未来を拓く日本の技術

無人探査機「はやぶさ」の帰還に感動したのは記憶に新しい。幾多の難関を乗り越え、太陽系の起源を探るカギを地球に届け、そして自らは燃え尽きたその姿。7年間の足跡をたどる映像に涙したのは我が妻だけではないだろう。

「はやぶさ」が命を懸けて地球に届けた惑星「いとかわ」の微粒子の分析がいよいよ始まるらしい。

「もしかして地球の起源が解明されるかも知れない」と思うと、今から心が踊る。

「はやぶさ」に続いて今度は、宇宙無人輸送機HTV「こうのとり」の活躍が始まった。22日に発進した2号機は、水80㍑と食糧、実験機材等総量6トンの物資を国際宇宙ステーションISSに届けた。

長年にわたり宇宙輸送を担ってきたスペースシャトルが今年中に退役することが決まっている。これからの輸送機は当分の間、日本の「こうのとり」が主役となる。

帰りの荷物は、ISSの廃棄物。荷物と言っても機体とともに大気圏突入時に燃え尽きる(焼却処理する)のが任務だ。

「こうのとり」を宇宙空間に送り出したH2型ロケットは、今回のミッションで成功率95%となった。

派手さこそないが、宇宙開発に関する日本の地位は着実に向上している。

はやぶさプロジェクトは、総額200億円。HTVは1機140億円。H2の打ち上げ経費は1回約150億円。ISS関係費は年額400億円。これらを安いと見るか、高いと判断するか。

私は安いと考えている。科学技術立国こそが、日本の生きる道であり、経済成長のカギを握っているからだ。

今年は神戸でスーパーコンピュータ「京」(※)が稼働をはじめ、播磨科学公園都市でX-FEL(自由電子レーザ)が完成する。

※京は兆の上の数の単位。1兆×10000P=1京

こういった世界規模の巨大実験装置はアジア全体の研究者が注目している。

基礎研究の価値は素人には分かりにくい。一年や二年で実績が上がるものでもない。しかし、20年、50年後に花開く大研究のためには、日々の地道な実験、研究の積み重ねが不可欠だ。

昨秋ノーベル化学賞を受賞した根岸さんと鈴木さんが「クロスカップリング反応」の研究に勤しんだのは1960~70年代のこと。科学技術振興のためには、大胆で息の長い支援が必要なのだ。

科学技術重視という点については、菅総理も私と同じ考え方だと信じたい。

来年度予算案の科学技術関連予算は、全省庁の合計で約3.6兆円。事業仕分けで減額された今年度予算から約750億円、2.1%増額された。

これからも、予算原案策定時に科学技術費の上乗せを指示した心を(一過性のパフォーマンスと言われないよう)持ち続けて欲しい。

先週の代表質問に続き、いよいよ今週から来年度予算案の審議が予算委員会でスタートする。

今国会から「科学技術イノベーション推進特別委員会」も設置された。

日本が元気になる科学技術の議論が活発に展開されることを切望する。

【号外】代表質問を聞いて

国会では26日から3日間、総理の所信表明に対する代表質問が行われた。

23日の自民党大会で、谷垣総裁から支持率低迷の反省の弁を聞き、今国会での議論に大いに期待していた私だが‥‥、総裁の代表質問にはある種の違和感を覚えた。

野党として政府の姿勢を正すのは当然であるが、いささか「解散」という言葉が強調されすぎている。

論点は正しくても、あれでは政局中心としか聞こえない。

そして、いくら「解散」を繰り返し主張しても、そのカードを切る権利は相手にあるのだ。

「公約の過ちを認め、有権者にお詫びしたうえで、信を問い直すべきだ」との要求も気になる。正論ではあるが、これでは「次の総選挙前には与野党協議には参加しない」と言っているのと同じだ。

