臨時国会

播磨地方にも甚大な被害をもたらした台風12号に引き続き、先週には大型台風15号が日本列島を縦断。東北の震災被災地をはじめ全国各地に大きな風水害の爪痕を残した。
被災された皆様に改めてお見舞いを申し上げたい。

春先の大震災もそうだったが、容赦なく人々の生活を破壊する自然災害の頻発に、改めて自然の力の恐ろしさを思い知らされた。少しでも災害に強い国土の形成に向けて、たゆまぬ努力を続けなくてはならないとの思いを改めて強くしている。
「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズで、公共事業の大幅削減政策を進めている民主党政権だが、人命や国民生活を守る公共事業まで不要だとは言わないだろう。

さて、紆余曲折の末、会期を14日間延長した臨時国会だが、先週一週間は開店休業のまま、9月30日の会期末が迫ってきた。
今のところ予定されているのは26日からの予算委員会での審議のみで、継続審議となっている震災関連の二重ローン救済法案や原子力発電所事故調査委員会法案など、一日も早い成立が望まれる法案についても次期国会に先送りするという。

総理が外交のために不在でも、衆参両院の委員会を開催し、閣僚の所信表明や質疑を行うことは可能だ。その方が、今後の3次補正予算審議の前さばきもできるだろうし、継続審議中の各種法案の審議も進めることができる。
これではせっかくの会期延長も効果半減である。ぜひとも会期を再延長し、実質的な政策議論を早くスタートさせて欲しい。

「与野党協力」と呼びかけながら、自前の案も提示せず国会審議から逃げ廻っている民主党の姿勢は、与野党の合意形成を難しくしていると言わざるを得ない。

確かに、迅速性がカギとなる災害復興対策や臨時的な景気刺激策、国家間の約束事となる安全保障政策や通商政策、長期安定性が必要な社会保障制度や基幹的な税制などについては、各党の短期的な党利党略を度外視して、しっかりと議論すべき課題だ。
ただ、議論の環境を整えるのは与党であり、その為にはまず党内意見を集約し、議論の素案を提示しなくてはならない。民主党には、まず、この責務を果たしてもらいたい。

議論を通じてどうしても一致点を見出すことができない部分については、各党が論点に関する方針を明確に掲げ、次の総選挙で国民の審判を仰ぐしかないだろう。
但し、先の民主党マニフェストのような無責任な公約は厳禁だ。
消費税の増税か減税かを問えば、当然減税が選択され、年金の増額か減額かを問えば、当然増額が選択される。しかし、それぞれの政策には財源が必要だ。

結果責任(実現不能の場合は政権の移譲や解散総選挙を行う)についてマニフェストで約束することを義務づければ、無責任な減税や給付増を公約にはできなくなる。
そういうルールがあれば、税制などが政争の具となることはなくなるだろうし、衆参ねじれのもとでも、与野党合意をさぐる知恵が絞られるはずだ。

日本は明治維新や戦災復興をはじめ幾多の国難と相対してきた。その度に先人は国内の対立を乗り越え、国民の力を総動員し、日本に進歩への道を拓かせてきた。

今、震災復興に向けて国民の心は一つになっている。にもかかわらず政治の対立ばかりが続く現状では国民の信頼はとても得られない。
スピード感を持って議論を重ね、政治を前進させ国難を乗り越えて行く。
それが今、与野党を問わず求められている「未来への責任」だと、私は考える。

正心誠意?

野田内閣発足後最初の世論調査は、軒並み予想外(?)の高い内閣支持率を示した。民主党の支持率も改善し、自民党を逆転している。
世論は、民主党内の混乱、与野党の対立など、不毛の政争に飽き飽きし、総理交代で何かが変わることに期待を抱いているのだろう。これまで2代の民主党政権とは異なる「党内融和優先」「与野党協議重視」の路線改革が評価されていると見るべきだ。
自民党も世論の意思を重く受け止め、単なる反対政党・抵抗勢力と言われないよう、与党政府の政策への対案の立案に心を砕く必要がある。

野田総理は、改革の第一歩として、早速、事務次官会議や経済財政諮問会議の復活に踏み切った。これらの会議の廃止は、誤った「政治主導」の象徴であり、事実上の復活により正しい「政治主導」になることを期待したい。

一方で、挙党態勢づくりの弊害が、相次ぐ閣僚の不規則発言だ。
「放射能を移してやろうか」という鉢呂前経済産業大臣の暴言は、子どもの悪ふざけの次元だし、一川防衛大臣の「素人が自衛隊を指揮するのがシビリアンコントロール」という趣旨の発言も言語道断だ。

