予算委員会・仙石総理?

12日の予算委員会から臨時国会の本格的な論戦が始まった。

今回の論戦の主役は、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件に関する政府の対応、小沢一郎氏の政治と金の問題だ。

確かに二つとも重要な案件ではあるが、質問者が変わっても同じ質問が繰り返えされる光景に、いささかうんざりした方も多いだろう。

何よりも現下の最重要課題はまず円高・景気対策である。

19日に発表された月例経済報告によると、景気は一年八ヵ月ぶりに下方修正され足踏み情態と報告されている。

麻生政権時代の緊急経済対策であったエコカー補助やエコポイントが次々に終期を迎える。カンフルが切れた日本経済を放置すれば、景気が益々悪化することは必定だ。

29日には、8日に閣議決定された「緊急総合経済対策」が、ようやく補正予算案として提出される。金額的には、どこかで見たような社会資本整備、雇用対策が大半だが、確かにカンフル剤の追加注入が必要な時期ではある。前向きな審議が行われ早期に予算成立、施策実行に移されることを期待する。

それよりも、私が注目するのは、緊急対策の中にあえて盛り込まれた「新成長戦略の加速」「規制改革の充実強化」の項目だ。

20年にわたるデフレギャップ対策(公共による需要喚起)にもかかわらず、日本経済は低迷を続け、本格再生を果たせていない。我が国の経済を真に再生させるためには、本格的な構造改革、人口減少社会、成熟社会に適応した制度改革が求められる。

その一つであり、円高(というよりドル安)対策にも有効なのが、アジア・EUとの経済一体化、投資貿易の自由化である。そして、それを実現するには、総合対策にも盛り込まれているEPA・FTAの交渉を加速しなくてはならない。

日本の通商政策は、WTOによる多国籍交渉という正論にこだわったためか、農産物保護政策にこだわったためか、一対一の経済提携競争で大きく出遅れてしまった。この遅れを取り戻すためにも、中国外交をめぐる失地を回復するためにも、政府は全力で外交交渉に取り組み、国会では前向きで、生産的な議論が展開されることを期待する。

余談になるが、全閣僚出席のもと行なわれる予算委員会総括質疑には、TⅤ中継が入ることが多い。質問者はTⅤの向うにいる国民を意識してより厳しい質問をぶつけ、その多くは総理に集中する。

私にも経験があるが、あまり出番がない閣僚には、一日中おとなしく着席していることを義務づけられるつらい時間が待っている。

一つは、昼食後の猛烈な睡魔、それ以上につらいのは、質問席の野党議員を野次りたい心の抑制だ。閣僚席から野次を飛ばすことは禁止されているはずだが、理不尽な質問に思わず反応している閣僚の心境は理解できる。

それにしてもこれまでの論戦を見る限り、菅総理の答弁に元気がなく存在感が薄い。

その一方で、良い意味でも困った意味でも仙石官房長官の存在感が日毎に増大している。

みんなの党の渡辺代表は仙石氏について「でしゃばり、居直り、はぐらかし」と言及しているが‥‥ 真にその通りである。

補正予算の審議にあたっては、総理には仙石内閣といわれないように自ら進んで答弁に立ち景気回復への決意を示して欲しい。

言葉の力

私がとても大切にしている一冊の本がある。

2003年2月、スペースシャトルコロンビア号の事故の追悼ミサに訪米した際、ワシントンDCのリンカーンメモリアルの売店で偶然目にして入手した本だ。

題名は「GREAT AMERICAN SPEECHES」、64のアメリカの歴史上の名演説が掲載されている。

残念ながら私の英語力では正しく理解するには辞書も必要だが、言葉の持つ力を感じさせてくれる本である。

中でもリンカーン大統領のゲティスバーグでの演説、ケネディ大統領の就任演説、キング牧師のワシントンモールでの演説は、アメリカ史上不朽の名演説だ。

リンカーン大統領の「人民の人民による人民の為の政府」という一節は良く知られているが、この思想は日本国憲法前文にも織り込まれている。

ケネディ大統領の「国があなたに何をしてくれるかを問わないで、あなたが国のために何が出来るかを問え」との一節は、当時高校生であった我々団塊の世代の若者に大きな感動を与えた。(ちなみに私は、アンケートで「尊敬する政治家」を問われた際には「J.F.ケネディ」と書いている)

