過去への責任

政治には「過去」「現在」「未来」への責任がある。

まず「過去への責任」。
建国以来、数多の先人の手によって、積み重ねられ、形作られてきた日本の伝統と文化。これを守り抜き、我々の一歩を加え、次世代に引き継いでいく責任だ。
優れた人材を育成する教育政策、日本の個性を発信する文化政策において特に重要な視点となる。

次に「現在への責任」。
今、現在、我々が直面している様々な課題に、迅速かつ的確に対処する責任だ。安全安心な国民生活を維持し、経済の発展と福祉の向上を実現しなくてはならない。
言うまでもなく現下の最重要課題は未曾有の津波災害からの早期復興だろう。加えて世界的なデフレからの脱却と成長をめざす経済戦略、さらにはエネルギーの安定確保や安全保障政策なども今日的課題と言える。

最後に「未来への責任」だ。
今日の平和と繁栄の果実を子どもや孫たちも末永く享受できるよう、持続可能で安定した社会システムを維持する責任だ。
社会保障制度と税制の一体改革、借金漬けの財政構造の再建、数十年先を見据えた科学技術政策などが「未来への責任」の中心になる。

私がこのコラムを「未来への責任」としたのは、①ライフワークとしての科学技術政策、②10年来取り組んで来た財政再建、③税と社会保障の一体改革、この3つがこれからの政治活動の中心的課題となると考えたからである。

もちろん、「過去」「現在」「未来」の責任は全て密接に関連している。
政治の現場では、ともすれば現在の政策課題に捕われがちだが、政治家は常に歴史の流れの中で現在を位置付け、「過去」に想いを馳せつつ「未来」を見つめながら事に当る必要がある。

“8月”という月は、古来、祖先の霊を祀るお盆の月であるが、六十余年前の敗戦からは、改めて戦禍の犠牲になられた方々に想いを馳せるべき月となった。
当然のことながら、毎年、この時期のTV番組には第二次世界大戦に因んだ特集が数多く見られる。
国民全体が「過去への責任」を考える上で、これらの映像は大きな意味を持つ。

一年前の8月14日に「歸國(きこく)」というTVドラマを見た。
終戦記念日の平成22年8月15日、深夜の東京駅に幻の軍用列車が到着、戦争で玉砕したはずの兵士の「英霊」たちが降りたった。夜明けまでの数時間、現在の日本をさまよい歩いた英霊たちは、今の日本に何を見たのか…というストーリーのドラマだった。

ドラマの中で英霊の一人は昔の婚約者に語りかける。
「日本は本当に幸せになったのか?」と
「日本はものすごく豊かになったわ。だけど幸せなのかどうかは分からない。確かに豊かになったけど、日本人はどんどん貧しくなっている気がする。」と婚約者は答える。
夜明け前の東京駅から南の海に帰って行く英霊たちは「今の様な日本を作るために我々は死んだつもりはない」という言葉を残していく。

東日本大震災から早や5ヵ月余、被災地の復旧復興が急務であることに変わりはない。
ただ、目の前の物質的な復旧復興に邁進するのみでなく、時には立ち止り、過ぎ去った数十年前の日本に思いを馳せ、先人の声に耳を傾けることも必要ではないだろうか?

震災直後、東北の被災地の方々は、地域の絆で育まれた秩序ある行動で、ニッポン人の素晴らしさを世界に発信してくれた。都市への人口集中と核家族化の過程で失われていった住民相互の絆が、被災地のコミュニティには残っている。
“豊かさ”とは経済的、物質的な尺度のみでは測れない。三陸海岸の津々浦々で営まれている地縁社会こそが、日本らしい豊かな暮らし(日本のあるべき姿)なのかもしれない。

8月は私にとって毎年のことながら「過去への責任」について考えさせられる、そんな日々である。