ゲリラ豪雨

昨夜(8月4日)地元の加古川で開催された花火大会、一昨日のみなと神戸花火大会は、ともに無事に開催され大勢の見物客で賑わったが、今年は全国各地で打ち上げ直前直後の花火大会中止が相次いでいる。犯人はゲリラ豪雨だ。
突如として黒雲が広がり、バケツをひっくり返したような土砂降りに見舞われ、30分もすると何事もなかったように晴天が戻る。そんな熱帯のスコールを思わせる、局地集中豪雨が多発している。

花火の中止はまだしも、災害につながる例も数多い。神戸の都賀川では5年前、数分のうちに急増水した激流が河川敷でバーベキューを楽しむ人々を飲み込んだ。先月末、山口、島根をおそった集中豪雨は、1日で1ヶ月分の雨を降らせ、多くの浸水被害を引き起こした。被災された方々に、心からお見舞いを申しあげる。

ゲリラ豪雨に限らず、九州南部や奄美諸島の異常小雨、東北の長梅雨と低気温、連日35℃を超える太平洋側の猛暑等々、経験したことがない気象現象が増加している。個人的な感覚からしても、地球の温暖化が進み、日本が熱帯化しつつあるのは事実かも知れない?
しかし、「観測史上最高の」「経験したことがない」と言ったところで、その物差しは我々人類の歴史が始まってからのこと、地球自体が経験してきた歴史や経験ではない。誕生以来45億年以上の地球史では赤道も含めて地球全体が凍結したり、マントルの大量噴出(スーパープルーム)で生物がほとんど絶滅したこともある。

地球はこの数百万年の間、約10万年単位で氷期と間氷期を繰り返しており、現在は間氷期にあるという。氷期には世界の気温は6~7℃低下し、氷河がカナダや中国北部まで拡大する。その一方で、世界中の海面は100メートル規模で下がり、北海道はシベリアと陸続きになるのだ。
これに対して、人類の歴史は未だに20万年程度、文字を使いこなす四大文明が始まってからはわずか五千年ほどである。地球の大きな気候変動を体感したとはとても言えない。

我々人類がいかにして地球環境の変化に対処するか。
まず、短期的な自然災害対策だが、一つは、従来型のハード中心の国土強靱化だろう。河川堤防や岸壁の強化で氾濫を防ぎ、砂防ダムで土砂崩れを止める。都市部では雨水の一部貯留施設(地下タンクや校庭貯留)を整備し、舗装の透水化を進める。まだまだ公共事業の役割は大きい。
二つ目はソフト面の強靱化。強靱化は英語では「resilience」としている。弾力性、柔軟性の意味だ。直撃をかわすしなやかさ、被災した場合も復元力を高めなければならない。地域全体の安全性を高め、有事の復旧復興計画や支援協定を被災前に設定しておくことも有効だろう。

一時あれ程熱心に議論された地球温暖化対策は、福島の原発事故以来エネルギー確保の問題に心を奪われ、忘れられた感があるが再強化に取り組まなければならない。要するに急激な気温上昇を避けるための努力だが、具体的には化石燃料の消費量を減らしていくしかない。この意味において、原発がほとんど休止し、旧式の石油、石炭火力発電所がフル稼働している現状は最悪といえる。京都議定書で定めた1990年比6%削減が達成できないどころか、排出量が増加してしまう可能性もあるのではないだろうか。バランスのとれたエネルギー戦略を早急に定めるとともに、国民一人ひとりが最大限の省エネ努力を行うことが肝要だ。

さらには超長期的には地球の変化に逆らわず、順応することだ。(ここからは半ば仮定と空想の世界ではあるが・・・)
直近の氷期は1万年前に終わったばかりという。つまり10万年単位の変化のサイクルから言えば、今後数万年は地球は温暖化に向かう可能性が高いと思われる。と言うことは、海面上昇や熱帯化に備えて、高台へ、北部へと移住することが、今後の都市計画のポイントかもしれない?

8月に入り、これから一年で最も暑い時期を迎える。気象庁の長期予報では全国的に晴れる日が多く、平年を上回る暑い日が続くといわれている。巷では千年に一度の暑さという予想もある。
まだ暫くは我慢の日々が続きそうだ…。

日本人は「春・夏・秋・冬」、列島の四季の移ろいに寄り添い、美しい自然と共生するなかで歴史と素晴らしい文化を育んできた。しかし異常気象の前には、この文化も廃れざるを得ないのか?
いや、日本の長い歴史の中で根づいた季節の文化を守っていくために、我々は最大限の努力を惜しんではならない。