民進党

民主党と維新の党は昨年末に統一会派を結成し、今年になって合流に向けた話し合いが行われていた。交渉は紆余曲折を経てようやく合意に達し、3月27日(日)、新たな党名を「民進党」として結党大会を開催した。これにより、国会議員156人(衆院96人、参院60人)の野党第1党が誕生したことになる。

 

政党の結成に際しては、本来どの様な政治理念の実現を目指すのかを明確に示し、活動の基本となる綱領の作成についての議論に力が注がれるが、それを後回しにして合流の方法論や党名に関する協議に多くの時間が費やされた感は否めない。

 

合流方法を巡っては維新の“吸収合併”を主張する民主党と、双方解党による“対等合併”に固執する維新との間で平行線が続いたが、最終的には民主党を存続させて、党名を変更した上で維新を吸収する形となった。

また、党名は「国民とともに進む政党」と思いを込め、「野党勢力を結集して、政権を担うことができる新たな新党を作る」とするが、結党大会の会場では国旗は片隅に掲示され、国歌は斉唱されなかったという。政権を担おうとする政党の姿かと疑問が湧く。

 

何よりも、政策の方向性が不明で、どの様な日本を作ろうとしているのかが見えてこない点が最大の問題点だろう。単に与党との対立軸としての合流新党では、価値観が多様化している我が国において魅力ある選択肢になるとは思えない。イデオロギー論争が終わった現在、保守とかリベラルと言った単純な言葉では政党カラーを表現することは難しいだろうが、国民の心に響くメッセージがなければ「選挙目当ての理念なき看板の掛け替え」、野合と言われても仕方がない。

 

執行部人事では、代わり映えのしない名が連なる中で、衆院当選2回の山尾志桜里氏が政調会長に抜擢された。山尾氏は、子供を保育園に入れられない不満を「日本死ね」と表現した匿名ブログを取り上げて首相を追求し、一躍脚光を浴びたのは記憶に新しい。

カウンターパートナーである自民党の政調会長は稲田朋美氏。与党と野党第1党の政策責任者が奇しくも女性というのは、安倍政権の看板政策“女性活躍時代”に配慮したキャストとの感がしないでもない。

 

また、両氏とも法曹一家で山尾氏は元検事、稲田氏は元弁護士である。最初の法廷対決(?)はNHKの日曜討論になるのだと思うが、政府与党の政策を追求する山尾検事、反論する稲田弁護士という構図を思い描くのは私だけではあるまい。相手の失策を攻撃する誹謗中傷合戦ではなく、具体的な法案制定につながる政策形成議論を期待したい。

 

一方、最近、我が党議員による不用意な発言が続いている。1強多弱と言われ、圧倒的な議員の数による政権与党の運営について、党内外から緊張感が欠如しているのではないか指摘されているのも事実だ。民進党の発足により、与野党間の良い意味での緊張感が高まり、我が国の政治に吉となることを望みたい。

 

29日には平成28年度予算案も成立する見通しだ。国会審議の重点は、TPP関連法案に移り、さらには伊勢志摩サミットに向けて外交政策、世界の景気浮揚に向けた経済対策等が後半国会の重要課題となるが…。

 

民進党の発足を契機に政局は一気に夏の参院選挙(衆参同時選?)に向けて走り出すことも間違いないだろう。岡田代表は「選挙戦で結果がでなければ9月の代表選には出馬しない」と、退路を絶って覚悟を示している。

迎え撃つ我々与党もより緊張感を持って、日々の活動に専念しなければならない。

あの日から5年

東日本大震災から5回目の3月11日を迎えた。

大震災当時は民主党政権下で、私は議席を失い充電中(浪人中)であった。その日は地元での”新世紀政経フォーラム”に出席するため、自宅で準備をしながら国会中継を見ていたのだが、突然画面の中の予算委員会室がガタガタと大きく揺れだし、東北地方で巨大地震が発生したことを知ることになった。

 

30分もたたないうちに、テレビに信じられない光景が映し出された。海面の水位が上昇し始めたと思う間もなく、どす黒い海水が濁流となって押し寄せ、漁船も車も、家も人も呑み込んでいった。地震と巨大津波による死者・行方不明者は1万8千人を超える大災害となった。

ただ、その時点では福島第一原発にシビアアクシデント(過酷事故)が起こっているとは知る由もなかった。

 

フォーラムが終わって帰宅後は、次々に報道される震災情報を明け方まで見入った。

翌日、フォーラムの講師をお願いした青山繁晴氏(独立総合研究所所長)にお礼の電話をした際、「渡海さん、福島第一原発が大変なことになっている、政府の発表は甘い。私の見立てでは原発の炉は間違いなくメルトダウンしていると思う」と言明された。青山氏は、政府から原子力委員会の専門委員(原子力防護専門部会所属)を委嘱されている方だ。福島第一原発1号機で水素爆発が起こったのは、12日の午後3時半すぎだった。その後に一連のシビアアクシデントを目の当たりにするが、氏の予想どおりの結果となった。

 

あれから5年。未だに原発事故による放射能汚染で避難生活を余儀なくされている方々は10万人以上を数える。

平成23年12月、事故の原因を探るため、憲政史上初めて国政調査権を背景に国会内に、民間人からなる“東京電力福島原子力発電所事故調査会”(通称:事故調、委員長は黒川清氏)が設置された。

 

半年後、事故調は「事故の直接原因は地震とそれに伴う津波によるものであるが、3.11以前の東電や規制当局の不作為による人災である」と結論づけると同時に、検証のために「国会に原子力に係る問題に関する常設の委員会などを設置する」提言もなした。

この提言を受けて、自公が政権に復帰した第183回国会(平成25年1月召集)から衆参両院に原子力問題に関する特別委員会が設置されているが、・・・。

 

今、自民党では事故当時を振り返って、「原発事故だけでなく、津波の対応なども含め震災当時の初動対応などを検証しなおし、経験を蓄積する組織を立ち上げようとする動きがある。節目の5年を迎え、もう一度検証を深めることに異論はないが、この種の作業は客観性をより高めるためにも超党派で行った方が良いだろう。

 

去る11日には被災した各地で追悼式が行われた。東京でも国立劇場で天皇皇后両陛下をお迎えしての政府主催追悼式が開催された。陛下は犠牲者へ深く哀悼を表され、「これからも国民が心一つに寄り添っていくことが大切」と述べられた。

 

安倍総理は「復興は確実に前進している。多くの犠牲の下に得られた教訓を、最新の英知を得ながら防災対策を不断に見直し、強靭な国づくりを進める」と表明した。

被災地・避難先の一日も早い生活再建に努力することが政治に求められている。この大惨事を風化させないように、しっかりと後世に伝え、次なる大震災に備えることも。