B級グルメ→個性を競う地域発展

先頃パリで開催された主要20ヶ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議では、食料価格高騰問題が議題となっているが‥‥。
食料価格と言えば、昨年の夏は猛暑で野菜の生育が悪く、価格が高騰して家計や外食産業を直撃した。
冬になってからも豪雪の影響で、葉野菜をはじめ野菜の価格は例年に比べて高値で推移している。鍋の白菜が大好きな私には、鍋が恋しい季節に白菜やネギが高いというのは困ったものだ。

鍋と言うと、若い時は牛肉(赤味)しか食べなかった私だが、ある時期以後豚肉の方がおいしいと思う様になった。
ステーキもヘレよりサーロインの方がおいしいと思う様になった。(もっとも健康を考えて最近はサーロインはなるべく食べない様にしているが‥‥)

話は変わるが、我々はとても幸せな場所に住んでいる。
明石海峡の早い流れの中で育った瀬戸内の魚は、最高にうまい。
私の地元には食肉センターがあり、うまくて安い肉も簡単に手に入る。
東京には全国各地から食材が集まるのでおいしい牛肉も手に入れることはできるが、とても高価である。

ところで地元名物の穴子だが、東京では焼き穴子より蒸し穴子が一般的だ。
どちらがうまいかは人の好みによるが、関西と関東では味付も料理方法も違う気がする。(東京の人は穴子の価値(値段)を過少評価している傾向がある。旨い穴子は結構高価なのだ。)

昔々の学生時代、初めて東京で暮らしたころ、「うどん」のつゆが真っ黒なことにショックを受け、「おでん」にショウガ醤油が付いて無いことを不思議に思ったことがある。
最近、「姫路おでん」が注目を集め、初めて気づいたことだが、「おでん」=「関東煮(かんとだき)」をショウガ醤油で食するのはこの播州界隈限定の風習のようだ。

永年慣れ親しんできた料理が、他の土地では全く知られていないことが多々ある。
いわゆるB級グルメブームが盛り上がるまで、高砂の「にくてん」も加古川の「かつめし」も、神戸ですら、その存在を知られていなかった。美味しいものを”B級”と称するのはいかがなものかと思ったこともあるが、ここまで定着したら立派なものだ。

B級グルメの発祥の地とも言われる富士宮市では、やきそば店めぐりの観光客にぎわっているらしい。地域のリーダーのご当地グルメに注がれた情熱が地域振興に繋がったのだ。
横手やきそば、八戸せんべい汁、甲府鳥もつ煮等々、今や、全国各地が食文化を生かした地域振興に励んでいる。

何でも東京発の情報文化に染められるのではなく、地域の人々が守り育ててきた固有の文化を誇り、競い合う中に新たな発展の芽が生まれるのではないだろうか。
八百万の神々が共存してきた日本の国。いろんな文化が共存し、切磋琢磨する姿こそがふさわしい。

歴史的に見ても、明治維新後100年余りの工業化の時代、全国画一で一律な経済発展の時代の方が、特異な時代であったような気もする。
キャッチアップの時代が終わったと言われて、もう30年。我が国、我が地方も独創力で生きる道を探らなくてはならない。

来年の秋には、姫路でB-1グランプリが開催される。日本各地の庶民の味を堪能するとともに、我らが「にくてん」はじめ播州グルメの健闘を祈りたい。

政権末期?

17日、民主党所属衆議院議員16人が、党に席を残したまま院内会派離脱願いを提出するという理解不能な行為に出た。遂に民主党は、内部から崩壊を始めたようだ。

16人は比例代表名簿の末位掲載者で、「政権交代」の風に乗って当選してきた方々であり、現在の党勢を考えると再選の可能性はゼロに近い。「決意を固めたメンバーの表情には、悲壮感が溢れていた」というのはもっともだ。

しかし、会派離脱の大義名分が「原点回帰」、総選挙の政権公約(マニフェスト)を実現しろと言うのはいかがなものだろうか?

