原発事故

東日本大震災の死者は1万人を超え、さらに1万7千人(届け出分)もの方々が行方不明となっている。建物被害などの把握は、まだ緒に就いたばかりだ。
地震発生から2週間が過ぎたが、未だに巨大津波の被害の全体像はまだ確定できない。

一方で、福島の原発事故は今なお厳しい状況が続いている。
炉心溶融による原子炉格納容器の崩壊という最悪の事態は避けられたものの、放射能汚染物質の流出は続き、被害の範囲を定めるどころではない。
事故現場では命がけの作業が続いているが、汚染水の漏水をはじめ、次々と新たな課題が生じている。風によって拡散する放射性物質は、東北から関東にかけて広範囲の農作物や飲料水を汚染し、風評も含めた放射能被害は拡大の傾向を見せていると言わざるを得ない。

考えられる課題としては、汚染発生源の封鎖、健康被害の防止、農水産被害への対処、さらに中長期も含めたエネルギー問題等々。これらの課題に総合的かつ計画的に取り組まなくてはならない。

まず、第一の「汚染発生源対策」。
原発事故の対応の鉄則は「止める」「冷やす」「閉じ込める」の三つだ。
今回の大地震に際し、各地の原発は正常に「止まった」(この点が、炉心が制御不能だったチェルノブイリとは異なる)。 しかし、大津波による浸水で電源を失った福島第一では「冷やす」機能を喪失したために異常事態が発生してしまった。
事故後、全力で冷却機能の回復に向けた作業が行われ、あと一歩のところまで来ているが、高い放射能を帯びた汚染水で作業は難航している。昼夜を問わず連日の作業に当たっておられる関係者に、改めて敬意を表したい。

電源と真水の供給が確保され、すべてのポンプが動き出せば、放射性物質が増産されることはない。 次は、汚染物質が散らばらないように「閉じこめる」段階に移ることができる。
既にシナリオの検討は始まっていると信じたいが、大破した4つの原子炉と発電タービンについては、燃料棒を取り出した上で、最終的には建物ごと厚いコンクリート壁で遮蔽格納せざるを得ないだろう。

次に原子炉冷却後の「健康被害対策」は、散らばってしまった放射性物資の影響を早急に正確に調査することから始まる。土壌汚染が農作物や飲料水にどの程度影響するのか? 海洋汚染が水産食品に影響するのか? それより先に居住可能エリアはどこまでか? 集落移転が必要となるのなら財産補償に加え、雇用の場の確保も必要だ。

三つ目の「農水産物の被害」については、出荷停止措置に伴う逸失利益の損失補償は当然。それ以前に、風評被害も相まって深刻な経営状況にある農家の方々へのつなぎ資金の供給が急がれる。さらに、(想定したくはないが)仮に農地の放射能汚染が広範囲かつ長期化する場合は、首都圏の食料供給体制にも大きな影響が出ることになる。

第四の「エネルギー問題」に関しては、首都圏の電力供給力不足が当分継続することは不可避だ。夏の需要拡大期に向けて、現行の“無計画な”計画停電を改め、需給見通しと利用制限策を建て直さなくてはならない。この国難に際し、正確な情報に基づく公平な措置であれば、国民も節電への協力をいとわないだろう。

中長期的には、我が国のエネルギー政策の見直しも迫られる。今回の事故を契機に欧州では原発廃止論が高まっているようだ。しかし、エネルギー自給率が2割未満という日本にとって原子力は不可欠。 化石燃料の枯渇を考えると、世界的にも原子力を放棄する道はあり得ないだろう。むしろ、この事故を反面教師とし、より安全な管理技術の確立に向けて、科学の進歩の糧とすべきと考える。

以上、「原発問題の当面検討すべき課題」について私見を述べたが、今後私はこの分野で仲間とともに私なりの努力を続けて行きたいと考えている。
今は国民一人一人が自ら考え行動すべき時。
私も一人の国民として、出来ることをやって行きたい。

今日もテレビからはお互いに支え合いながら頑張っておられる被災地の皆さんの姿が伝えられている。お年寄りの肩を揉む子供達の笑顔も伝えてくれている。
被害地でのボランティアの活動も本格化しつつある。
復興に向け自ら動き始めた人々の姿も報道されている。

「悲しみを乗り越えて被災地は必ず復興する、日本は必ず甦る」

挙国一致

東日本大震災の発生から早や10日が過ぎようとしている。
寒さと不安の中で避難生活を強いられている被災者の皆さんには、改めて心よりお見舞いを申し上げたい。

極限情態の中にあっても礼節を保ち、整然と行動する被災地の方々のモラルの高さと忍耐力に、海外からは多くの称賛の声が寄せられている。
日頃、失われたかに思える道徳心、日本人が古来受け継いできた仁義を重んじる心が、未曾有の困難を機に蘇ったかのようだ。

