安保法制論戦スタート

今日、5月26日、今国会最大の争点である安全保障法制を巡る論戦が火蓋を切った。国際平和支援法案(多国籍軍の後方支援を可能にする恒久法)と平和安全法制整備法案(武力攻撃自体法や自衛隊法など10本の現行法を改正)、いわゆる平和安全法制関連2法案の審議である。

現行の安全保障体制の原型が創られたのは、昭和35年の日米安保条約改定時である。当時は戦後15年、主権回復からは僅かに8年。高度成長が始まっていたとはいえ、我が国の経済力は弱小であり、世界は資本主義対共産主義の東西対立の時代であった。

それから半世紀余、国際環境は大きく変動し、国家間、民族間で多様な価値観が併存し、時には対立する複雑な様相を呈している。日本の国力も55年前とは異なる。GDPは世界3位、先進国の一角を占めて久しい。今や米国に庇護される立場に甘んずることは許されず、国際社会で一定の責任も求められていると言っても過言ではない。

軍事バランス的にも米国が世界の警察として、一国で国際平和の維持を担うことは期待できない。国際社会は各国が協調して紛争を解決し、予防する時代を迎えている。このような状況にあっては、いかなる国も平和と安全に対する役割を果たすことが求められる。日本に対する諸外国からの期待は大きい。もはや、個別的自衛権の殻に閉じこもっていては、各国の信任は得られないのではないだろうか。

だからこそ、我が自民党は過去2回の総選挙と一昨年の参院選で、「集団的自衛権の行使を可能とする」と公約し、国民の皆さんに明確に主張してきた。

ただし、そのために「憲法を改正するのか」それとも「憲法解釈の変更にとどめるのか」といった手法については明確に触れてこなかった。解釈変更する場合でも具体的な法案整備に際して、「安全保障基本法」制定といった包括新法形式もあれば、今回の閣議決定のように個別法の改正で対応する手法もある。

この手法論に関する私の基本スタンスは「憲法改正が本筋」というものである。憲法といえども法の一種であり、法は社会規範の集大成であるべきだ。社会状況の要請があれば憲法改正に踏み切るべきである。しかし一方で、現行憲法改正のハードルは余りにも高い。衆参両院の2/3以上の議員の発議により国民投票に付され、過半数の賛成が必要となる。その見通しが全く立ってない現況、切迫する日本列島周辺の情況を考えると解釈変更もやむを得ないと思う。

ただし、解釈変更であっても国民の皆さんの理解を得る必要がある。少なくとも過半の国民が支持しているという状況を生み出さなければならない。直近の世論調査では、安倍内閣支持率は安定的に50%を維持しているものの、集団的自衛権の行使を可能にする関連法案の今国会成立に賛同するは25%で、8割が政府の説明は不十分とのことだ。それだけに平和安全法制関連2法案の審議に際しては、政府の説明責任は重い。具体的な事例に即した、わかりやすい議論が必要となるだろう。

かつて、安倍総理の祖父岸信介氏が担った安保条約改定プロセスでは、1月の条約調印時に「6月のアイゼンハワー大統領来日までに承認する」という米国との約束を果たすために、与党自由民主党が単独強行採決に走った。その結果はご承知のとおり、国政の大混乱を招き、大統領の来日は中止となり、岸内閣は条約成立と交換に退陣を余儀なくされた。

この悪しき先例のようなことを二度と起こさないよう、必要な会期を設定し、十分な質疑を行わなくてはならない。もちろん私も与党の一員として法案に責任を持ち、あらゆる機会に説明責任を果たしていきたい。