何度もこのコラムで言及したが、民主党マニフェストの破綻は既に明らかであり、民主党自身も党大会で見直しを決定しているのだ。

本心で、破綻マニフェストの実現を考えているのであれば、日本の財政状況を全く理解されていない、政権与党の一員として失格と言わざるを得ないだろう。

仮に、これも「菅おろしのための“方便”」ということであれば、いいかげんにして欲しい。

政策理念なき党内抗争を繰り返し、私闘を国会の場に持ち込むとは言語道断の行為である。

報道によると、民主党内には「菅総理では政権は持たない」との声が広がりつつあるということだが、ではどうするのだろうか? 総理のたらい回しをくり返していては、国民の不幸が拡大していく。益々政治不信が広がるばかりだ。

再起を期する私にとって、解散総選挙は望むところではあるが、このまま政局が混迷すれば安心社会の実現は更に遠のくのではと気がかりでならない。

日本を取り巻く環境は激変しつつある。政治家の保身のために、いつまでも政策判断を先送りしている暇はない。

先日のG20でも、リーマンショック後の世界経済の安定をめざし、様々な方針が議論された。経常収支や財政赤字の相互監視ルール策定、中東の政情不安の引き金にもなった食料価格高騰対策、国際通貨システムにおける新興国の責任拡大等々‥‥。

多極化に向けて激しく揺れ動く国際社会のなかで、我が国はどのような発展方策を選択すべきか?

中央政府が果たすべき役割は、国家ビジョンの確立だ。

国会には、一日も早く本来の機能を回復し、目先の選挙対策ではなく、未来に向けて国家のあり方を議論してもらいたい。

余談になるが、先週末私は、自民党本部の総裁室で谷垣総裁に「解散が遅れても良いから、マニフェストの見直し、社会保障についての民主党案の提案が整えば与野党協議には応じるべき」と直言した。石破政調会長にも同じ趣旨の話をした。

残念ながら、民主党内がこのような状況では、マニフェストの見直し及び社会保障改革についての民主党案の取りまとめは絶望的だ。

いつまでたっても超党派協議会は実現せず、結果、国政の最重要課題が、また先送りされてしまいそうだ。

それでも私は最後まで可能性を諦めないで、党内外の友人に働き掛けを続けてゆきたい。

それが「未来への責任」を果たす為に、今私が唯一できる事だから。

党首討論

先週、菅内閣が発足して初めての党首討論が実現した。

民主党のマニフェスト違反に言及し「新たなマニフェストを提示したうえで国民に信を問うべきだ」と迫る、自民党谷垣総裁。

マニフェストの破綻は明らかであり、国民との契約違反だとして、「どのように責任をとるのか」と問いただした、公明党山口代表。

対して菅総理は「社会保障改革の与党案がまとまれば協議に応じるのか?」、「議論もしないでまず解散では、党利優先だ」と切り返した。

4月の統一地方選挙を目前に、相手を批難し、問い詰める戦術で自らをアピールしたいのかもしれないが、それが国民の期待する建設的な議論と言えるだろうか。

双方とも従来の主張の繰り返しに終始するだけで、これでは何度やっても歩み寄りは期待できない。

そもそも地方分権、地域主権の時代、国政と地方自治の役割は明確に区分すべきだ。

地方選挙を戦う候補者は、地方自治体が主体的に展開すべき政策や主張を掲げて戦うべきなのだ。現に先日の愛知県、名古屋市の選挙を見ても、国政とは争点が明らかに異なっている。

国会は国政の役割と責任をしっかり果たさなくてはならない。「今すぐに」である。悠長に統一地方選挙の終了を待っている時間的余裕はない。

「社会保障と税との一体改革」は国家の最重要かつ緊近の課題である。

自民党も公明党も既に与野党協議の必要性は認めているのだから、環境が整えば協議のテーブルにつくことに異論は無い筈だ。

与党民主党は早急に協議の前提となる原案を作成し、党内の意見集約をしなくてはならない。

原案作成を担う与謝野大臣や柳沢氏(社会保障集中検討会議メンバー)は、かつての自民党の重鎮で、税制のプロだ。予定されているヒアリングが終われば、原案(与謝野案)のとりまとめには、そんなに時間はかからないだろう。

