通常国会開幕

平成最後となる通常国会が始まった。外交日程の都合もあり、例年より少し遅めの1月28日に召集され、総理の施政方針をはじめ政府4演説が行なわれた。

 

30日からの代表質問には野党各党とも党首クラスが質問に立った。

例年、内政、外交ほか多岐にわたる様々な質問がなされるが、今回は「毎月勤労統計」の不適切調査問題に最も多くの時間が割かれた。週明けの予算員会でも、この問題で紛糾するのは間違いないだろう。

 

毎月勤労統計は本来、従業員500人以上の大規模事業所については全数調査を行うこととされている。しかし、東京都などで長年にわたり3分の1程度の抽出調査しか実施されず、しかも、不適正調査を隠ぺいするようなデータ修正が行われていた。この影響で、調査データを用いて算定される雇用保険等で追加給付が必要となり、平成31年度予算の閣議決定をやり直すなど、異例の対応を強いられた。

 

この問題をより複雑にしたのは発覚以降の厚労省の対応のまずさだ。

客観性、中立性が求められる第三者委員会調査に、厚労省事務方の関与が明らかとなり、再調査を余儀なくされている。その後も続々と新しい事実が浮かび上がり、この問題の終息は一向に見えない。

 

この混乱を受けて総務省は、56の基幹統計について改めた調査した。その結果、23の統計で手続きなどの誤りが見つかったと発表。基幹統計は国の政策立案の根本となるもので、その信頼性を損なう行為は前代未聞だ。政府は233種類の一般統計についても総点検を行うことを決定した。

 

今年は4月の統一地方選、7月には参院選と選挙イヤーだ。野党各党は経済統計の信憑性への疑念から「アベノミクス偽装」「実質賃金隠し」と酷評し、加えて厚相の罷免を要求するなど、政府の失策やイメージダウンを狙って勢いづいてきている。

 

そのような中で代表質問に立った野田元総理が「不正が15年間も続いていたことは、民主党政権下でも見過ごしていたということだ。(民主党政権関係者も)猛省しなければならない」と言及したことは傾聴に値する。自民党は15年間の大半政権運営に関わっていたのだから、より責任は大きいと考えるべきだ。議院内閣制の我が国では、国の行政機関の長である大臣の大半は国会議員である。各省庁が法令を遵守して業務を執行しているか(当然のことではあるが)、政治主導でしっかりと監視していかなくてはならない。

 

この31日の衆院代表質問終了後、私は、昨年11月に亡くなられた熊本出身の園田博之氏の追悼演説を行った。

園田氏とは昭和61年(1986年)の総選挙で初当選した同期の仲間であり、平成5年(1993年)に自民党を離党し“新党さきがけ”を結成した同士でもある。

先代の園田直先生と父・元三郎も親交があり、親子2代にわたる間柄でもある。約32年間の長きにわたって政治行動を伴にし、親交を温めてきた。そんなこともあって、ご遺族が私を指名したと聞いた。

 

時間をかけて原稿を練り上げ準備して事に臨んだつもりだったが、演壇に登り遺族席の園田先生の遺影をみた瞬間、急に胸に込み上げてくるものがあり、不覚にも言葉が詰まってしまった。何とか立て直して演説を終えて事なきを得たが、思いもよらぬ出来事だった。

初当選同期は与野党あわせて67人(うち自民47人)だった。園田氏が亡くなり33年を経た現在も院に在籍しているのは、私も含めたった5人となった。

 

いまから思うと、いささか気恥かしいが、私の初出馬の公約は「最善を尽くす」のみであった。前号のコラムでも言及したが、私が政治活動をしてきた平成という時代の国民の評価は、政治に厳しいものだ。その時々に私なりに最善を尽くしてきたつもりではあるが、果たして私は何かをなし得たのだろうか?この機会に改めて自らの政治生活をふり返って考えてみたい。そして、これからも最善を尽くしていく。