60年代の公民権運動の指導者キング牧師は、リンカーン像を背に全国から結集した25万人の同志に公民権獲得への熱い思いを訴えた。

「I have a dream」とくり返し何度も呼びかける下りは、圧巻としか言いようがない。

そう言えば民主党代表選で、小沢さんも「私は夢があります」と言っていたが‥‥。

偶然ではあるが、この3人は3人とも暗殺されるという数奇な運命をたどることになった。

これらの演説は多くの人々の心を揺り動かし、歴史をも動かしたのだ。

まさに言葉の持つ力である。

ところで、最近の演説で一番印象に残っているのは、平成13年の参議院選挙に於ける小泉元総理の神戸大丸前での演説だ。

「日本を変えなければならない。その為には自民党が変わらなければならない。変わらなければ私が自民党をぶっ壊す」と宣伝カーの車上から絶叫した。

必ずしも話術がうまいとは思わないが、小泉さんの演説は分かり易くメッセージ性が強い。

ご子息の進次郎さんも父親と同じ(それ以上かも?)言葉の力を持っている。言葉の力も遺伝するのかも知れない??

ただ言葉が力を持つには聴衆との間に信頼がなければならない。

信頼がなければ、言葉は決して力を持ち得ない。

最近は政治家の言葉が軽いと言われている。

「有言実行内閣」を表明している菅内閣には、国民の信頼を裏切る事がないようにして欲しいものだ。

知・徳・体

スポーツの秋だ。各地で世代間交流の運動会が開かれている。

そういえば会場となっている学校の校門辺りには校訓とともに、「知育」「徳育」「体育」の三語が刻まれた碑が佇んでいることも多い。

本来、三大教育目標のはずが、今や三つの心配の種のようにも感じられる。

まず「知育」。子どもたちの学力低下が問題視され始めてから久しい。詰め込み教育が良いとは言わないが、ゲームやメールに興じる子どもたちを見るにつけ、どんどん宿題を与えた方が良いのでは‥‥と、思ったりもする。競争や順位付けも必要なのだろう。

次に「体育」。これも深刻な問題だ。子どもたちが運動会の練習中にバタバタ倒れるらしい。夏休み中、冷房の効いた部屋で過ごし、いきなり屋外の熱気の中で練習するのだからやむを得ないと言うべきか? 否、本来こどもは真っ黒になって夏の野や浜を駆け回るべきだろう。

最後に「徳育」。実はこれがもっとも難問だ。一昔前までは道徳は学校で教わることではなく、両親・祖父母・兄姉の立ち居振る舞いから学ぶものであった。

しかし核家族化や少子化、女性の社会進出により、家庭の教育力は著しく低下している。

その分学校に頼らなければならなくなった点に道徳教育の深刻さがにじみ出る。

残念ながら道徳教育の現場はまだまだ試行錯誤の域にある。(元教育所管大臣としての反省も込めて)

家庭と学校に加えて、かつては地域社会も教育力を備えていた。いわゆるお節介なおじさんおばさんたちが、近隣の子どもたちを叱り、仕付けていった。時代の流れとともに地域コミュニティの親近感も退化し、教育力も低下している。