しかし、百家争鳴の民主党の現状を見る限り、与謝野案が即座に民主党案になるとは考えにくい。

菅総理は、仮定の質問で相手を問いただすより、まず党内の意見集約にリーダシップを発揮するべきである。

そして一日も早くを政府与党案と呼べるものを確立したうえで、野党に協議を呼びかけたら良いのだ。

それでも野党が協議を拒否するならば、その時は国民の批判の矛先は野党(自民党?)へ向かうだろう。

実現不能の公約に敗れた身としては、「マニュフェスト破綻の責任論」に即刻ケジメをつけて欲しいのは山々だ…。

しかし、民主党のマニフェストに対する評価は、次の総選挙で国民の手によって下される。

今は、国会議員一人ひとりが国民の代表であるという基本認識のもと、党派を超えて自らの信念に基づき使命をしっかりと果たさなくてはならない正念場だと私は言いたい。

政策より政局?

先週、予算委員会の議論がスタートした。

メディア(特にTⅤ)では「政策よりも政局ばかりの国会」との報道が目につくが、果たしてそうだろうか? 私は必ずしもそうは思わない。

むしろ、メディアの報道姿勢の方が「政策より政局」に傾倒しているようにも思える。

確かに3日までの予算委員会で、自民党の質問は、「与謝野氏の大臣就任」「政治と金」「民主党の公約違反」を3点セットとしていたが、前2つ(政局問題)に費やした時間はそれ程長くない。

力点を入れているのは予算案の根拠となっているマニフェスト問題であり、予算委員会でこの問題を追及するのは当然のことだ。

しかし、2日夜のメインニュースで予算委員会の議論を取り上げていたのは一局のみで、他の局は政治のニュースすら報道されなかった。3日夜の政治ネタは、小沢問題対応の為の民主党役員会のみだった。

政治を批判するのもメディアの使命かもしれないが、政策の議論もしっかりと伝えて欲しいものだ。

ところで、これまでの国会審議を見る限り、残念ながら「税と社会保障の一体改革」に関する与野党協議への道筋は見えてこない。

政府与党は、まず社会保障費(100億)の約5割を占める年金制度について、明解な姿勢や具体案を提示すべきだ。そのためには、早急に民主党内の意見集約を図る必要がある。

自民党も「マニフェスト違反なら国民に謝罪し、改めて信を問え」と繰り返しているだけでは大人気ない。

「マニフェスト変更なら信を問うべき。」というのは確かに正論ではあるが、少なくとも来年度予算の審議が終わるまでは解散の環境は整わない。

これ以上、解散総選挙論を展開していても、解散カードは相手の手の内にあるのだから、事態は何も進展しない。

むしろ、今為すべきは、マニフェストの検証と修正を急ぐ様、強く迫ることだろう。

加えて、財政健全化責任法の成立を図り、これ以上の歳出増大に歯止めをかけるべきだ。

既に民主党の2009年マニフェストは歳入面で破綻している。

子ども手当てや高速無料化などの歳出面の政策の是非を議論するまでもなく、予算組み替えで捻出すると言っていた歳入の財源が見つかっていないのだ。

歳入を無視した歳出拡大は、当然、財政の破綻を招く。これ以上の財政赤字=借金拡大は子々孫々の負担を増大させることに他ならない。

各種世論調査を見ても、約7割の方々が民主党マニフェストの見直しを求めている。

菅総理も既にマニフェストの検証に言及しているのだから、苦しい言い訳やはぐらかしは止めて、マニフェストを一時全面凍結し、潔く良く謝罪すべきは謝罪し、その上で与野党協議を呼びかけるべきだ。

それにしても、「政治生命をかける」とまで言っていた菅総理の本気度が全く伝わって来ない。だから、謝罪や協議の呼びかけも言葉だけに見える。

「菅さんの延命工作に力を貸すつもりはない。」私の親しい野党議員の一人は、そう言い切った。

今の日本に残された時間は殆どないとのだ。

国政の現場に居られないことを、今程悔しく思うことはない。