政権を担う責任

消費税率引き上げ関連法案の閣議決定をめぐって、いつものとおり民主党内で喧々諤々の議論が繰り広げられている。昨年末に決定された大綱素案を法案化するだけの作業なのだから、それ程時間のかかる議論ではない筈なのにである。

つい先日、2月末の党首討論で「51対49でも決断するのが政治である」という、キッシンジャーの語録を持ち出し、勇ましい発言をしていた野田総理にしては意外な引き延ばし作戦に映る。税率再引き上げを表記するかどうか、引き上げに足かせをかける景気動向の条件をどうするかといった小手先の微妙な表現の違いで延々と時間をかける様は、いかにも議論を尽くしたかのような痕跡を残すためのアリバイづくりにしか見えない。
最後は執行部が一任を取りつけ、3月中に法案を提出したという形を整えるのであろが、こんな時間の無駄遣いはいい加減にやめにして欲しい。
「法案成立に命をかける」といった大げさな発言をするのであれば、その前にサッサと民主党内の反対派を切り捨て、閣議決定すべきだろう。

週末にも予想される閣議決定では、またまた国民新党との妥協か決裂かのショーが演じられるのだろうが、それはどうでもいいことだ。国民新党が連立を離脱しようがしまいが、法案成立には大して影響はない。

それよりも、次に問われるのは我が自民党の対応であろう。
「自民党は消費税引き上げ法案に賛成すべきか?」 私が議員バッジをつけていれば、間違いなく賛成に一票を投じるであろう。
確かに野田政権を解散に追い込むことだけが目的であれば、民主党内の増税反対派と手を組み法案に反対し、内閣不信任決議案提出に持ち込むのが手っ取り早い手法かもしれない。
しかし、それで、「決められない政治体制」が変わるだろうか? 政党は、与党になれるかどうかという短絡的な政局目的で争うのではなく、自らの政策が実現できるか否かの是々非々で政策議論を展開すべきなのだ。

何度も取り上げているが、平成21年の所得税法改正で附則104条に「23年度中に消費税の引き上げを含んだ税制の抜本改正の方向性を示す」ことを盛り込んだのは、我が自民党政権である。現に与党であるか野党であるかにかかわらず、この責任は果たさなくてはならない。しかも、一昨年の参議院選挙でも、消費税率の10%への引き上げを公約に掲げている。
今回の消費税率引き上げ法案の成立は、これらの政策、主張の実現に繋がるものである。どうして反対、否決する必要があるのだろうか?

我が党内にも「上げ潮派」(=経済成長による税収増を急ぐべき)と「財政再建重視派」(=まず増税により財政均衡を急ぐべき)との対立は常にある。私はどちらかというと後者に属するのだが、この主張は程度の差である。対立を乗り越えて、党内の意見を調整できたからこそ、所得税法附則や参議院選挙公約に消費増税方針を盛り込んだのだ。

一方の民主党はどうか、選挙公約=マニフェスト策定に際して、このような政策の本質論議ができていないがためか、政党の体を成さない党内抗争を何度も見せられている。TPPの賛否を巡っても、普天間基地の扱いにしても、そうだった。いずれ近い将来、原発の再稼働を巡っても民主党内の議論が沸騰するのだろう…。

政治に対する国民の信頼を回復するためにはこれでは困る。民主党は政権与党として、党内の意見集約のルールを再検討する必要があるのではないか。そして、我が自民党も含め各党が党としての考えを明確に提示し、議論を重ね、国家としての合意を形成する。そんな国会審議のあるべき姿を早急に実現しなければならない。

そうでなければ、「決められない政治」との批判を払拭することはできない。
政治への信頼回復も望むべくもないし、政党離れは加速され政党離れも阻止できないだろう。
永田町の皆さんは、もっと危機感をもって事に当たって欲しい。