臨時国会前の平野国対委員長の言葉=「今の内閣は不完全な状態で、十分な答弁はできない」(しばらく勉強する時間が欲しい?)というのは、事実であり、本音であるのかもしれないが…。
それ故に、臨時国会の会期を短期間(わずか4日間)とし、一問一答形式の予算委員会の開催を拒否するのは許されない。
大臣は任命されれば即時、各省庁の代表として臨戦態勢に入るのが宿命であり、内閣は組閣と同時に国家行政を司る合議機関となる。訓練時間や仮免許期間など与えられない。だからこそ適材適所の人材配置が必要なのだ。

しかも今は、有事対応の時期だ。スピードが求められるのは震災復興の3次補正予算編成のみではない。
「急速な円高と長期デフレ対策」「エネルギー戦略の再構築」「成長戦略の核となるTPP参加問題」「税と社会保障の一体改革」など、すべて早急な解答が求められている。

「政治に空白があってはならない」というのは、民主党の代表選前の言葉だ。だからこそわずか3日間という短期間で新代表を選出したのではなかったのか。
野党の強い反発に逆らえず、民主党も非を認めて臨時国会の会期を月末まで延長したが、山積する課題解決のために、国会は通年開会し、徹底した議論を尽くすという道もあったのではないのだろうか?

国会が生産的な議論の場となるためには、野党側の意識改革も必要だ。
先の総理所信表明演説後の恒例の野党党首インタビュー。今回も相変わらず紋切り型の否定的なコメントしか聞こえてこなかった。
野党は英語でopposition party(反対党)と言われる。だからと言って、政府与党の言葉すべてを否定する必要はない。野党であっても単なる抵抗勢力であってはならないのだ。

意を同じくする部分には素直に賛意を表し、指向が異なる点は厳しく指摘する、そんなコメントがあっても良いと思うし、その方が国民にも論点が明確になり、双方の政策の違いも分かり易いと思う。
本格的な政権交代時代に入った今、与野党の政策が100%異なることはあり得ないし、あってはならない。ともに従来型の発想を転換し、これまでとは異なる政策形成手法、国会運営手法の構築が求められる。

本会議の代表質問ではひたすら安全運転に徹し、官僚が準備した原稿を読みあげる退屈な答弁をくり返した野田総理だったが、予算委員会や党首討論では、抽象的なスローガンでなく具体的な処方箋を自らの言葉で(正心誠意)語ってもらいたい。
そして、我が谷垣総裁も、より良い合意形成に向けた具体的な政策提案で応じて欲しいと私は考える。

9月11日に想う

この平成23年9月11日は、二つの面で大きな意味を持つ日だった。
一つは3月の東日本大震災から半年が経過した日として、もう一つはアメリカの同時多発テロ、アメリカ対イスラム過激派の開戦から10年経過した日だ。

東日本大震災からの半年の経緯については、週末にたくさんの特集番組が組まれていた。
報道だから、やや誇張されすぎという面も否めないが、「復旧復興が遅い」という感覚は、誰しもが抱いた感想ではないだろうか。
事実、阪神淡路大震災後の対応、私が政府与党の一員として携わった16年前の復興支援策と比較してみると、今回の政府の動きはずいぶんと遅い。

16年前は、4月(発災後3ヶ月)の段階で、復興のまちづくり計画が策定され、自治体の裁量で活用できる6千億円の復興基金が造成され、6月には仮設店舗がオープンし、仮設賃貸工場でも操業が始まっていた。
今、被災地で大きな課題になっているがれきの処分についても、2月には海上搬送による埋立処分が始まっていた(もっとも、完全な処理までには2年の月日を要した。)

この時間差の要因としては、被災面積の違い、原子力という特殊事象といったことが上げられるだろう。しかし、一方で阪神淡路の経験という参考書もあったのだ。

有事の際のリーダーシップは、トップダウンでなくてはならない。しかし、それは平時のボトムアップにより、リーダーに知識が蓄積されていてこそ発揮できるものだ。
前首相のリーダーシップ発揮手法は誤っていた(できなかった?)。“目立つ”ことのみを重視し、思いつきの発言を繰り返し、故に未だに復旧復興が停滞し、被災地からは政府不信の声が絶えない。

基本的に震災復興の手法は地元の自治体に任せ切るべきだ。中央政府の役割は財政支援と規制改革=裏方の支援に徹すればよい。3次補正予算編成のスタンスも、こうあって欲しいと思う。

一方、世界の関心は9.11事件を発端とするテロとの対立にある。
宗教観の違いによる文明の対立は、今に始まったことではない。
中世の十字軍遠征や第二次大戦のホロコースト、近年の隣国によるチベット迫害等々、歴史は多くの不幸を積み重ねてきた。

こういった対立を乗り越え世界平和を構築するためには、力による征服ではなく、相互の理解、互いの違いを認めあう社会の構築が必要だ。
塩野七生さんによると古代ローマの発展も、帝国の包容力=被征服国の自我、自治を認めたことによってもたらされたようだ。

