民主党代表選

 26日朝、大方の予想に反して小沢氏が民主党代表選への出馬を表明した。
 鳩山氏が菅総理と小沢氏の間で調整を続けていたが、成功しなかったのだ。

 小沢氏の出馬については厳しい見解が多い。一部で報道されているような「起訴を逃れる意図」があるとすれば言語道断である。出馬に際しては、自らの後援会の政治資金規制法違反事件について、国民にしっかりと説明することが最低限の責任だろう。

 かつ、気がかりなのは衆院選マニフェストについての小沢氏のスタンスだ。

 先週私は「この一年の政権運営で、マニフェストの矛盾点や問題点がかなり明らかになってきた。既に破綻している政策に拘れば、ただでさえ深刻な財政をさらに悪化させることは必定だ。これまでの政策実施状況を検証し、改めて“財源に裏打ちされた”新政策を提案すべきだろう。」と指摘した。

 小沢氏は「マニフェストは国民との約束だから実現しなくてはいけない」と主張している。「ムダな経費は何兆円も省ける。財源はある」とも言っている。

 本当にそうだろうか?
 そうでない事は既に明らかになっているのではないのか?

 ムダ探索担当である蓮舫行政刷新相でさえ、28日のTV番組で「『財源はある、お金はある』と(小沢氏から)直接何度もうかがったが、どこにあるのか」と発言している。

 そもそも、マニフェストによると今年から廃止されるはずだったガソリン税等の暫定税率を継続させたのは、前幹事長(小沢氏)の一声だったはずだ。

 私には、今になって、あえて衆院選マニフェスト回帰を主張する小沢氏の姿勢は、代表選のための戦術=大衆受けする政策を唱えているとしか思えない。本当に子ども手当てや高速道路無料化等を実行する気があるのなら、具体的な財源を見せて欲しい。

 確かに、民主党内の選挙だから、我々は結果を見守るしかない…のかもしれないが、バラマキ政策回帰論が、救国の取り組みである税制改革や社会保障の与野党協議会の設置に水をさすことも事実だ。
 一政党内の空虚な論争によって、日本の未来が危うくされることが許されるのか?と思っていたら、TV番組で石破茂自民党政調会長も全く同じことを言っていた。

 民主党所属議員やサポーターの賢明な判断を切望する。

 それにしても、鳩山氏は一体何を考えているのだろう。
 「総理を辞めた人が、あれこれ口出しするのは良くない」と政界引退まで表明していた筈が、仲介役気取りで菅総理と小沢氏の間を行き交い、挙げ句の果てに、一夜にして菅総理支持から小沢支持に変わった。

 自らの豹変を「私の一存で小沢先生に民主党に入って頂いた。その経緯から応援すること大義だ」と説明されている。「菅さんは理の人、私は情の人」とも言われている。

 が、全く理解に苦しむ。
 個人的な経緯は知るところではないし、政治には情も必要であることは否定しない。しかし、民主党の代表選は日本のリーダーを選ぶ選挙だ。
 支持する代表候補を変えるのであれば、感情的な想いではなく、国民が理解できる大義で説明して欲しいものだ…。

コップの中の嵐

 例年この時期になると、「朝夕に秋の気配を感じる季節となりました」と挨拶をしていたものだが、今年は8月も下旬に入ったというのに猛暑が収まらない。

 加えて、永田町でも民主党の代表選がヒートアップしているようだ。
 ニュースで流れている政治の話題も、(困ったものだが…)目の前の円高対策よりも、9月1日告示の代表選が主役を張っていると言っても過言ではない。

 毎日のように、○○グループが集まって菅支持を決めたとか、△△グループの会合で出席議員の多くが「小沢さんに出てもらいたい」と発言したと報道されている。
 「○○派」が「○○グループ」にすり替わったが、これまで自民党で見られた光景と全く同じだ。

 親小沢か反小沢かという分け方もあるようだが、ここへきて路線の違いも見えてきた。
 一方は、財政の現実に即してマニュフェストを修正していこうというもの、他方は、もう一度マニュフェスト原理主義に立ち戻ろうというものだ。

 しかし、マニュフェストに関わるこの論争は、政権構想論ではなく選挙戦術論でしかない。
 昨年の衆議院選挙のマニュフェストは国民に対する民主党の公約であり、誰が代表になろうとその成否に対する責任を負うことには変わりない。