梅の香りに

三寒四温の語のとおり寒暖の繰り返しのなかで、厳しかった今年の冬も漸く終わりを告げたようだ。我がまちの曽根天満宮も遅ればせながら梅花の見頃となり、甘い香りが境内に満ちはじめてきた。例年は2月の終わりに満開になっていると思うから、季節の移ろいが半月ほど遅れている。
この曽根町の住民のよりどころである天満宮。学問の神様であり「飛梅伝説」の主でもある菅原道真公ゆかりの神社である。

道真の家系は、祖父も父も詩歌や歴史の「文書博士」(もんじょはかせ)。今で言えば東大文学部の教授といったところだろうか。道真自身も学問に励み、若くして当代随一の学者となり門下生100名を率い国史の編纂に勤しんでいたという。
それが当時の国家元首、宇多天皇のブレインとして、いわば藤原氏の対抗勢力とすべく学界から政界に引き上げられ、やがて政争に敗れ太宰府に追いやられることになる。

その左遷の旅の途中に、この曽根の地に立ち寄り、日笠山に登られ「我に罪無くば栄えよ」と祈りを込めて小松を植えられた。このお手植えが初代曽根の松となり、曽根天満宮の起源となったという。今を遡ること1100余年、平安中期の延喜元年(901年)のことである。

今の季節、天満宮の境内には合格祈願の絵馬が鈴なりとなり、本格的な春の訪れを待っている。奇しくも今日(19日)は、兵庫県立高校入試の合格発表日。叶った願いもあれば、届かなかった願いもあるだろう。

しかし、高校にしろ大学にしろ入学試験の合否は終着点ではない。学舎は人生の夢を叶えるための知識、技能を習得するための通過点だ。大事なことは何を成すために何を学ぶかであり、本来どこで学んだかは問題ではないだろう。誰もが皆、普通科の高校を目指し、大学に進学する必要はないはずだ。

学校に限らず、日本の社会経済システムは画一化されすぎ、一つの尺度で物事を判断しすぎている感がある。欧米へのキャッチアップのため、工業化社会で効率的に経済成長を遂げるためには、それが正解であったのかもしれないが、どうも今の時代に適合しているとは思えない。

例えば学制は、戦前の方がずっと多様性が確保された複線型だった。6年間の小学校の次は、2年間の高等小学校、5年間の中学校や高等女学校、実業学校が選択できた。その先も高校、大学専科、師範学校、大学、専門学校等々、人生の目標に応じて多様な選択肢が準備されていたし、個人の能力に応じて飛び級も可能だった。
もう一度、この時代の制度を再評価する必要があるのかも知れない。

今年1月、東大が秋入学への移行方針を打ち出してから、全国の大学で入学時期の議論が始まった。行政ではなく学校サイドからこういう提言が発せられるのは好ましいことだ。世界の高等教育機関と競争しようという意気込みの現れだろう。
様々な仕組みが存在すれば、それだけ選択肢が増え、競争が促進される。何も全国画一である必要はないのだ。

今や世界を土俵にした競争が求められる時代である。行政は公平な競争が維持される土俵を準備すればよい。大学の入学時期が春か秋かなどということは政府が決める必要はない。6・3・3・4の教育制度にしてもそうだ。

道真は左遷の2年後、九州の地で一生を終えるが、後に天神様、学問の神様として神格化され全国各地に天満宮として祀られている。死後とはいえ、藤原氏に再逆転勝利したともいえる。
一度敗れても逆転する機会が与えられる社会、一度や二度の失敗は良き経験として糧にできる社会。そうでなければ真に公平な社会と言えないのではないだろうか。

大震災から1年

1万9千余の命を飲み込んだ東日本大震災から1年が過ぎ、各地で追悼行事が行われた。改めて犠牲者のご冥福と被災地の一日も早い復興を祈りたい。
被災地からの報道番組を見るにつけ、復旧復興は遅々として進んでいないという感を強くした。福島第一原発周辺地域に至っては未だに発災状況にあるとも言える。戻るべき土地を定められない被災者の悲壮な叫びは、遅れと言うよりも停滞を訴えているのではないだろうか。

