16日解散!

11月14日、国会で行われた自民党安倍総裁等との党首討論で野田総理は、特例公債法案成立協力のほかに、小選挙の“一票の格差”是正のための「0増5減」と比例議員定数削減などを盛り込んだ衆院の選挙制度改革を提案し、今国会成立への協力も要請した。
また総理は、今国会で「0増5減」のみの定数削減が成立した場合でも、来年の通常国会で更なる定数削減を必ずやり遂げることとし、それまでは議員歳費を2割削る「身を切る改革」の確約を求めたうえで、“16日に解散します”と宣言。
安倍自民党総裁と山口公明党代表は、総理の提案に全面的に協力する意向を遅滞なく表明するに至り、夏以降流動的であった政局は一気に解散へと流れた。

8月8日に民自公3党首会談で交わされた「近いうちに信を問う」という約束は、私は必ず実行されると信じていた。その約束を果たす条件でもあった①赤字国債発行のための特例法案成立、②衆院小選挙区「一票の格差」是正、③社会保障制度改革国民会議設置の3課題先行解決を、私はこのコラムで再三にわたり主張してきたし、自民党の執行部にも訴えてきた。

解散総選挙が取り沙汰され政局の緊迫度が増すなか、私のところへは自民党中枢から国会対応を巡る相談ごとや水面下の情報分析などが、次々と伝えられて来てはいた。今回の党首討論は野田総理から直々に申し込まれたものだが、自民党首脳は解散に関してある程度の明示や少し踏み込んだ言及があるかもしれないと予想はしていただろうが、「16日解散」が明言されるとは、よもや思ってはいなかったようだ。

野田総理に早期解散を決断させたのは、約束を違えて嘘つき呼ばわりされることへの反発かもしれないが、それ以上に民主党内の「野田おろし」を封じ込める狙いがあったかもしれない。事実、13日の民主党常任幹事会で「年内解散絶対反対」の意見が続出し、総理はその一部始終や公然と辞任を求める党内の雰囲気などを輿石幹事長から伝達されていた。

それにしても今回の民主党内の一連の動きは、甚だ疑問である。
8月に「近いうちに信を問う」と国民に、そして公党間で約束した野田代表を、9月の民主党代表選で圧倒的多数で支持し、再選させたのは一体誰なのか!民主党議員の皆さんではないか。
それなのに、今回の解散反対や姑息な「野田おろし」に至っては、最高の公人である日本国総理が約束したことに、こともあろうに政治信条や政治活動を同じくする同志がケチをつけたことになるのではないだろうか。

いずれにしても、もう時計は元に戻らない。いよいよ政権奪還にむけた総選挙である。
今回の選挙で求められることは、わが自民党の政策を正攻法で一心に国民に訴えていくことに尽きる。
議席奪還にむけ、信じるところを愚直に訴えていく所存だ。

秋の夜長…part3…イソップ物語

自民党は、「年内解散の確約がなければ国会審議に応じない」という強行路線(北風路線)から、野田総理が解散の条件としている3課題の解決に協力する方向(太陽路線)に作戦を転換した。
総理が「近いうち」の次に掲げた解散時期の条件は、①赤字国債発行のための特例法案の成立、②衆院小選挙区「一票の格差」是正、③社会保障制度改革国民会議の設置の3課題が処理できたとき、である。「近いうち」が3ヶ月以上の期間を指すとは予想できなかったが、まさか、3課題をクリアしたら「実はもう一つ課題がある」と言われることはあるまい。(これまでの民主党の振る舞いを見ていると完全に否定はできないが…)

私はこのコラムで一貫して太陽路線を主張し、兵庫県第10選挙区支部長として、永田町の執行部に再三にわたり訴えてもきた。今回の自民党の路線転換を率直に歓迎したい。

民主党政権は、「野党が反対する。審議をボイコットする。だから、重要法案がたなざらしになって国民生活が犠牲になる」と主張し、自らの無策を野党に責任転嫁してきた。
政策実行の第一義的な責任を負っているのは与党である民主党である。それなのに重要法案成立に全く無頓着、何ら新提案を行う努力もせず、野党のごとく相手(自公)の批判を唱え続けるだけだ。
いつまでも野党時代の悪癖がとれず、自ら解決策を生みだす知恵が浮かばないのか? それとも、単にできるだけ衆院選を先延ばしして、保身を図りたいということなのか?

