言い訳の果てに

 普天間基地の移設候補地は、大方の予想どおり、名護市辺野古に戻ってきた。辺野古案への回帰自体は、アジアにおける米海兵隊の役割と市街地にある普天間基地の危険性を考えると最善の選択である。

 しかし、8ヶ月に及ぶ鳩山政権の迷走が沖縄県民の心をかき乱し、亀井大臣をして「どうせ実現しない案なのだから…」と発言させるほどに、実現へのハードルを高くしてしまった。しかも、米国政府との信頼関係も完全に失墜している。

 外務大臣や防衛大臣は、昨年末から辺野古案での決着をほのめかす発言を繰り返していたと記憶している。混乱を8ヶ月に引き延ばしたのは、正に鳩山総理自身の不見識、政治家としての資質に欠ける言動である。

 未だに「現行計画とは違う」「工法などを含め具体案は8月末までに詰める」と言い訳をされているが、北朝鮮を巡る昨今の情勢を鑑みると、さっさと米国政府と合意できる埋立案に戻し、早期決着を図りなさいと言いたくなる。

 誰にでも気を遣い、優しい言葉を返す鳩山総理をして、“いい人だ”と言う評価もあるようだ。しかしそのような、八方美人の対応しかできない人物に日本の舵取りを任せていて良いのだろうか。

 政治家の資質とは何か? かつてドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、「職業としての政治」のなかでこう語っている。「政治家の行動については『善からは善だけが生まれる』というのは正しくなく、その反対に『善からは悪が生まれる』ことが多い…。これを知らない人は政治の世界では幼児のようなものだ。」

 普天間問題だけではない、高速道路料金でも、消費税引き上げでも…、政権交代後、我々の目前で展開される数々の迷走劇の原因は、真に鳩山総理の幼児性に起因する。

 ウェーバーは、「(政治家の責任は)自分の行為の責任を自分一人で負うところにあり、この責任を拒否したり転嫁したりすることはできないし、また許されない」とも述べている。

 28日の記者会見で「命がけでこの問題の解決に取り組む」と決意を語った総理だが…。つい先日まで、5月末の解決に「職を賭す」とまで言っていたことをまさか忘れたのではないだろう。

 今、総理がとるべき選択は、自ら総理の職を辞任するか、解散総選挙で国民の信を問うか‥‥そのいずれかでしかあり得ない。

失政追及を

 今国会の会期も残すところ一ヵ月を切った。
 しかし、現政権の目玉政策として閣議決定されたはずの多くの法案が、未だに成立の目処も立っていない。

 普通の発想であれば、会期を延長し審議時間の確保を図るべきだが、政策より選挙を重視する政府与党は、早々と“会期延長せず”との方針を決めたようだ。

 そのうえ6月16日までの会期中に少しでも多くの法案成立を図りたいのか、ここに来て与党の国会運営がかなり荒っぽい。

 衆議院の内閣委員会では国家公務員法改正案、環境委員会では地球温暖化対策基本法案が、委員長判断による質疑打ち切りにより強行採決され、両案とも衆議院を通過した。

 特に、2020年までに温暖化ガスを25%削減するという国際公約を盛り込んだ温暖化対策法案は日本の経済活動や国民生活に多大な影響を及ぼす。にもかかわらず、新エネルギーや原子力の活用、排出量取引、環境税などの具体策について何の議論もないまま、たった18時間の審議で力任せに押し切った形だ。

 小沢幹事長が特定団体に成立を確約してしまった郵政改革法案(実質は郵政国有・肥大化法案)の方は、全野党が欠席の中、深夜に衆議院本会議で提案趣旨説明と質疑が強行された。

 一方で、多くの国民が求めている〝政治と金〟についての首相と幹事長の説明責任の方は、全く無視されている。

 かつて自民党政権も強行採決を行ったことは否定しない。しかし、それは万策が尽きた後のやむを得ざる選択であり、これほど自己中心的な国会運営は私の記憶にはない。

 しかも、あれほど自民党の強行採決を批判していた民主党が、自民党幹部の政治資金問題を追求してきた鳩山首相が、ここまで豹変するとは信じがたい? 

 仮に参議院選挙の日程を7月25日とすれば、少なくとも2週間の会期延長は可能だ。それで十分かどうかはともかく、かなりの法案審議時間が確保できる。さらに言えば、北朝鮮を巡る安全保障問題や口蹄疫のまん延対策も、国会で審議すべき緊急課題ではないのか。

 新聞報道では「論戦回避」「法案処理より追及回避」とのヘッドラインが踊る。参院選は小沢幹事長の2回目の検察審査会の議決前がよいとか、第三極の支持が広がる前にとか言われている。