 この一年の政権運営で、マニュフェストの矛盾点や問題点がかなり明らかになってきた。既に破綻している政策に拘れば、ただでさえ深刻な財政をさらに悪化させることは必定だ。

 民主党の代表は総理大臣になるのだから、立候補者はまず、日本をどんな国にしたいのかという自らの国家像を語って欲しいものだ。
その上で、これまでの政策実施状況を検証し、改めて“財源に裏打ちされた”新政策を提案すべきだろう。そうしなければ与野党協議の前提条件が整わず、野党自民党も協議に応ずることは難しい。

 代表選の最大の焦点は、小沢さん本人が出馬するか否かといわれている。
 政治資金の問題がクリアされてないと言われるが、小沢氏本人は「疾しいところは何もない」と言っているのだから、出馬するか否かは小沢氏自身が判断されることだ。

 ただ政治と金について、国民への説明責任はまだ果たされていない。立候補されるなら、まず選挙を通じて国民に説明をすることが最低限の責任と考える。
 いずれにしても影から政権を操るような政治はもう国民が許さないだろう。

 与党民主党が代表選にうつつを抜かし、政府が政策決定能力を失っているうちに、気候だけでなく日本経済もおかしくなってきている。

 円は15年ぶりに84円/ドルを割り込み、日経平均も遂に9000円を割った。円高・株安によって、さらなる景気悪化が懸念されている。既に4月から6月のGDP成長率は年率換算+0.4%と大きく低下している。
 すべては、日本政府と日銀の無策のなせる結果。世界中が、民主党代表選が終わるまでは、日本に政策決定能力はないと判断しているのだろう。

 今こそ政治主導を見せる局面ではないのか。何故、政府が日銀をリードし、迅速に金融緩和、為替介入に踏み切らないのかと苛立たしい。

 民主党も政務調査会が復活したのだから、一年生議員の囲い込み合戦よりも、緊急経済対策や中長期の社会保障、財政運営について、早急に議論すべきである。
 政府も与党もあまりにも危機感が欠けている。

8月15日に

 今年もまた8月15日がやって来た。戦後65年、65回目の終戦記念日である。
 毎年のことであるが、この時期のTV番組には第二次世界大戦に因んだ特集が数多く見られる。

 14日(土)、私は「歸國(きこく)」というドラマを見た。

 終戦記念日の平成22年8月15日、深夜の東京駅に幻の軍用列車が到着、戦争で玉砕したはずの兵士の「英霊」たちが降りたった。夜明けまでの数時間、現在の日本をさまよい歩いた英霊たちは、今の日本に何を見たのか‥‥というストーリーのドラマである。

 戦後65年、日本は世界に類を見ない発展を遂げた(90年代初期からはいささか停滞しているが‥‥)

 しかし、ドラマの中で英霊の一人は昔の婚約者に語りかける。
 「日本は本当に幸せになったのか?」と
 「日本はものすごく豊かになったわ。だけど幸せなのかどうかは分からない。確かに豊かになったけど、日本人はどんどん貧しくなってる気がする。」と婚約者は答える。

 夜明け前の東京駅から南の海に帰って行く英霊たちは「今の様な日本を作る為に我々は死んだつもりはない。」という言葉を残していく。

 先の大戦で散っていった英霊達は我々に何を託したのだろうか?
 どんな日本を創ってほしいと思っていたのだろうか?

 そう言えば、しばらく靖国神社に行っていない。
 今度上京する際には、ぜひ参拝する時間を作りたい。ひょっとしたら彼等の声が聞けるかも知れないから。

 私たち政治家は、常日頃から、日本の礎を築き上げてきた先人の心に思いを馳せ、そして、
 彼らの期待に応えられているのか否か、自問を続ける必要がある。

 それが、先人への責任を果たす第一歩になるのだから‥‥。

 ところで、政治には時間軸でみると3つの責任があると私は考えている。
  ・この国を築き上げてきた先人に対する責任(過去への責任)
  ・今を生きる国民に対する責任(現在への責任)
  ・最後に未来を創る子ども達への責任だ。(未来への責任)

 8月15日は、もちろん「過去への責任」を考えるべき日だが、
 今の私には、「未来への責任」の方が気になってならない。

 持続可能性が疑われる社会保障制度、GDPの2倍近い借金を背負った財政構造。
 正に日本丸が沈むかも知れないという危機的な状況下にあって、今の政治は「未来への責任」を果たしていると言えるのだろうか? 疑問を持たざるを得ない。