かつて、我々自民党が与党時代、理不尽な野党民主党の攻撃をしのぎ、政策を前に進めるため、懸命に知恵を絞り妥協策を提示してきた。
だが、今の民主党に与党としての振る舞いが期待できないのであれば、我々自民党は、たとえ野党であっても、我が方から解決策を提示する方法(太陽路線)で政局混乱の事態収拾を図るべきである。そのことにより、責任政党の手本を民主党に示すのが、永年政権を担ってきた自民党の採るべき選択であると強く思う。

「北風と太陽」は、ご存じのとおり有名なイソップ寓話の一つ。寓話の起源は、紀元前6世紀に遡ると言われる。それが西洋のキリスト教文化の中で受け継がれていくうちに、単なる娯楽的な物語から道徳観を示す教訓集としての意味合いも備えてきたようだ。
江戸時代初期には日本にも伝わり、「伊曽保物語」として普及した。明治以後には、修身教科書の素材として、童話として、広く親しまれるようになった。「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」「北風と太陽」など、誰もが知っている物語だ。

その一つに「オオカミ少年」がある。
人は嘘をつき続けると、たまに真実を言っても信じてもらえない。常日頃から正直に生活することが必要な時に信頼と助けを得られる、という訓話である。
たとえ嘘をつく意図はなくとも、結果が得られない言葉が山積すれば、嘘をついたのと同じ効果が生じ、誰も発言を信頼しなくなる。

政治は結果責任だ。
民主党の議員諸君には、この寓話の意味するところを噛みしめて欲しい。
嘘を承知で前回衆院選のマニフェストを作ったとは言わないが、実現できないマニフェストに結果責任を感じ、猛省して欲しいものだ。
苦しい弁解をしているだけでは、政治の信頼回復は望めない。

それにしてもイソップ物語には、時を超え今の世にも通用する教訓が多いと改めて感じた。
今は読書の秋である。
秋の夜長、童心に返ってじっくりイソップ物語を読みふけるのも良いかもしれない。ただ、解散風が吹き始めた今、私にはそんな時間の余裕はなさそうだ。

秋の夜長…Part2

「いじめ」「殺人」「不況」など、社会的に暗い話題がおびただしいなかで、北海道から心温まる話題が届いた。
ばんえい競馬で活躍してきた“中高年の星”ゴールデンバージ号(15歳)の引退のニュースだ。馬の年齢は、人間の約4分の1という。競走馬がデビューする2歳は人間で言えば8~10歳、ゴールデンバージ号の15歳は60歳の還暦に当たる。ばんえい競馬では、もちろん現役最年長馬だった。

「ばんえい競馬」は、我々が普段目にしている競馬とはちょっと様相が異なる。出走する馬たちは、サラブレッドやアラブ系のスマートな馬ではなく、体重1トンにもなる農耕馬=ばん馬だ。そして、コースは全長200mの直線で、途中に二つの小山を越えなくてはならない。その障害コースを騎手と500キロから1トンもの重しを乗せた橇(そり)を曳いてスピードと持久力を競うのだ。ゴールインは、鼻面ではなく橇の末尾がラインを越えた時点である。この世界的に見ても類例のない形態の競馬は、かつて、北海道開拓期から農閑期の余興や催し物として道内で広く行われ、公営競馬場も数カ所にあったが、今や帯広市の「ばんえい十勝」が唯一の公式競馬場となっている。

話をゴールデンバージに戻そう。同馬のデビューは平成11年、以来8年間で31勝を上げたが、加齢による成績不振により11歳で一度は引退し、食肉として処分されそうになっていた。それを相馬眼のある調教師が同馬の持つ底力を見い出し、13歳にして競走馬として再登録した。“中高年の星”として人気を集めるようになったのは、この復帰後、普通であればとっくに競走馬としての峠を越えてから、5勝を挙げたためだ。
「ばんえい十勝」のHPには特設サイトが設けられ、専用のグッズも販売されている。
しかし残念ながら、競走馬にとって致命的な腱鞘炎(けんしょうえん)を患ったこともあり、惜しまれながらも10月28日が引退レースの日となった。

1,000人を超える声援を受けたラストランは、1番人気に支持されたものの、結果は最下位に終わった。声を嗄らして声援を送ったファンからは、「最後まで頑張って走り抜いた姿に感動した。自分もそういう人生を送りたい」「60歳とは思えない強さだった」と、絶賛するコメントが数多く寄せられたらしい。
“中高年の星”という地位を築き、ばんえい競馬の集客に貢献した成果により、殺処分されることなく、今後も牧場で暮らすことになるという。長年頑張ってきたご褒美だ。ゆっくり老後を過ごして欲しいと願うものである。

人生の最終コーナーをどのように生きるか?
数多の人々は想い、悩みそして若い者に任せ、やがて時代の表舞台から去っていくが、政界では80の齢を超えて、自ら先頭に立ち新党結成に走る猛者もおられる。様々な反応が寄せられているが、私はその志を是としたい。

「七十にして、心(こころ)の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」
有名な論語の為政の一文だ。
自由気ままに行動しても、決して人の道を外れることはない。孔子のようには行かないかもしれないが、そんな理想の老人格を形成したいものである。

しかし、これから勝負に挑もうとする私が、こんなことを考えるのは少々早いのかもしれない…。などとも思う秋の夜長だ。