「悲しみを乗り越えて被災地は必ず復興する、日本は必ず蘇る」と私は確信した。

今から16年前、我々は阪神淡路大震災を体験した。
「この街は元通りに復興できるのか…?」
地震発生の翌日、政府与党調査団の一員として神戸に入った私は、
燻った臭いに覆われた瓦礫の山、まさに廃墟と化かした惨状に、言葉を失った。
しかし、全国からの支援と十数年の被災地の努力で、神戸の街並みは美しく蘇った。

今回の大地震の被害は、東北から関東までの数百㎞の広域に及ぶ、加えて、原発事故という二次災害も重なってしまった。
しかも、社会は本格的な人口減少時代を迎え、国家財政は先進国中最悪の累積赤字を抱えている。
復旧復興への道筋には、阪神淡路大震災と比べて、より大きな壁が待ち受けているだろう。

だからこそ、我々日本人は心を一つにして、この国難に立ち向かわなくてはならない。国民の英智と努力を結集し、その壁を乗り越えて行かなくてはならない。
我々日本人にはその力があるはずだ。第二次大戦後の焦土からの復興をはじめ、過去、数々の国難を克服してきたのだから。

被災地の皆さんは厳しい避難生活の中にあっても、他者への思いやりを忘れず必死に支え合いながら頑張っておられている。
子供達は自ら率先して何らかの役割を果たそうと懸命に頑張っている。
その頑張りを全国民の力で支えていきたい。

医師や看護師をはじめ、既に多くの方々が全国から駆けつけ支援活動を展開されている。苦労を厭わない奉仕精神に感謝したい。
福島原発では、自衛隊員、東京消防庁レスキュ―隊員、東電関係者の方々が、命を危機に曝しながら、懸命に戦われている。その勇気と使命感に心より敬意を表したい。

国民一人ひとりが、被災地のために何ができるか、何をしなければならないか、何をしてはならないか、良く考えて行動しなければならない。

ことさら、政治家の責任は重い。
政治主導が空回りする政府の対応に大いに不満もあるが、今は協力の手を差し伸べざるを得まい。
各党は対立路線を一時凍結し、与野党の総力を震災復興に傾注すべきだ。

そのためにも政府には、不毛の対立のタネである来年度予算案を棚上げし、数ヶ月の暫定予算の編成を求めたい(もちろん子ども手当て等は凍結せざるを得まい)。その可決後、直ちに本格的な復旧復興事業費を盛り込んだ新23年度予算を編成するのだ。

それが今、政治が果たすべき国家と国民への責任であり、「未来への責任」だと考える。
そして、それは幾多の国難を乗り越え先人たちが築いてきた日本の歴史への責任でもあるのだ。

「悲しみを乗り越えて被災地は必ず復興する、日本は必ず蘇る」

激震

ご承知のとおり、先週、M9.0の超巨大地震が東北の太平洋沿岸を襲った。お亡くなりになられた多数の犠牲者の方々のご冥福を祈り、また、行方不明の方々のご無事を願いたい。

それにしても、今回の災禍を通じて「津波」の破壊力を目の当たりにされた方は多いのではないか。

私自身、歴史上の出来事として、三陸沖を震源地として何度も巨大地震が発生し、そのたびに大津波の被害が発生していることは承知していた。

しかし、リアルな映像によって、膨大な海水が大河となって“まち”を流れる姿。自動車はおろか家屋をも軽々と持ち上げ、木っ端みじんに打ち砕く模様を見せつけられると、大地の力に対して人間の無力を感じざるを得なかった。

人類は何回も経験している天災をすぐに(数十年という地球にとっては瞬時の時も)忘れがちだ。

阪神・淡路大震災の前までは、京阪神地域が過去に何度も直下型地震に見舞われているにもかかわらず、いつの間にか大地震はプレート型のみといった誤信が通用していた。

今回被災した三陸地方も、1933年の「昭和三陸地震」による津波で数千人規模の大被害を被っている。にもかかわらず、その後の防潮堤の整備で、科学により自然を制御できると過信していたのではないか?津波を甘く見る心が生じていたのではないだろうか?