確かに本格的な復興予算が編成されたのは昨年11月、そして復興庁が設置され、復興交付金の手続きが始まったのはこの2月。それぞれ被災から8ヶ月、11ヶ月もの月日が経過した後のことだ。
この遅れの最大の原因は、時の菅総理が大震災を政争の具としてしまった点にある。まずは、災害対策予算と当初予算を抱き合わせにし、野党に丸呑み大連立を迫り、後には「(災害復旧に)一定の目処がつくまでやめない」とう詭弁を盾に退陣を拒んだ。これらの行為により徒過した日時に対する責任は重いと言わざるを得ない。

しかし、今さら過ぎ去ったことを責めても仕方がない。我々は将来に向かって、大震災から何を学び何を成すべきか。

第一には、言うまでもなく被災地の早期復興を成し遂げることである。
カギを握るのは産業の再生と安全なまちづくり、そしてその障害となっているがれきの撤去だ。
復興を加速するはずの包括交付金の評判がすこぶる悪い。国の査定が厳しく自由に使えないとのことだ。阪神・淡路大震災の際には総額9000億円の基金を地方に積立て、その運用益を活用する形で迅速柔軟にきめ細かい支援策を講じることで対応した。
今回の解決策は思い切った権限の移譲と規制緩和だろう。政府は復興庁まで設けたのだから、権限を徹底的に現地事務所と地方自治体に任せることだ。

もう一つ、山のごとく積み上がった廃棄物の処理には野田総理の提言のとおり全国の協力が不可欠となる。避災地からがれきの姿が消えない限り、復興の姿は見えてこない。
国が前面に出て全国自治体に呼びかけ、早急にがれき処理を進めなくてはならない。

第二に、政府の危機管理体制の再構築と強靱な国土構造への改造が必要だ。
発災当初、首相官邸に集まった数百名の各省庁の官僚は、誰に指揮監督権限があるかも定かでないまま無為に時を費やしていた。
誤った政治主導が混乱を助長したとも言えるが、省庁間の横断調整の手法、少なくとも、自衛隊、警察、地方自治体(消防)の連携方法と役割分担は日頃から確立しておく必要がある。

さらには、国土構造の改編も必要だ。大震災当日の数多くの帰宅難民の発生は、過度に機能が集中した首都東京の脆弱性を証明した。関東を直撃する災害を想定すると、いつでもその機能を代替できる都市が複数存在する複眼的国土構造を構築することが望ましい。

第三には、未来に引き継ぐ「災害文化」の確立だ。
台風による水害は毎年のように襲ってくる。しかし、百年千年に一度の大地震の経験は、二世代三世代と時が経過するとともに実感が失われてしまう。
さらに科学技術の進歩が自然に対するおごりを招いた。防潮堤や防波堤があれば津波を防ぐことができるという過信が生じていたのではないだろうか。明治や昭和の大津波にもか
かわらず、海辺の平地にまちを再興してきた三陸の歴史がそれを証明している。

我々は、今回の災禍を契機に、自然に対する畏敬の念を“文化”として確立しなくてはならない。人類は大自然の中で生きている小さな存在であると言うことを心に刻み、子々孫々に受け継ぎ、世界に発信して行かなくてはならない。

有史以来、日本は何度も何度も大震災に襲われてきた。その度に我々の祖先は苦難を乗り越え、復興を果たしてきた。だからこそ我々が存在し、今日の日本がある。
そして、これからも大災害は日本を襲うだろう。地震だけではない、台風も、噴火も…。。しかし、その都度たくましい復興を支えるのが我々日本人に受け継がれた遺伝子“絆”だ。
今回の被災地“東北”も必ず復興する。この一年間の苦難の日々を通じて、日本一強い“絆”の存在が確認されているのだから。

科学技術政策の立て直し

昨年、31年ぶりに貿易収支が赤字となった日本。確かに東日本大震災や急激な円高が、収支悪化を加速したのは事実だが、その凋落は長期的な傾向だ。
明治維新以来、永らく日本経済の基調となってきた加工貿易=原材料を輸入し、製品に加工し、輸出で稼ぐという仕組みが大きな曲がり角を迎えていることは間違いない。

