永田町劇場

ご承知のとおり、先週、内閣不信任決議案をめぐる政治ドラマが演じられた。

「小沢氏、不信任案賛成。新党結成も視野」「鳩山氏、賛成を表明」
これらが採決当日、2日の朝刊のヘッドラインだ。民主党が分裂し、不信任案が可決される可能性も大きいと予想される展開となっていた。

ところが、その午前中に菅・鳩山会談が行われ、「総理の早期退陣」を条件に両氏は党分裂を回避することで合意? 事態は急転、不信任案は大差で否決された。

ところがところが、否決されるやいなや、少しでも長く居座りたい菅総理と少しでも早く引きずり下ろしたい鳩山氏が、退陣時期について議論を始め、民主党内で「言った」「言わない」の茶番劇が繰り広げられた。

「一定のメドとは?」をテーマとする数日の論争を経て、総理退陣までの幅はかなり縮まり、今のところ「今月中から遅くとも8月まで」となったようだ…。

今回の不信任騒ぎには国民から非常に厳しい意見が寄せられている。残念ながら、国民の政治に対する不信感はピークに達してしまった。

「早期退陣を条件とした、不信任否決」という一応の結果が出たからには、これ以上、政局を長引かせてはならない。
退くと決めたのなら、菅総理は一日も早く退陣すべきだ。
そして、与野党が心を一にして国政に励める体制を築かなくてはならない。

ただ、鳩山・菅両氏の合意事項のうち、①復興基本法の早期成立(=既に修正案が与野党ほぼ合意済み)、②復興の基本方針提案と第2次補正予算の作成への道筋(=マニフェスト政策の検証が前提)、くらいは総理退陣の花道にしても良いだろう。
なぜなら、これらの手続きの間に菅総理辞任後の政治体制を考えなくてはならないからだ。

そもそも私はこの時期の展望無き不信任案提出には反対だった。
可決されたとしても、被災地の状況を考えると解散総選挙という手法はあり得ない。とすれば、不信任案提出前に、内閣総辞職後にどういう枠組みが必要かを思い描いておく必要があった。
共産党に指摘されてしまったが、「菅総理ではなければ誰でもいい」では無責任の謗りを免れないだろう。

たとえ民主党が分裂したとしても、「マニフェスト厳守」を主張している小沢グループとの協力体制はあり得ない。
であれば、誰となら組めるのか? 

国難打開への挙国一致体制が、今、日本の政治に与えられた命題であるなら、まず、自民党が、震災復興、社会保障、安全保障、外交通商等についてのビジョンを提示し、志を同じくする他党議員を募るべきだろう。
民主党に政策立案能力、政治理念が無いのであれば、我々、自民党が具体的政策を描き、それを実現する政治体制をも国民に明確に示さなくてはならない。

ところで一連の動きの中で、改めて気になったのが菅総理の総理としての責任感だ。
まず、不信任案提案前に菅総理の周辺から「可決されたら総理は解散をすると言っている」との情報が流れたこと。
選挙基盤が弱い新人議員に対する脅しだろうが。(事実、民主党の新人議員は「総理は解散されますかねえ?」と心配気に私に聞いていた。)「解散」という言葉を自党の議員への脅しに使うということは、選挙を行えば自らの党が敗れるということ=政権が国民の信を得ていないことを自覚しているということだ。
まさに政権の延命しか考えていないと言われても当然だ。

メディアがどう言おうと「国難の時にあって、政党の垣根を取り払い、挙国一致で臨まなければいけない」と、ほとんどの国会議員が考えていると私は思う。
そして、「菅総理が辞めれば、障害は払拭され、一応の体制は整うのではないか」と、自民党や公明党議員の親しい友人のほとんどがそう考えている。

菅総理自身がこれまでの政権運営で作りあげた不信感こそが、与野党協力が整わない最大の原因なのだ。
それを総理が自覚していなければ、いくら言葉で反省の弁を述べてもこの先も同じ間違いをくり返すだろう。
今すぐ総理が辞任されることが、被災地のため、そして日本のためにもなる。