旗日

先週11月23日の祝日=「勤労感謝の日」は、紅葉狩りを楽しむ方々で、行楽地がにぎわったようだ。
このような国民の祝日は、1月1日の「元日」から12月23日の「天皇誕生日」まで、1年間で15日定められている。かつては、「旗日」と呼ばれ、家々の玄関に日の丸の旗を掲げて祝ったものだ。
それもそのはず、祝日法の目的規定によると、「…日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築き上げるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを国民の祝日と名づける」とある。

この法律では、一つ一つの祝日の意義を記している。例えば、「建国記念の日」(旧紀元節)は「建国をしのび、国を愛する心を養う。」日であり、「昭和の日」(旧昭和天皇誕生日)は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日といった具合だ。

ちなみに「勤労感謝の日」は、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日だ。元来、11月23日という日は「新嘗祭」=天皇家の収穫祭の日である。新嘗祭は天皇陛下が自らその年の収穫を神々に感謝される儀式で、宮中祭祀の中でも最も重要な行事だ。国民もこぞって、豊穣への喜びを表するべきだろう。
(今年は陛下がご病気のため、祭祀の専門職である掌典長が代拝した。今はしっかりお休みいただき、天皇誕生日にはお元気な姿を見せていただきたい。)

いつの間にか祝日が単なる休日になってしまった感があるが、我々日本国民は、もっと祝日の意義を知り、祝賀しなくてはならない。それは日本の伝統文化を尊重し、誇りを持つことに他ならない。

平成18年の教育基本法改正では、教育の目標に「愛国心の醸成」をどのように盛り込むかが大きな論点となった。結局「…我が国と郷土を愛する…態度を養うこと」という表現に落ち着いたが、要するに国を愛すること、先人が築いてきた伝統文化の尊重が大切であることを子どもたちにしっかりと教えなくてはならないということだ。
改正からまだ5年ではあるが、学校や家庭で、国と郷土を愛する態度はどのように教育されているのだろうか? いささか不安を感じざるを得ない。

マキャベリは、君主論のなかで「自らの安全を自らの力によって守る意思を持たない場合、いかなる国家といえども、独立と平和を期待することはできない。」と論じ、傭兵主体(=他人頼み)のフィレンツェの防衛体制を批判している。
都市国家が林立していた中世のイタリアとは時代背景が異なるとはいえ、国家、国民という概念がある限り、愛国という概念も存在するのが当然だ。それは、人類であれば誰でも備えている家族を愛する心、地域社会、故郷を愛する心の延長線上にある。

沖縄の米軍基地問題の根源もこのあたりにあるのかもしれない。
仮に「愛する我が国土の防衛は自衛隊が責任をもって成し遂げる。アジアの安全保障も任せてもらいたい。故に米軍基地は不要である。」という理屈であれば、米国も納得せざるを得ないだろう。

しかし、今の日本にその覚悟はなく、米軍の協力なしでは日本の防衛は成りたたないのが現実である。(もちろん、沖縄に多大な負担をかけている現状は改善しなければならないが…)にもかかわらず、米軍基地を一方的に迷惑施設扱いするのはいかがなものであろうか。
防衛は米国頼り、基地の存在も拒否、でも平和は欲しいという虫の良い願いは、そう簡単には叶わない。

何も自衛隊の増強を主張しているわけではない。通商交渉や領土交渉などの外交も一種の戦いであり、そこに臨むには「愛国」という意識が不可欠である。
誰もが故郷の伝統文化に誇りをもち、誰もが日本を愛する心を持てるように、まずは、祝日に国旗を掲げる運動から始めるのも一つの方法かも知れない。

アジアとの絆

先週、ブータン王国のジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王とジェツン王妃が、日本に爽やかな、ほほえみの風をもたらした。
夫妻は先月結婚されたばかり。結婚後はじめての外遊に新婚旅行も兼ねて日本を選ばれたという。日本にとっても、東日本大震災後初めての国賓の受け入れとなった。

インドと中国の間のヒマラヤ山嶺に位置するブータンの面積は九州とほぼ同じ、人口はわずか70万人の小国だ。
だが、国の豊かさは面積や人口や経済力で決まるものではない。どんなに経済規模が大きくても、住民一人ひとりが日々の暮らしに満足し、生きることの幸せを感じていなくては、豊かな国とは言えない。

ブータンは、そういった心の豊かさを重んじ、国民総幸福量(GNH)という尺度を作りあげた国として有名だ。
自然環境と共生し、伝統文化の遵守を重視する政策は国民に浸透しており、ブータン政府が実施した国勢調査では、「貴方は今幸せか」という問いに、国民の96%が「幸福だ」と答えているという。(あやかりたいものである。)

