻も早く停止させなければとつくづく思う

心のままに

 4月も半ばを過ぎ、春爛漫のはずの日本列島が真冬並みの寒波に見舞われた。
 
 平均日照時間も例年より短く、春野菜の価格が高騰している。

 キャベツやネギは去年の倍、トマトやキュウリ、ナス、ピーマン、レタス、ホウレンソウも高値という。

 家庭の台所も大変だろうが、文部科学大臣経験者としては学校給食が心配だ。限られた食材費のなかで、栄養士さんたちもやりくりに苦労されているに違いない。(こういった分野にこそ、子ども手当てを使えたら…。)

 クリーニング屋さんからは、「衣替えのシーズンなのに冬物のコートは例年の半分」という嘆きが聞こえる。こちらの方は、いずれ季節外れの特需があるのだろう。

 昨年夏の集中豪雨に冬の豪雪‥‥、地球温暖化の影響か?、ここ数年の気候はどうもおかしい。

 天だけでなく、地にも異変が起きている。チリ、ハイチ、チベットと巨大地震が立て続けに発生し、我が国も久々の津波に見舞われた。
さらに、アイスランドの大噴火は、欧州全域に粉塵をまき散らし、空の便を完全にマヒさせてしまった。

 利便性を追求し、自然との共生を忘れがちな、我々の日々の営み。それが、地球環境に少しずつ負荷をかけているのかもしれない。昨今の天変地異は地球の悲鳴のような気がしてならない。

志(こころざし)

 先週末、新党「たちあがれ日本」が誕生した。
スローガンは「打倒民主」、綱領では憲法改正、財政再建、経済成長、安心社会実現を掲げている。

 この決起に対して、永田町やメディアの扱いは全般的に冷やかである。確かに結党メンバーは高齢で顔ぶれも新鮮とは言えない。69.6歳という平均年齢をとらえ「老人党」と揶揄する声も聞こえる。

 ただ私は少し違う見方をしている。

 厳しい反応が十分予想される中、このタイミングで新党を旗揚げした彼等の思いが痛い程分かるからである。それほどに、我が国の政治は日本没落に向けての迷走を続けている。

 会見で与謝野氏は、「時には20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。歳を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。」と語った。石原氏は、「我々は年寄りだが若い世代が持っていない危機感、国に対する愛着を持っている。今の若い人には気概がない」と檄をとばした。

 両氏の言葉のとおり、今、最も政治に求められているものは、日本の置かれた立場を正しく分析し、将来に向けて責任ある改革を成し遂げる強い志である。

 多くの政治家が尊敬する坂本龍馬。彼が、脱藩を決意し檮原の峠を越えるとき、心の中に確たる展望があったとは思えない。このままでは日本が外国に飲み込まれるとの危険感と、日本の国のために何かを為すべきとの強い思いが彼を脱藩に駆りたてたのだ。その思いは、ふるさと土佐や愛する家族よりも重かったに違いない。

 政治家や政党の責務は、選挙に勝つことではない。国の行く末をしっかり展望し、財源に裏付けられた責任ある政策を提言、論じあうことだ。選挙の勝敗はその結果でしかない。来年の財源も不明なバラマキ事業の数々、耳目を集めることが目的化した仕分けイベント、行く手が見えない郵政肥大化。民主党が目指した政権交代は、このような利権集約型政治の確立だったのか?

 民主党内にも、自民党内にも志を同じくする同士がいるはずだ。党派を超えて有志が呼応し、日本を衰退に向かわせている現政権の暴走をくい止めることを切に願う。

将来への責任感

与謝野元財務大臣が自民党を離党、新党結成を決意した。

文藝春秋の4月号の記稿で既に意見表明されていたので、今のところメディアの取り上げ方も冷ややかである。

永田町でも「政治ごっこ」とか「党内拡争」とか「理念なき野合」とか‥‥かなり厳しい意見も出されている。

ただ私は今回の氏の行動に強いシンパシーを感じている。
以前にも紹介したが、我が国の将来に対する氏の強い危機感を直接耳にしたからだ。

昨年来の日本の政治情勢。それは海図を無くし、舵を失いながら航海を続ける船のようだ。
このような国家運営が続けば日本は確実に衰退する。国際社会からは忘れ去られ、国民は豊かな生活を喪失するのは必定ではないだろうか。

政治家として最終章を迎えようとしている与謝野氏にとっても、何としてもそれだけは阻止したい、しなければならない‥‥との強い思いがある。

もちろん新党結成には、理念や基本政策が必要なことは言うまでもない。
そこは政策通の与謝野氏のこと、既に脳裏には新党のビジョンが描き上げられているにちがいない。

ただ、いくら素晴らしい理念や政策を掲げても強い情熱と志がなければ大業は成し得ない。

日曜日のテレビ番組では新党にエールを贈る石原東京都知事が「理念は大事だけど今必要なものは情念、国家に対する愛着や危機感だよ」と言っておられたが‥‥

まったくその通りだ。