しかし私は、団塊の世代がそろそろリタイヤする歳になったことで、地域が変化するのではないかと密かに期待している。

職域中心に生きてきた団塊世代が地域に帰るとき、地域のリーダーとしてデビューするとき、新しいむら、まちがうごめき始めるのではないだろうか。

その中には地域の教育力を高めるのに役立つ仕事もある筈だ。

団塊世代は、地縁の絆で結ばれた古き良き時代をかろうじて知っている。

輸入品を舶来と呼びあこがれた時代を知っている。欧米モデルの生活に追いつき追い越せと競争社会を走り抜けてきた。

団塊世代にはこれまで時代を動かしてきたという自負がある。これからもそうありたい。

学園紛争に注いだ若き日のあの情熱を、もう一度地域社会の為に役立てようではないか。

【号外】政治と金

昨日、東京第5審査会は、小沢一郎氏の政治資金問題について「起訴すべき」との議決を発表した。

「有罪の可能性があるのに充分な説明がなされていない。不起訴は納得できない。公正な刑事裁判で白黒をつけるべき」との見解が示されている。
世論調査でも85%もの国民が「小沢氏は説明責任を果たしていない」と回答している。
まさに国民の思いを代表した結論である。

以前も言及したが、私は菅代表をはじめ民主党幹部の「鳩山、小沢両氏は総理と幹事長を辞めたことでケジメをつけられた」との説明に違和感を感じていた。

確かに総理や幹事長の職を辞する事は重い決断と言えるが、その事で国民への説明責任が果たされた訳ではない。
役職があろうとなかろうと「政治家は疑惑が生じたら自ら進んで説明をすべきである。」というのが私の持論だ。

みんなの党の渡辺喜美代表が「これまで説明してこなかったつけが廻ってきた」とコメントされていたが、私も全く同感である。

ただ「政治と金」の問題で国会審議が停滞するような光景はもう見たくない。
野党も国民生活にとって重要な補正予算などの審議とこの問題は連動させないで対応すべきだと思う。

その為にも小沢氏は今度こそ自ら進んで国会で説明されるべきだ。

未来への責任

10月1日に臨時国会が開会した。
衆参ねじれの政治情況の中で、重要なポイントの一つは与野党協議である。
ねじれているからこそ、与野党対等な立場での協議環境が整うのだ。
菅総理も所信表明演説の中で何度も与野党の協議について言及している。

日本は今、景気の回復、社会保障の再構築、財政再建、日中関係など克服しなければならない課題が山積している。
まずは目の前の景気対策が必要という意味で、補正予算を巡っての協議が話題となっているが、より重要な課題は、いかにして持続可能な社会保障制度を設計するか(少子高齢社会への対応)だ。
この長期デフレを解決するためにも、国民の将来に対する不安を払拭し、安心して個人資産を消費に回す(=内需を拡大する)ことができる世の中を創ることが大事だ。

急速に少子高齢社会が進展する中で、与えられた時間はほとんどない。既に遅すぎると言っても過言ではない。
谷垣総裁は「まず国会で議論を。」、「マニフェストのばらまきをやめなければテーブルには着けない。」とも言われていたが‥‥。
この種の議論は結論を得るまで2~3年はかかる。だからこそ、一日も早く与野党協議をスタートさせなくてはならない。

協議会をスタートさせるにあたっては、
①安定した社会保障制度の確立を目指し、法律に基づく超党派の協議機関を設置する。
②協議会に於いては社会保障制度と税制改革の議論を一体的に行なう。
③協議テーマについては、人口構造の変化に係る年金・医療・介護・少子化対策を柱とする。
④今後、財源の裏打ちのない制度改正は行わない(=民主党はマニフェストを一時凍結する)。
以上の4点についてのみ、各党が合意すれば良いのだ。
政策の中身については、テーブルに着いてから主張し合えば良い。
党利党略を離れて、安心社会実現に向けた超党派の議論を展開して欲しいと心から願う。

それが「未来への責任」だ。

今を逃がせば次のチャンスはおそらく次回の総選挙後となってしまう。
それでは遅い。繰り返しになるが、与えられた時間はもうほとんどないのだ。