この国は大の親日国でもあり、国連等での決議において常に日本を支持してもらえる友好国でもある。皇室との関係も深く、昭和天皇がご逝去された時には、国民全員が喪に服したともいわれている。
親日の心は、17日の国王の演説からも強く感じられた。国家元首の国会演説を拝聴する機会は何度かあったが、今回ほど心に響く演説はなかった。

国王は日本人について、「名誉と誇り、規律を重んじる国民、誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへの願望をもって何事にも取り組む国民、知行一致の国民、兄弟愛や友愛、揺るぎない強さと気丈さを併せ持った国民であると認識してきました」と述べられた。

さらに、「卓越性や技術革新を体現する日本、偉大な決断と業績をなしつつも静かな尊厳と謙虚さを兼ね備えた日本国民、そして他の国々の模範となる国から、この世界が非常に大きな恩恵を受けるであろう」とつけ加えられた。そして、
「日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が日本国民の偉大な業績と歴史を反映するに際して、ブータンは、皆様を応援し支持して参ります。」とも語られた。

この賛辞は、外交辞令などではない。日本人が歴史と伝統の中で育くんできた精神的価値に対する、心からの賞賛なのだ。東日本大震災の被災者の皆さんの姿を目にして「神話でなく現実だ」と思われたとも。
私たちは、この小さな美しい国の期待に応えなくてはならない。

ブータンに限らずアジアには、日本に好感を持つ国々が数多い(中国や北朝鮮はともかく…)。それは、我が国が欧米の支配を受けず近代化を果たし、アジア諸国に進むべき道を示してきたからに他ならない。

今回の演説から、アジアとの絆を尊重し、アジア全体の利益を極大化するリーダーとして、日本の役割と責任の重さを改めて自覚させられた。
それとともに思い出したのが、私たちが経済成長のなかで忘れかけてきた自然との共生、調和を重んじる「和の心」の大切さだ。

国王からは、「友愛」や「謙虚さ」等々を日本の美徳として褒め称えられたのだが、これらの道徳心はむしろブータン国民から学ばなくてはならないのだろう。
雨中の金閣寺訪問で、有馬住職に寄り添い、やさしく傘を差し出されたご夫妻の姿。あのような自然な美しい立ち居振る舞いを、私たち日本人も再認識して身につけなくてはならない。

国賓をおもてなしする宮中晩餐会よりも、身内の政治資金パーティを優先する閣僚がいたことは、残念でならない。
「国民は一流でも政治は三流」と言われないよう、心しなくてはと思う。

誠心誠意

TPP参加に向けての政府の意思決定は、予算委員会の審議を避けるかのように一日先送りとなり、「TPP交渉参加に向けて、関係国との協議に入る」との表現で結着した。
大和言葉では玉虫色の解釈がなされているが、APEC首脳会議での英語による表現は明瞭(「decision to join talks on establishing the TPP」?)であろう。(残念ながらこの原稿記載時点では正確な表現は不明…)。
前号で“参加を是”とする意見を表明した私としては、一定の評価をしたいと思う。この判断が、アジア太平洋の新経済秩序を築くための第一歩となることを期待したい。

それにしても、民主党のTPP反対派の往生際の悪さはいかがなものか? 菅直人前総理がいつ辞めるのか、辞めないのかを巡って繰り広げられた、初夏の内紛が思い出される。
これで、同一の政策目標を掲げる一つの政党と言えるのか? 非常に疑問である。

加えて、民主党政府がTPP問題を初めて取り上げたのは、もう1年も前。横浜でのAPECを前に、前総理が唐突に参加協議開始を表明してからだ。それから1年間、何の説明も、吟味もないまま無為に時間を過ごし、会議直前になって大騒ぎとは…。
東日本大震災が起きたとは言え、政権与党として大いに反省すべきだろう。

TPP参加問題がひとます落ち着いた今、次なる最重要課題は税と社会保障の一体改革だ。

先週、生活保護受給者数が過去最大の205万人を記録したとの発表があった。これはこれで大変な問題だが、生活保護費の給付額は3兆円強である。これと比べて年金は50兆円、医療保険は30兆円、介護保険は10兆円だ。(いずれも概数)しかも、年々兆円規模で増大している。