ちょうど、同時多発テロが起こった頃(と記憶しているが)、「千と千尋の神隠し」という宮崎駿監督の映画が大ヒットし、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。
この作品が西洋人になぜ受けたか? それはきっと、八百万の神々が「油屋」(温泉旅館)で共に楽しむ姿が共感を呼んだのではないだろうか。
日本は多神教の国である。神道をベースにしつつも、仏教も、キリスト教もむしろ異なるものを取り込み、融合化してしまう不思議な包容力をもっている。この力を世界の平和構築のために発揮すべきだ。

発足早々から閣僚の失言が多発し、早くも組み替えが必要となった野田政権であるが、13日からの臨時国会で、そして、22日からの国連総会、11月のG20では、総理自らの言葉で、日本のあり方を堂々と語ってもらいたい。

新政権に望む

関西をゆっくりと横断していった台風12号は、各地に大きな傷跡を残した。播磨地域でも道路の冠水や家屋の浸水が相次ぎ、10万人規模の大規模な避難勧告も発令される事態となった。被災された方々には、心からお見舞い申しあげたい。

先週来の集中豪雨は記録的といえるもので(私自身、日曜未明のような降り方は経験がない)、紀伊半島では年間降水量の7割をわずか3日間で記録した地域もあるという。
今後、東海から北海道にかけての広域で大雨が予想されており、被災地の復旧復興のための補正予算措置は、発足したばかりの野田新政権の新たな課題となりそうだ。

さて、民主党代表選後、挙党体制の確立に腐心した野田首相は、まず親小沢の輿石氏を幹事長に配置し、かつての自民党を思わせるような派閥均衡型の閣僚人事を行った。結果、「適材適所」とは行かなかったようだが、少なくとも外見上はノーサイドの党内融和体制が整ったと見るべきだろう。

野田首相が掲げたもう一つの方針が与野党協力。その姿勢の表れが、組閣前という異例の時期(9月1日)に行われた、谷垣自民党総裁、山口公明党代表との会談だ。
首相は「震災の復旧・復興」「税制改正」「総合経済対策」の3つの実務者プロジェクトチームを提案するとともに、自民党が求めた協議の前堤である「民自公3党合意の順守」について「私が約束したわけだから信用してほしい」とも明言した。

ここまでの流れを見る限りでは、鳩山・菅内閣とは異なり「挙党一致」「与野党協力」に向けた現実路線が期待できそうに思える。少なくとも菅氏のような独善的な亡国行為はなさそうだ。
しかし一方で、外から見ているだけでも、民主党の舵取りはそんなに簡単ではないことがわかる。

ねじれているのは国会だけではない。民主党という政党そのものが、ねじれを内在しているのだ。
「3党合意の順守」とはマニフェストの見直しだが、民主党内ではマニフェストの見直しに反対する小沢・鳩山グループが多数を占めている。また、復興財源や社会保障財源についても、増税反対の意見が数多い。

そもそも、民主党には党の綱領、結党の理念がない。「政権交代」、すなわち自民党政権を倒すこと以外に共通の目標がなく(だからこそ社会主義者から旧自民党右派まで飲み込むことができる。)、今や目標を失った集団なのだ。
綱領を持たない政党を政党と呼べるかどうかはともかく、少なくとも野田首相には、マニフェストの総括を早急に行い、与野党協議の前提を整えてもらわなくてはならない。
さもなければ、またしても、国会の長期空転が始まってしまう。

先の総選挙から2年が経過したが、この間、野田首相で早や3人の総理大臣の誕生だ。
かつて首相は著書(※)で自民党の総理交代劇を批判され、「民意の裏付けのない政権が、国の舵取りをし続けるということでいいはずがない」と述べ、「総理、総裁が交代するときには総選挙を行うべき」という主張をされている。

ご説のとおりである。2009年民主党マニフェストの破綻も加味すれば、まさに今、政権の正統性について、国民に信を問うべき時期にある。
喫緊の課題である第3次補正予算が成立し、東日本大震災の本格復興対策に道筋がつけば、もはや総選挙の足かせはない。

この2年間に拡大した政治不信を回復するためにも、まずは野田首相のリーダーシップのもと、TPPなどの経済成長戦略、社会保障の給付抑制策、国防と安全保障政策、国家財政と国民負担のあり方等々について、早急に民主党内の意見を統一されることを願う。
そして、首相が嫌いな“ポピュリズム”を廃した真のマニフェストが再構築されたら、総選挙で我が自民党の政策と雌雄を決しようではないか。
日本は、「政権交代が可能な国」なのだから。

※民主の敵 ~政権交代に大義あり~(新潮新書)