あの日から5年

東日本大震災から5回目の3月11日を迎えた。

大震災当時は民主党政権下で、私は議席を失い充電中(浪人中)であった。その日は地元での”新世紀政経フォーラム”に出席するため、自宅で準備をしながら国会中継を見ていたのだが、突然画面の中の予算委員会室がガタガタと大きく揺れだし、東北地方で巨大地震が発生したことを知ることになった。

 

30分もたたないうちに、テレビに信じられない光景が映し出された。海面の水位が上昇し始めたと思う間もなく、どす黒い海水が濁流となって押し寄せ、漁船も車も、家も人も呑み込んでいった。地震と巨大津波による死者・行方不明者は1万8千人を超える大災害となった。

ただ、その時点では福島第一原発にシビアアクシデント(過酷事故)が起こっているとは知る由もなかった。

 

フォーラムが終わって帰宅後は、次々に報道される震災情報を明け方まで見入った。

翌日、フォーラムの講師をお願いした青山繁晴氏(独立総合研究所所長)にお礼の電話をした際、「渡海さん、福島第一原発が大変なことになっている、政府の発表は甘い。私の見立てでは原発の炉は間違いなくメルトダウンしていると思う」と言明された。青山氏は、政府から原子力委員会の専門委員(原子力防護専門部会所属)を委嘱されている方だ。福島第一原発1号機で水素爆発が起こったのは、12日の午後3時半すぎだった。その後に一連のシビアアクシデントを目の当たりにするが、氏の予想どおりの結果となった。

 

あれから5年。未だに原発事故による放射能汚染で避難生活を余儀なくされている方々は10万人以上を数える。

平成23年12月、事故の原因を探るため、憲政史上初めて国政調査権を背景に国会内に、民間人からなる“東京電力福島原子力発電所事故調査会”(通称:事故調、委員長は黒川清氏)が設置された。

 

半年後、事故調は「事故の直接原因は地震とそれに伴う津波によるものであるが、3.11以前の東電や規制当局の不作為による人災である」と結論づけると同時に、検証のために「国会に原子力に係る問題に関する常設の委員会などを設置する」提言もなした。

この提言を受けて、自公が政権に復帰した第183回国会(平成25年1月召集)から衆参両院に原子力問題に関する特別委員会が設置されているが、・・・。

 

今、自民党では事故当時を振り返って、「原発事故だけでなく、津波の対応なども含め震災当時の初動対応などを検証しなおし、経験を蓄積する組織を立ち上げようとする動きがある。節目の5年を迎え、もう一度検証を深めることに異論はないが、この種の作業は客観性をより高めるためにも超党派で行った方が良いだろう。

 

去る11日には被災した各地で追悼式が行われた。東京でも国立劇場で天皇皇后両陛下をお迎えしての政府主催追悼式が開催された。陛下は犠牲者へ深く哀悼を表され、「これからも国民が心一つに寄り添っていくことが大切」と述べられた。

 

安倍総理は「復興は確実に前進している。多くの犠牲の下に得られた教訓を、最新の英知を得ながら防災対策を不断に見直し、強靭な国づくりを進める」と表明した。

被災地・避難先の一日も早い生活再建に努力することが政治に求められている。この大惨事を風化させないように、しっかりと後世に伝え、次なる大震災に備えることも。