私はこのコラムで「与野党協議の前提は、民主党マニフェストの一時凍結」と何度も言及してきた。大連立さえ肯定した。

TPP参画に、消費税率引き上げなど、山積する課題解決のために、我々に与えられた時間は殆どないのだ。

一日も早い協議の場を実現するために、与野党とも知恵を出し合わなければならない。

国債格下げをめぐる総理の失言を追及するよりも(確かに財務大臣経験者の言葉とは思えない失言ではあるが…)、財政再建への具体的な歩みを進めなくてはならない。

総理はダボス会議に出席されるが、会議に集まる世界のリーダーたちに日本の針路をしっかりと示すべきである。

来週からは予算委員会での相方向の議論がスタートする。自民党の皆さんには政局優先と言われないように、我が党の対案を堂々と提示し、政権担当能力のあるのは自民党であると証明して欲しい。財政健全化責任法案の再提案もその第一歩になるだろう。

我が党の主張に国民の支持が寄せられれば、自民党復権への期待も大きくなり、「解散」を求める世論も高まる。

その結果として「政権奪還」への道が開かれると私は思っている。

「タイガーマスク運動」に思う

それは昨年のクリスマスに、群馬県中央児童相談所(前橋市)に贈られたランドセル10個から始まった。

その後「タイガーマスク運動」は北海道から沖縄まで全国各地に広がり、贈り主にも様々なキャラクターの名が登場している。

加古川市でも児童養護施設に「明石の伊達直人」さんから肌着や靴・文房具が入った箱が届けられたということだ。

この施設の施設長は私の親しい方だが、「ありがたいこと。(施設の子に)何かしたいが、どう切り出していいのか分からない人がたくさんおられたのだと、今回感じた」と話しておられる。

贈られた品々が生活支援に役立つのは言うまでもない。しかしそれ以上に、福祉施設で暮らす子どもたちにとって、「贈り主の温かい心」こそが何よりのプレゼントだろう。

「タイガーマスク運動」は子どもたちに、「世の中に自分を思ってくれる人がいる」という希望を運んでいるのだ。

寄付者の実名を明かさない「匿名」という奥ゆかしい手法も、いかにも日本的で美しい。寄附と言う行為を名誉を得るための道具として使わない、日本が誇るべき素晴らしい文化ではないだろうか。

日本の国に閉塞感が充満している今、この運動の広がりは、全国の国民にほのぼのとした温もりをもたらしている。

思えば16年前のこの季節。阪神・淡路大震災の被災者に救いの手をさしのべるべく、全国から兵庫に続々とボランティアの方々が集まった。その数は延べ160万人を超え、後に、平成7年は「ボランティア元年」とも呼ばれるようになり、NPO法(特定非営利活動促進法)の創設を加速する力ともなった。

今回の「タイガーマスク運動」も一過性のものに終わらず、新しい寄附文化として日本に定着することを願う。

一方で、民主党の目玉?施策である「子ども手当」。

こちらの方は、所得の如何を問わず(大金持ちのお孫さんでも)まんべんなくばらまかれるシステムだ。逆に、実の親と切り離されて暮らす児童養護施設の子どもたちには、手当が届かないケースも多いと聞く。

当初案では、そのために必要な財源は5兆円余り、これは政府の教育科学振興予算総額(文部科学省の予算総額)に匹敵する巨費である。

総理の唱える「最小不幸社会」がいかなるものか不明だが、政府が税を徴収して福祉の名の下に現金を配分するよりも、一人ひとりの国民が愛情を込めて恵まれない方々に奉仕する方がずっと効率的で、効果も高いはずだ。

身の回りには、奉仕活動の機会はいくらでもある。

そして、思いやりと絆を大切に、「仁愛」を尊重してきた日本人には、それを実行できる心があるはずだ。

いよいよ、通常国会が開会した。

冒頭の予算審議では、持続可能な財政の確立に向けて、社会保障改革や税制改革も主要テーマになるだろう。

アジア諸国の範となる制度をめざし、互助の精神に基づく「日本らしい社会政策のあり方」について大いに議論がなされるべきだ。

第2次改造内閣・サプライズ

先週末、第2次菅改造内閣が発足した。

新任は4人と規模は小幅の改造だが、総理代行格であった仙谷官房長官が退いたのだから、質的には大改造と言って良いだろう。

参議院で問責を受けた仙谷氏の退任は、おおかた予想されていたが、「たちあがれ日本」を離党し入閣した与謝野薫氏の入閣はサプライズだった。

昨年の今頃は自民党に所属し、民主党の政策を的確かつ痛切に批判していた人物を閣僚として登用するというのだ。しかも、与謝野氏の主たる役割は、この内閣の命運を握る「社会保障・税一体改革」である。