 今は党利党略を捨て、胸襟を開いて超党派で議論し、国家的課題(経済・税財政・社会保障)について、一日も早く結論を導き出すことが、「未来への責任」を果たす唯一の道だと私は考える。

 その議論のプロセスは、過去と現在への責任を果たす上でも不可欠な仕組みになるだろうから。

拝啓 内閣総理大臣殿

 先週6日、臨時国会が閉幕した。

 わずか8日間の会期とは言え、菅内閣が誕生して初めての予算委員会、そして参院選後の新ねじれ国会初の論戦だ。

 与野党協調の政策形成の方向が提示されるのか? どのような国会運営の工夫が見られるか? 私は議論の行方に大いに注目していた。

 しかし衆参2日ずつ開催された予算委員会でのやり取りには、正直がっかりさせられた。

 政府の答弁では具体的な政策の方向は語られず、野党への協力要請の繰り返しだ。特に総理は9月の民主党代表選を意識しての党内配慮か、低姿勢の安全運転ばかりが目についた。

 本来ならば今回のような予算委員会の質疑は新内閣誕生直後、参議院選の前に行なわれるべきだった。しかし、民主党は選挙日程を優先して論戦を避けてしまった。

 憲政史上類を見ないこの国会運営を、我々は「暴走」と激しく非難もしたが‥‥

 もし選挙前に予算委員会が開催されていたら、どんな議論になっていたのだろう?

 発足直後の高い内閣支持率に支えられ、菅総理はもっと力強く自分の考えを語れたのではないだろうか。

 消費税の引き上げについても充分に必要性を説明することができ、唐突な印象とはならずに済んだだろう。

 参院選挙での論戦も違った形となり、結果も変わっていたかも知れない。

 民主主義の手順を無視し、人気投票コンテストですませようとしたことが、民主党の敗戦に繋がったとも言える。

 その結果、菅総理は党内外への低姿勢を余儀なくされ、自分のカラーを出せなくなっている。

 今の総理は私の知る菅直人とはまるで違う。

 菅総理、今、貴方が一番に目を向けなければならないのは、野党でも民主党内でもない。

 どうして国民に向けてもっと強いメッセージを出さないのか‥‥
 
 自らの信念に基づいてこの国のあるべき姿を訴えないのか‥‥

 低姿勢や守り一辺到の姿は貴方には似合わない。

 「自分らしさを取り戻すこと」それが今の貴方に最も必要なことだ。

この国を何処へ

 7月29日、民主党は参議院選を総括する両院議員総会を開いた。
 報道によると、菅総理は消費税を巡る自らの発言について謝罪した上で、枝野幹事長が「(消費税増税は、)唐突感と疑心をもって受け止められた」などと分析した総括案を説明したという。

 しかし、出席議員からは総理や幹事長ら執行部の退陣を求める意見が続出し、2時間を超える議論の末に、ようやく、現執行部体制を継続することが了承された。
 厳しい執行部批判を展開したのは、小沢前幹事長に近いと言われる議員。民主党内の主導権争い、派閥抗争の構図がふたたび鮮明になった。

 翌30日、菅総理は国会召集日としては異例の記者会見を開き、(消費税増税問題は)「だれが首相になっても避けて通れない」と、引き続き財政再建に取り組む決意を表明した。ただ一方で、9月の党代表選では消費税問題は公約に掲げないとも発言した。

 これは、いかにも無責任な対応ではないか?
 このタイミングでの総理記者会見は、ある意味で再出発の所信表明である。
 にもかかわらず、総理の言葉は、党代表再選に向け、ひたすら低姿勢で風が去るのを待っているようにしか見えない。政策実現に向けた誠意と決意が感じられないのだ。

 先の党大会での「新しい政治の地平を開いたと評されるよう死力を尽くしたい」との続投宣言に偽りがないのであれば、この国を何処へ引っ張っていこうとしているのか、自ら描く日本の未来像をはっきりと提示して欲しい。

 そして、本気で財政再建に取り組むのであれば、消費税引き上げの立場を後退させることなく、社会保障と税制の党内議論に早急に着手しなくてはならない。
同時に、財政不足で行き詰まった昨年の衆議院選マニュフェストがどうなるのか?の議論も不可避だ。できないものはできないと、はっきり国民に示すべきだ。

 いずれにしても、まずは予算委員会での議論をじっくり聞いてみたい。