東日本大震災から3年

世界中を震撼させた大津波の日から早くも3年が経過した。改めて1万9千余の犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の一日も早い復興を期待したい。

しかしながら、被災地からは、未だに原野のような旧市街の映像や高台移転計画をめぐる課題が伝えられてくる。被災地の復興は遅々として進んでいないのではないか?というのが実感だ。
事実、世論調査によると77%の方々が「復興は進んでいない」と答えている。被災地の方々に限定すれば、この比率はもっと高くなるのではないだろうか。

このような遅れの要因の一つは、「復興庁」という大きすぎる政府組織と国主導の復興施策にあるのかもしれない。(政権与党の議員という立場を考えると私にも責任の一端があると言えるが・・・)

原子力災害の問題はともかくとして、地震動と津波により破壊された“まち”“むら”の復旧復興は地域づくりの課題である。もちろん中央政府の財政支援や制度的特例措置の必要性を否定するつもりはないが、どのような地域を再興していくかは自治の問題として取り組むべきではないだろうか。

私がかつて関わった阪神・淡路大震災の際にも、当初、復興院といった巨大な政府組織を設ける案も出されたが、結局、主役は兵庫県、神戸市をはじめとする被災自治体となった。国は省庁の連絡調整役としての復興本部組織と諮問会議としての有識者委員会を設けたのみだ。そのなかで結果的に現場主義が徹底され、地元から出てくる課題やアイデアに対して、各省庁が資金提供や新制度で支援するという手法が比較的うまく機能したと思う。(もちろん解決できなかった課題もあったが・・・)

例えば、①県と市が連携して9000億円規模の基金を造成し、その運用益で臨機応変に必要な対策を展開する「復興基金制度」、②迅速なまちの再生のために幹線道路等の主要施設を決定したのちに、住民参加でまちづくりを検討する「二段階の都市計画決定」、③早期の住宅提供のために自治体がUR等の住宅を転貸する「借り上げ復興公営住宅」など、前例のない制度運営が編み出され、後に全国的な制度として取り入れられたものも多い。

とにかく、スピードを重視して住まいの復興を進めなければ、仮設住宅の方々が被災地に戻ってこない。産業の再生を急がなければ若者たちは被災地から流出してしまう。阪神淡路の復興基金は被災後3ヶ月で設立、都市計画は2ヶ月で決定した。そして、柔軟に運用を変更し課題に答えてきた。

山を造成する高台移転に時間がかかりすぎるなら、既存の市街地を活用したまちづくりも再考してはどうか、リスクは避難手順の確立でカバーすることもできる。漁師町にとって高すぎる防潮堤が問題なら、地域住民の責任で切り下げを認めればよい。一度国が決めたこと、認めたことは変更できないような画一的な制度運用では、被災地のきめ細かい課題に機動的に対応することはできない。
既に支援制度メニューの数という点では施策は出そろっていると思われる。その制度運用を住民と自治体に大胆に委ねてはどうだろうか? 少なくとも機動性は高まるだろうし、自己責任の下で新たな課題解決策が生み出されてくるかもしれない。

来年3月には、第3回国連防災世界会議が仙台で開催される。平成17年に神戸で開催された第2回会議では「兵庫行動枠組」が決定され、その後の災害リスク軽減に向けた世界的な取組の行動指針となってきた。
一年後の会議までには、しっかりとした復旧復興の道筋を取りまとめ、新たな「行動枠組」に貴重な経験と教訓を盛り込むこと。それが私たち日本人に課せられた責務であり、犠牲になられた方々への何よりの追悼でもある。