自民党枠で比例復活当選しながら、離党し、さらに今回は民主党に協力するという与謝野氏の行動については、厳しい批判が寄せられている。

しかし、小泉政権の後半から経済財政諮問会議を取り仕切り、麻生内閣では財務大臣も兼務。官僚とも対等に渡り合う政策能力は、多くの民主党議員とは格段の差がある。この人物なら政治主導の政策決定も現実のものとできるかもしれない。

昭和13年8月生まれ、今年8月には73歳になる与謝野氏。

残された政治人生を、永年の主張である財政再建、社会保障改革と税制改革(消費税率の引き上げ)を実現させるために、まさに死力を尽くされる決意の選択であろう。

ただ、改革実現には国民の理解と信頼が不可欠だ。

今回の行動が私欲によるものでなく、国益のためであることを明示するためにも、国会議員の身分を捨てて入閣してもらいたかった。(国会で一票でも多くの賛成票が欲しい民主党が、それを許さなかったのかもしれないが…。)

このままで、氏の言葉がストレートに国民に伝わるのか?大いに疑問だ。

それ以上に問題なのは、菅総理の言行不一致の姿勢だろう。

相変わらず「有言実行」「熟議の国会」とくり返してはいるが、内閣改造は「問責を受けたからではない」などと、無理に自己を正当化する発言はやめた方が良い。屁理屈の意地を張り続けていては、与野党協議もままならないだろう。

ましてや、「野党が議論に参加しないのは、歴史への反逆行為」といった逆ギレまがいの発言はもってのほかだ。

「今回の二大臣の更迭はスムーズな国会運営のため」「与謝野氏と藤井氏の官邸入りは、現実的な政策運営への方向転換のため」と素直に語った方が、国民にも分かり易い。

党大会では「これまで民主党がやってきた事は方向として間違ってない。もっと自信を持とう」と言われたが‥‥

本気でそう思っておられるとしたら、勘違いもはなはだしい。

マニフェストの見直し(与野党協議の前提)も先行きが暗いと言わざるを得ない。

ネットのインタビューでは「色々と頑張っているのに分かってもらえない」とも‥‥

これでは辞任の記者会見で「国民が聞く耳を持たなくなった」と言われた鳩山氏と同じ事になる。

政治家は結果に対して責任を負わなくてはならない。自らを顧みて反省しない態度は、私には自己保身の為の言い訳にしか思えない。

国民の政治不信・政治離れはピークに達している。

24日に開会される通常国会を、政治の信頼回復に資する政策議論とするためにも、片意地を張らず、より謙虚な姿勢が必要だ。

過ちては則ち改むるに憚(はばか)ること勿(な)かれ (論語より)

間違ったことに気づいたら、改めるのに躊躇してはならない
→誰にでも間違いはあるが、問題は間違いに気づいた後だ。上に立てば立つほど、自分の体面を気にするようになる。素直に間違いを認め改めれば、傷は小さくてすみ、しかもさらに成長できる。