明治から昭和初期の物理学者である寺田寅彦氏は、関東大震災のような局地的な地震よりも、江戸末期の安政時代に生じた「東海、東山、北陸、山陽、山陰、南海、西海諸道ことごとく震動」する広域震災の再来を懸念し、また、「人間は何度同じ災害に会っても決して利口にならぬものであることは歴史が証明する。……そうして昔と同等以上の愚を繰り返しているのである。」とも言っている。

寺田博士が懸念した愚をこれ以上繰り返さないために、我々は自然の中で生きている小さな存在であると言うことを心に刻み、自然への畏敬を忘れずに生きて行かなくてはならない。

そのためには、今回の大津波の災禍をしっかり“伝える”ことが第一の責務。そして、数多くの尊い犠牲を無駄にしないためにも、災害に強いまちを再興しなくてはならない。さらには、関東から関西までを揺さぶる「東海、東南海、南海連動型地震」をも想定した万全の“備え”にこれまで以上に取り組む必要もあろう。

とは言っても、まずは、東北地方の救助活動と復旧活動だ。

今回の災害による、がれきや泥の量は、近年兵庫を襲った豊岡水害や佐用水害の比ではない。まちの復旧作業には数多くの人手が必要だろう。

災害ボランティア発祥の地とも言える兵庫から、一人でも多くの有志が被災地の再建に駆けつけることを願いたい。

民主党政府の政権運営には大いに不満のあるところだが、今は一時休戦。挙国一致して一日も早い復旧を応援しなくてはならない。

与党の審議拒否

3月1日未明、平成23年度予算案は関連法案と分離という形で衆議院を通過した。イレギュラーな形で予算案を受け取った参議院では、西岡参院議長が不満の意を示すごとく「2日受理」としたうえ、質問時間の配分を巡って民主・自民が対立し、理事会の席から民主党理事が退席、野党が前田武志委員長に早期開催を求めるという異例の展開をたどった。
予算審議は、2日遅れで、ようやく4日からスタートしたものの、今度は前原“前”外相の外国人献金問題や厚労相の主婦年金救済問題を巡り紛糾しそうな雰囲気である。

紛糾の種をまき続ける閣僚の脇の甘さもさることながら、民主党は政府“与党”として本当に予算成立をめざしているのだろうか?
予算の早期成立(年度内)は政府が責任を負うべき最優先課題である。今回の「政府与党による審議拒否?」という事態はにわかには信じ難い出来事だ。

枝野官房長官でさえ国会日程が遅れることを知らされていなかったようだが、政府と与党の意思疎通もままならない状況なのだろうか?
まるで(小沢氏の影響力の強い)参議院民主党が政府に対して嫌がらせをしているようにも見える。
いずれにしても政府与党内部の意思統一のなさや風通しの悪さ、もっと率直に言わせてもらえば「民主党の国益を忘れた党内抗争」が、ただでさえ難しいねじれ国会の運営を一層混乱させているのは間違いない。

このような情況では、与野党間の法案修正の話し合いなど出来る筈がない。
菅総理は「関連法案が成立しなければ国民生活に大きな影響がある」と繰り返し、4月から新年度の予算執行ができなければ、それは野党の責任であるがごとくの発言をされる。
しかし、党主討論で「予算案の対案を出して欲しい」とまで要求したにもかかわらず、衆議院予算委員会に提出された自民党の対案について全く議論もせず、政府案を早々に強行採決した行為は言行不一致と言わざるを得ない。

政府が自民党案について堂々と議論できない理由は明らかだ。議論の前提となるマニフェストの見直しについて、民主党内の意見集約さえままならないからである。
その証拠に、民主党執行部は、1月の党大会で公約見直しの機関を設置すると表明しながら、未だにその気配さえ見えない。(今年9月という遙か彼方の見直しの期限の設定からも本気度のなさがうかがえる。)

問題は、小沢氏寄りの議員が「政権交代の原点に回帰せよ」「公約は国民との約束」だと見直しに反対していることだ。
確かに、政党が公約を実現する努力をするのは当然であるが、その公約が「勉強不足の故に架空の財源をあてに描いた空手形」では実現しようがあるまい。これまでの事業仕分けを通じて、17兆円もの財源捻出は不可能であることを自ら証明したはずだ。
民主党内の原点回帰論は、党内権力闘争の為にする主張に過ぎない。

このままではいつまで経っても関連法案の出口は見えない。総理が呼びかけている社会保障と税の一体改革についての与野党協議なんて、到底実現する筈がない。
国民の目には政治屋の抗争としか映らず、政治不信はますます広がるだろう。

小沢氏の処遇を巡る一党内の対立が、国会運営を左右し、予算成立の命運も握ってしまうという状況を許しおいて良いのだろうか?
総理は野党に対して「熟議」を求める前に、自らが党首を勤める政党内での「熟議」を促した方が良いのではないか?

それにしても、政府民主党のこの体たらくにも拘わらず、自民党への期待が一向に回復しない事が悩ましい。