総理は11月4日のG20で、国際社会に消費税率の10%への引き上げを表明されたが、そのサミットで議論の中心となったのは、ギリシャやイタリアの財政構造である。
もちろん増税で収入額を確保することは必要不可欠だが、支出面=社会保障給付額の増嵩を放置していては、財政構造の改善は覚束ない。

国政を担う者の責任として、消費税増税と社会保障改革の具体的手順を一日も早く国民に示し、早急に議論を始めなくてはならない。
そして改革に向けた与野党協議に入るためには、財政構造の実態を無視した民主党マニフェストの総括(国民への説明)が必須だ。

にもかかわらず、先日の予算委員会における論戦。茂木政務調査会長が、この夏まとめられた「民主党マニフェストの統括」の問題点を鋭く指摘した質問への答弁を聞いても、政府民主党はいまだに理由にならない言い訳(税収減、ねじれ国会、東日本大震災)を続けている。

いいかげんに、かつての自己主張の正当化をあきらめ、素直に「野党だったから情報不足で見通しが甘かった」と認めれば、与野党協議は大きく前進する筈だ。
野田総理は、マニフェストの総括について正面から向き合い、党代表として改めてケジメをつけるべきだ。

それが「誠心誠意」ということだと、改めて私は言いたい。

TPP

TPP交渉への参加の賛否を巡る議論が政界を揺さぶっている。
正式名称は環太平洋経済連携協定(trance-pacific partnership)。要するに太平洋を囲む国々が、今後の経済連携のあり方、貿易や投資のルールをどう組み立てていくかという交渉だ。
既に米国、チリ、ペルー、シンガポール、マレーシア、ベトナム、ブルネイ、オーストラリア、ニュージーランドの9か国で交渉が始まっている。この議論に参画することを巡って、賛否が真っ二つに割れている。

人口が減少し、国内需要が縮小する我が国が成長を続けるためには、グローバル経済のなかで新興国の活力を取り込むことが不可欠である。その前提となるのが、自由で公平、公正な市場ルールの構築であることは論を待たない。

何もTPPで無くとも良い、バイラテラル(bilateral二国間)のEPA(economic partnership agreement経済連携協定)、FTA(自由貿易協定free trade agreement)でも構わない。とにかく、新興国との自由貿易のルールの確立無くして日本の経済成長は、覚束ないだろう。(まさか、今さら鎖国的政策により、国内に縮み込むとういう選択はあるまい。)

世界の工場の座は、既に中国、東南アジア諸国に譲った。これからは量よりも質で勝負する時代、我が国経済のよりどころは、知的財産権の確立と活用だ。
強烈な円高に打ち勝つためにも、他の追随を許さない技術、知恵を磨くとともに、その価値を世界共通のものとして確立しなくてはならない。

TPPで米国と日本が連携し、ルールを作りあげれば、それは世界経済の4割を占める原則となり得る。
我が国の強力なライバルとなった韓国は、既に開国政策に積極的に取り組み、米国やEUと自由貿易協定を締結している。
出遅れを挽回し日本がアジアのリーダーとして世界と勝負するには、TPPを通じて、国際ルールの構築に積極的に参加するべきである。

決して受け身になってはならない。ルールを作れるのは、ルール作りの場に参画した者だけなのだ。
既に遅きに失した感はあるが、最終リミットは11月12日からハワイで開催されるAPECだ。この機会を見過ごせば、我が国は、他人が作ったルールを飲むか飲まないかの選択しか許されなくなる。

農業に従事される方々もおそれることはない、安全安心な日本のコメや野菜はアジアの市場で高値で取引されている。良質の農作物を作れば、農業も新たな輸出産業となることができる。
TPP協議への参加をピンチでなくチャンスと捉え、競争力のある強い農業への構造改革を目指すべきであり、政府はその為のあらゆる政策を講ずるべきである。
まずは、バラマキ所得補償制度を再構築し、かつての自民党政権時代の路線のように大規模専業農家の育成をめざすことだ。

今回のTPPに関する議論は、政府からの情報提供があまりにも少なく、国内に多くの不安をもたらしている。関係者の不安を払拭するためにも、政府はしっかりと説明責任を果たさなければならない。

残された時間は限られている。攻めの通商政策、攻めの農業政策を立案することこそ、国益に通ずる。
アジア太平洋の発展のために、TPPへの早期参画を契機に、日中韓のEPA、ASEAN諸国も含んだ広域自由貿易体制を早急に確立しなくてはならない。
その為にも、今週から始まる予算委員会で政府は説明責任を果たし、国民の不安を取り除いて欲しい。
野田総理の本気度をしっかり見極めたいと思う。