拝啓 菅総理大臣殿

新年も早や10日が過ぎ、日本列島にも徐々に日常が戻りつつある。

新春交歓会での年頭挨拶では、「今年も内外ともに厳しい情況の中での幕明け」との話しが多いが、政治家としては「今年こそ明るい年にする」との決意が必要だ。

近年、「お正月らしさがなくなった」とも言われるが、初詣の長い列を見る限り、日本人にとって、お正月はやはり気持ちを切り換える絶好の機会なのだと思う。

菅総理も心機一転されたのか4日の年頭記者会見はじめ、強気の発言が目立ち始めた。

貿易自由化促進と農業再生、社会保障制度と税制の抜本改革、小沢氏を巡る政治とカネ、内閣改造と党役員人事等々。

その中で私が注目しているのは、「しっかりした社会保障を確立していくために、財源問題を含めた超党派の議論を開始したい。」という発言だ。

かねてより私はこのコラムの中で「社会保障制度改革には超党派の議論が必要だ」と繰り返し主張してきた。その意味で、総理の一歩前進を支持したい。

ただ与野党協議の実現には大きな障害がある。一昨年の衆院選における民主党のマニフェストだ。

総理は7日のインターネット番組で「マニフェストはもう1回見直さなければならない。折り返し地点(衆議院任期)の2年目あたりには行ないたい」と言及された。しかし、私にとってこの発言は「超党派の議論はそれ以降」と言われたのと同じことだ。

マニフェストに示されていたムダ削減による財源捻出は、23年度予算案の編成過程を見ても、既に破綻している。

子ども手当てや高速道路無料化等に対する国民の政策評価も高いとは言えない。

こんなマニフェストをそのままにしていては、野党も協議に乗れないだろう。(私をはじめ多くの同志が机上の空論である民主マニフェストに敗れたのだから…。)

小沢政治と決別した総理なのだから、「マニフェストは国民との約束だから、守らなければならない」と主張する小沢一派への配慮は、もう必要ないだろう。党の総意として、早急にマニフェストの棚上げ、又は見直しを決定してもらいたい。

報道によると、玄葉国家戦略担当相も、訪問先のウランバートル(モンゴル)でマニフェストの見直しに言及したとのこと。民主党政調会長でもある玄葉氏だけに、今後の言動に注目していきたい。

一方の自民党も、このところの衆参の選挙で「社会保障についての超党派の協議を」と公約してきたのだから、条件が整えば協議を避ける理由はない。

今、国民が政治に求めているのは政局より政策の議論だ。

「政局重視の自民党」と言われないためにも、党利よりも国益を優先した賢明な判断が必要なときだ。

あと数年で団魂の世代が、生産年齢層(~65歳)から高齢者層になだれ込み、社会を支える側から支えられる側に回っていく。

若い世代に過度の負担をかけないためには、人口拡大と経済成長を前提とした現行システムのすべてを再設計しなくてはならない。党派を超えて!今すぐに!

それが、政治が果すべき最も重要な「未来への責任」だ。

総理は、「政治生命をかけて、覚悟を決めてやる」とも言われたらしいが、全く同感だ。この課題は「総理の職を賭すに値する」。

「有言実行」が言葉だけに終わらないよう、腹をくくって取り組んでほしい。

これまでもくり返し言及してきたが、「残された時間はほとんどない」。

謹賀新年

明けましておめでとうございます。健やかな初春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

平和と繁栄が期待された21世紀も、最初の10年が過ぎ去りました。

情報が国境を越えて瞬時に行き交い、経済が一体化し地球規模の大競争が繰り広げられるなか、世界は今、多極構造に向けた大転換を模索しています。

世界の成長センターであるアジアに位置する日本は、その経験と知力を生かして経済の健全な成長を牽引するとともに、日米協調を基軸にアジア太平洋の平和と繁栄に貢献することが求められています。

今こそ、我が国の針路を示す明快なビジョンを描き、国民と世界に示すときではないでしょうか。

しかしながら、一昨年の政権交代以来、我が国の政治はまさに混迷を極めています。政府与党はこの1年4ヵ月の政権運営をふり返り、現実を見据えた実現可能な政策を提示すべきでしょう。そして、野党も、いたずらに政府の失政を非難するだけでなく、国家の発展に向けた戦略を共に論じなくてはなりません。既に総人口は減少局面を迎え、私たちに残された時間はほとんどないと言っても良いでしょう。

疲弊する地方経済の活性化、安心して暮らせる社会保障制度の再構築、世界をリードする人材の育成、外交安全保障政策の立て直し、そして国家財政の再建。今の日本は内外ともに難題が山積しています。これらの課題の一つひとつに機敏に対応し、的確な処方箋を示すことこそ、政治に課せられた使命です。

新年にあたり決意を新たに、これからも自らの心の声を「未来への責任」に託し、発信し続けて参ります。

今年も格別のご指導とご鞭撻をお願い致します。