ケネディ

11月23日は“勤労感謝の日”。戦前は “新嘗祭”(にいなめさい)と言われ、新穀の収穫を天皇と国民が一体となって八百万の神々に感謝するだった。
ちょうど半世紀前のその日、翌年(1964年)の東京オリンピック開催を控えて、日米を繋ぐTV衛星中継の初めての実験放送が行われた。

今や全世界が通信ネットワークで結ばれ、あらゆる事象を茶の間のTVやタブレットで見ることができる。地球の裏側ブエノスアイレスから届いた「2020 TOKYO」オリンピック・パラリンピック開催決定の郎報を、現地と同時刻に感激を味わうことができたのは、記憶に新しい出来事だ。

しかし、わずか50年前。「日本に居ながらアメリカのライブ映像を見られる」ということは考えがたい偉業だった。日本中が大いなる関心と期待を持って、宇宙を経由して彼方から送られてくる映像を待ち、白黒テレビに注目した。高校一年生だった私もその一人だ。

その歴史的な衛星放送で映し出されるべき画像は、ジョン・F・ケネディ第35代アメリカ大統領のスピーチのはずだった。が、現実に目の前に流れたのは、世界の英雄JFKがパレード中に狙撃、暗殺される場面。世界を暗闇におとしめる悲報だった。
「輝かしい日米テレビ中継のテストであります。その電波にこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念に思います」。これが海の向こうから届いた第一声である。

当時、新しい時代を切り開く若きリーダーJFKは、政治を志すか否かを問わず我々団塊の世代の憧れの存在であった。

東西冷戦下、1961年は“ベルリンの壁”建設によるベルリン封鎖危機を大空輸作戦で突破。1962年にはソ連が米国の喉元キューバに核弾道ミサイルを配備したことに対し、海上封鎖を断行。米ソ核戦争の瀬戸際の状況から、フルシチョフ書記長との交渉でミサイルの解体、撤去を勝ち取る。
宇宙開発では、1960年代に人類を月に送り込むニューフロンティア“アポロ計画”を指し示し、偉大な国家アメリカの建設に邁進した。

長身で颯爽とした風貌に、聴衆を魅了する名スピーチ。その在任期間は3年足らずであったが、その政治家としての輝く足跡は米国民のみならず世界中の人々に今なお影響を与えている。私も初出馬時のアンケート調査で尊敬する政治家は?との問いに対して、迷わず「ジョン・F・ケネディ」と答えたものだ。

あれから半世紀。その節目の年に、大統領の愛娘キャロライン・ケネディ氏が駐日大使として着任された。初の女性アメリカ大使である。
先週19日、皇居・宮殿で行われた信任状奉呈式に2頭立て儀装馬車で参内するケネディ氏を一目見ようと、沿道には人々が溢れた。新大使も、この歓迎に応えるように、普天間基地の移設に意欲を示し、東北の被災地を訪れるなど、精力的な活動を始められている。

ケネディ大使を巡っては、政治、外交経験の乏しさを懸念する声も聞かれる。しかし、父を始め名政治家を輩出する血統の裏付けは確かであり、オバマ大統領やケリー国務長官との太いホットライン、そして、この一週間で示してもらった行動力は心強い限りだ。
3年3ヵ月続いた民主党政権のドタバタ国政運営で、一時期、日米同盟が大きく傷ついた。その間隙をつかれた形で、中国の拡張戦略が強まり、アジアの安全保障が揺らいでいる。我が国が直面する外交政策は課題山積だが、新大使の活躍によって日米の絆を更に強め、日米協調のもとアジア太平洋の未来を拓いていきたい。

11月14日

昨年の今頃、私は来るべき総選挙に向け日夜地元で活動を続けていた。
朝の駅立ちから始まり、日中は街頭でマイクを握り我が党の政策をアピール。夜は引き続き後援会の会合や地元のイベント参加と、返り咲きを目指し多忙な日々を過ごしていた。

平成21年の政権交代から3年が経過し、その間、鳩山、菅、野田と3代の民主党内閣が誕生していたものの、国を運営するにあたり外交、内政とも能力不足、経験不足、胆力不足を露呈し、山積する内外の諸問題に対処できず、数々の失政を重ねた。
当時の野田政権は衆参のねじれ国会によって何事も決めきれないと揶揄されていた。財政再建を一枚看板に消費税増税、つまり“社会保障と税の一体改革”を掲げ、「近いうち解散」を国民に約束し、民・自・公による3党合意を取り付けたまではよかった。だが、民主党内の激しい抗争により離党者が続出、一方、自民党でも次期首班に直結する総裁選が9月に実施され、夏から秋にかけて政局は解散含みで大きく揺れ動いた。

私自身は長年培ってきた与野党の同僚からの情報で、年内解散総選挙の可能性がかなり高いと予想していたが、解散の主導権を握る政府・与党民主党のなかでは世論調査動向の分析を通じて厭戦気分が広がり、総選挙は早くとも年明け、通常国会冒頭との見方が永田町では支配的だったように思う。

政界では「一寸先は闇」とよく言われるが、その言葉を絵に書いたような事態が昨年の11月14日に起こった。
その日の播州地方は穏やかな小春日和で、稲美町の六分一交差点での街頭広報活動を終えて、午後3時から始まった国家基本政策委員会での党首討論に聴き入った。

カーTVの映像は安倍自民党新総裁がゴールドストライプの勝負ネクタイを締め、高揚感溢れ気味に「(消費税増税法案成立で)私たちは約束を果たした。あとは勇気を持って(解散を)決断してもらいたい」と詰問。それに応える形で野田首相は、「消費税を引き上げる前に国民の皆様に約束して欲しい。特例公債の発行。そして一票の格差是正と国会議員の削減。定数削減は来年の通常国会で成案を得る。それまでは議員歳費2割削減する。約束していただければ、16日に解散をします。やりましょう、だから」と、逆提案。
「いま、首相、16日に解散する(と言った)。約束ですね。よろしいんですね。よろしいんですね」と、いささか興奮気味の安倍総裁。解散総選挙の流れは一気に決した。

光陰矢のごとし、あれから早や1年が経過しようとしている。アベノミクス効果もあり景気指数は回復し出した。今のところ内閣支持率は高く自民党支持率も安定している。
永年のデフレから脱却することが、安倍内閣と連立与党にとって第一の命題である。正に、これからが正念場だ。

昨年の我が党の選挙公約は“「日本を取り戻す」。”
その公約を実現し、もう一度日本を世界のなかで輝く国にしなければならない。
それが「未来への責任」だと、改めて思う今日この頃である。