 確かに選挙は民主主義の原点ではあるが、それは議員を選ぶ手法にすぎないとも言える。国会審議よりも選挙準備を優先するという本末転倒はあってはならない。

 それが自らの失政追及を恐れるが故の論戦回避であれば言語道断だ。

大切なことば。

 最近気になっているTV コマーシャルがある。

 「時雨、五月雨、こぬか雨‥‥、日本には同じ雨にも色んな雨がある。」何のCMかは覚えてないが、こんなセリフのCMだ。

 たしかに日本語は表現が豊かだ。

 20年ほど前にケニアへ行った時、スワヒリ語の一日には夜と昼しかないことを知った。ケニアでは太陽が昇れば昼、沈めば夜。その二つだけで、朝や夕は存在しないのだ。

 限りなく水平に広がる地平線にオレンジ色の太陽が沈むと、またたく間に夜の暗闇が訪れる。だから二つの違いを表現する言葉があれば十分なのかもしれない。

 季節の変化も雨期と乾期の二つだけで、景色に至っては一年中ほとんど変化がない。ちなみに挨拶は朝でも昼でも夜でも「ジャンボ(Jumbo)」という一語ですませる。

 一方、日本語では同じ夜でも、宵の口、深夜、明け方と様々な言い表し方がある。
朝も、情景に応じて、あけぼのや夜明け、早朝と多様な言葉を駆使する。挨拶でも、朝昼晩と時間帯により使い分けなくてはならない。

 日本語の豊かな表現力は、わが国の気候や自然の多様性に起因するのだろう。

 四季に応じて気候が移ろい、美しい自然が姿形を変えていく中で、私たちの先人は豊かな語彙を生み出してきたに違いない。

 そんな美しい日本の自然、そして日本人の繊細な感性を、我々は大切にしていかなければならない‥‥。文明が進歩し、暮らしぶりが多少変化しても、四つの季節は必ず巡ってくるのだから。

 もうすぐ梅雨(つゆ)が訪れるが、何故〝梅〟と〝雨〟なのか‥‥。梅花咲き誇るのは早春2月のはず? では、梅の実りを呼ぶ雨の意か?

 TVのコマーシャルを見て改めて考えている。

シナリオ通りなのか・・・

 5月末の普天間問題決着期限を目前に、沖縄訪問、徳之島3町長との会談等々、政府の精力的な地元対応が大きな話題となっている。

 新聞やTVニュースも、この問題をヘッドラインに取り上げることが多い。

 しかし、いくら基地負担軽減という沖縄県民の悲願の実現に、必死に努力しているとしても、「腹案がある」と唱えてきた切り札の中身(政府最終案)が、辺野古くい打ち案だとしたら、県民には到底納得できないものだろう。

 しかも今になって「仰止力として沖縄の海兵隊が必要と分かった」と言う総理の説明はあまりにもお粗末だ。
おまけに「県外はマニュフェストにないから公約ではない、あくまでも私の考えだ。」というのだから話にならない。

 昨年の総選挙で沖縄では全ての小選挙区で与党が勝利した。
「できれば国外、少なくても県外」という言葉に沖縄県民は政権交代を託したのだ。

 総理は自らの発言の重さを分かっているのだろうか。今さらではあるが、自らの言葉は民主党を代表している、即ち公約だということを自覚すべきであろう。

 ところで先月25日の県民集会の光景を見て、私は2007年9月29日の沖縄県民11万人集会の光景を想い出した。集団自決を巡る高校の歴史教科書検定問題で沖縄県民の怒りが頂点に達した集会だ。

 その日から3ヵ月間、私は文部科学大臣として連日連夜この問題の対応に追われた。不用意な一言が誰かを傷つけることがないよう、記者会見や国会の審議では、一つひとつの言葉に細心の注意をはらったことは言うまでもない。

 1965年8月19日、故佐藤栄作総理が戦後初めて総理として那覇空港に降り立った時、「沖縄祖国返還が終るまで、我が国の戦後は終わらない‥‥」と言われた。

 その後、沖縄返還は1972年に実現した。だが、県土が戦場となった記憶は簡単には消えず、未だに基地に囲まれた生活を余儀なくされている。

 沖縄県民にとって、まだ戦後は終わってないのかも知れない。

 基地返還という沖縄の願いの実現、そして、我が国を含むアジア太平洋の安全保障の確立。どちらも日本政府が取り組むべき重い政策課題だ。

 しかも、それは一朝一夕に解決する問題ではない‥‥。

 今般の普天間基地を巡る場当たり的で不用意な発言の数々は、解決への道のりを険しく長いものにしてしまった。

信頼のない人たち

 民主党ツートップとも言える鳩山総理と小沢幹事長、二人を巡る検察審査会の結論が出た。

 秘書による政治資金規制法違反という犯罪構成は同じだが、鳩山氏は不起訴相当、小沢氏は起訴相当と、ある意味で正反対の結果となった。

 秘書の行為に対して、鳩山氏は関与がなく、小沢氏は関与がないことはあり得ないとの見解だ。

 この結果、鳩山氏の捜査は終結し、小沢氏の問題は検察が再捜査することになる。
ただ両者とも政治的・道義的には、しっかりと説明責任を果たすべきであり、世論もそれを求めている。

 総理は過日の予算委員会で約束したとおり、母上から贈与を受けた資金の使途について明らかにすべきだ。小沢氏も、「やましいことは何もない」と言われるのなら、自ら国会に出向いて説明すべきである。

 加えて民主党には速やかな自浄活動を求めたい

 私の選挙だけを考えれば、民主党の信頼失墜は、歓迎すべきことかも知れない。しかし、国民の政治不信がこれ以上広がると、議会制度、間接民主制自体が崩壊しかねない。

 以前も言及したが‥‥、「民無信不立」という孔子の言葉が今真に求められている。

Have a nice holiday!