後の祭り

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秋の訪れとともに、今年もまた播州路に祭りの季節が帰ってきた。 我が曽根天満宮の秋季例大祭は、10月13、14日。自宅の界隈は数週間前から、太鼓や囃子あわせの音で充ち満ちている。町内の通りのそこかしこに、提灯と紙垂(しで)飾りがつけられ、否が応でも祭り気分は盛り上がる。 曽根天満宮の由緒は、延喜元年(901年)、菅原道真公が冤罪で九州大宰府に流される途中に、伊保の港から曽根の地を訪れ、日笠山の山上で「我に罪無くば栄えよ」と祈って小松を植えられたことによる。今から千百年前のことである。 お社の祭事は室町時代初期から始められたと言われるが、今のように締込み姿の若い衆が絢爛たる屋台を練り歩くようになったのは江戸時代、天保年間(1830~1843年)の頃からのようだ。播州地方のどこの社も同じような歴史を持っているだろう。我らが故郷の秋祭りは、ざっと200年間、毎年毎年、連綿と練り続けられてきたのである。 一方の我が国の政(まつりごと)の状況はどうか? 自民、民主のダブル党首選も終わり、それぞれ新執行部が誕生し、政府は第3次野田改造内閣が発足した。体制が整い「いざ、総選挙か」、「臨時国会の論戦開始か」と思いきや、永田町は未だに閉店状態が続いている。 臨時国会の召集どころか、未だに与党から党首会談の呼びかけさえ行われていない。原発の是非をめぐるエネルギー政策も、領土を巡り紛糾するアジア外交も、消費税引き上げのためにも必要なデフレ対策も、いずれも中途半端で方針も定かでないまま放置されている。 その上許し難いことに、重要閣僚の一人は「法案審議の目処がたたないなら、国会を開く意味がない」と言い放ち、民主党内からは「臨時国会を開けば解散に追い込まれるから、開かない方が良い」との不謹慎な声が聞こえて来る。与党民主党の立ち居振る舞いには、国民そっちのけの「保身」しかないように思える。 野田総理や民主党幹部が、“国民生活に重大な影響が及ぶ”と言っていた赤字国債発行による「特例公債法案」の成立を先送りしてでも、…