我が国が、将来的に持続発展可能な社会を実現するには、新たな成長モデルを構築しなければならない。天然資源に乏しく、しかも人口が減少していく日本がこれからも繁栄を維持するために、今こそ国是として科学技術を振興しその成果を活用する「科学技術創造立国」を実現しなければならない。

以前、この稿で取り上げた「SACLA」(※X線自由電子レーザー)が3月7日から本格稼働を始める。この施設の価値を一言で説明するのは難しいが、オープニング式典で理化学研究所の野依理事長が「日本の誇り、ナショナルプライドだ」と発言された。このノーベル賞科学者の言葉が示すごとく重要な研究開発施設ということだ。
※太陽光の1千京倍という極めて明るい光で、原子レベルの動きを観察できる

秋には、世界最速のスーパーコンピュータ「京」も共用を開始する。
これらの施設は、国家基幹技術プロジェクトとして開発してきたものであり、性能は世界に誇るレベルに達している。しかし、この開発レベルを維持し、巨費を投じた施設群を使いこなしていくことはそれほど簡単ではない。

一つは、人材の問題。
前述の野依博士をはじめ、小柴、田中、小林、益川、田中、下村、鈴木、根岸、南部(国籍は米国)と、今世紀に入って日本人ノーベル賞受賞者が続出している。しかし、その研究成果の多くは、数十年の継続によるものだ。それだけ持続的な、粘り強い努力が必要という証だろう。

このハイレベルの研究力が今後も維持できるかというと、少々心許なくなる。
科学論文数はこの10年間に米英に次ぐ3位から中独に抜かれて5位へ転落した。
論文の質を判断するメルクマールである被引用度も、OECDや同盟国の中で日本は21位にとどまる。知的財産確保の手段である特許出願数も2010年には中国に抜かれ3位となった。
科学技術の水準を支える高等教育(大学、大学院)の国際比較でも、2011年世界大学ランキング200傑では東京大学が30位、京都大学が52位といった状況である。

子どもたちの「理科離れ」が叫ばれてから久しいが、この解決には科学の楽しさを幼少期から教えることこそ重要だろう。何もすべての子どもに難解な数学、理科を学ばせる必要はない。あらゆる分野で個性を伸ばす教育、競争を肯定し、出る杭を伸ばす教育こそが求められるのではないだろうか。平等に重きを置きすぎた「ゆとり教育」は、高度な人材育成という意味では大きなマイナスであったとも言える。

もう一つの課題は、科学技術政策の総合調整能力と戦力性の欠如だ。
日本が「科学技術立国」をめざすためには、国を挙げての戦略が必要なことは言うまでもない。文部科学省(旧科学技術庁)だけがいくら頑張っても、成果は得られないのだ。

このため、平成13年の省庁再編で内閣府に総合科学技術会議が設置され、この会議が企画立案する基本方針の下に研究開発が行われることになった。しかし、まだまだ、各省庁が提案する研究開発予算を調整する役割から抜け出せていない。(永年科学技術政策に携わって来た私としても、自らの非力を恥じなければならいが…)

ただし、法的枠組みの上では、総合科学技術会議には国家戦略会議と同じく、国の重要基本政策の立案の役割を与えられている。要は運用方法であり、政治が強い意志を示せば、より強い権限を発揮し、国家目標を定め、各省庁のみでなく学界、産業界も含めて集中投資を行うような仕組み、戦略と呼ぶにふさわしい方針を策定できる筈なのである。

現在の情況、世界ナンバーワンを目指さないような科学技術政策(?)が続くのならば、我が国は厳しい国際社会の競争に勝ち残ることはできない。TPPを始めとするEPA(経済連携協定)により、知的財産を取引する国際ルールを確立することも急務だ。

日本が新たな地平を切りひらくため、今こそ「世界ナンバーワンの科学技術創造立国」の実現に向け、全力を傾注すべきときだ。