次世代スパコン

先週の月曜日(20日)、自他共に認める科学技術族である私に、ビッグニュースが届けられた。
既に大きく報道されているのでご存じかと思うが、神戸で整備が進められている次世代スーパーコンピュータ「京(けい)(※1)」が世界最高性能の8.162ペタプロップス(毎秒8,162兆回の演算)を達成したのだ。日本のスパコンが世界一となったのは横浜の「地球シミュレータ」以来で、7年ぶりのことになる。

理化学研究所のかつての部下から、「「京」が国際ランキング「TOP500(※2)」で世界一になりました」と聞いたとき、私は思わず「やった」と心の中で叫んだ。
小惑星探査機「はやぶさ」の苦難の旅路ではないが、「京」の開発にも幾度かの試練があったからだ。

最初の危機は、共同開発メーカーの脱落。
このプロジェクトは、理化学研究所と民間企業3社の協力体制の下でスタートしたのだが、平成21年春、リーマンショック後の不況のためか、2社が離脱し大幅なシステム変更を余儀なくされたのだ。
製造スケジュールやコストにも大きな影響があったが、残された富士通をはじめ、開発研究者の努力で何とか乗り越えてきた。

次に一昨年秋の第一次「事業仕分け」による受難。
民主党のパフォーマンス政治のはしりだが、蓮舫参議院議員(現、行革担当相)の手にかかり、「どうして一番じゃなきゃダメなんですか? 2番じゃダメなんですか?」と一方的に仕分けられ、事実上の「予算凍結」と判定されてしまった。
が、その後、野依先生をはじめとする科学者の皆さん、経済界の方々による「未来への投資」を求める大合唱により、予算を再獲得することに成功したのだが…。

そして3つめが、完成目前に襲来した東日本大震災によるサプライチェーンの破壊だ。
スパコン本体の製作は、富士通のグループ企業により、主として三重、福島・宮城、石川の3地域で分担して行っている。それが、3月の大震災により、福島・宮城の被災地では、設備が被災した工場はもちろん、被害はなくとも停電や水の不足等で稼働できない工場、物流の混乱による部品不足で操業できない工場が続出した。

この結果、ラック(※3)の最終組立を行う石川工場でも部品の在庫が尽き、一時期、計算機の生産を停止せざるをえなくなる状況に追い込まれたのだ。
関係業者の方々は、この状況下にも拘らず「何としてもやり遂げたい。やり遂げなければならない」との強い想いから、不眠不休で復旧作業に取り組み、3月の下旬から順次操業を再開し、震災前よりもペースアップし生産を続けられたそうだ。
世界一の快挙を達成された関係者の方々に心より敬意を表したい。

原発事故で日本の地位が揺らいでいる時だけに、日本の科学技術レベルの高さを証明した「京」の開発は、極めて大きな意味を持つ。
次なる課題は、「京」をどう使いこなすかだ。もちろん、津波をはじめとする気象シミュレーションも「京」の使命の一つになる。未曾有の自然災害への備えを確実にするためにも、一日も早い日本の計算科学の成果が求められる。

理化学研究所の野依理事長は、先日の記者会見で「科学や技術ではトップを目指さないといけない」と述べられた。
お言葉のとおり、「世界一」を目指さなくては、二位も三位も得られなかっただろう。「未来への投資」をケチる、志無き者に与えられるのは、周回遅れの挫折だけだ。
野依先生のような大科学者の存在が、日本の今日を築いたのである。

ただ、「京」の世界一には、もう一人の重要な貢献者がいるのかもしれない…。
親しい研究者の言によると「事業仕分けが、(早期開発への)闘争心に火をつけた」とのことなのだ…。
蓮舫大臣に感謝を申しあげるとともに、改めて「世界一ではダメですか?」と聞いてみたい。

※1 京:数値の単位、兆の1万倍。1京=10ペタ。神戸に整備中のスパコンの愛称。完成時には、10ペタ(1京)の能力を発揮する予定。
※2 TOP500:スーパーコンピュータの計算性能の世界ランキング
※3 多数のCPUが詰まったユニット。「京」は最終的に864個のラックで構成される。

四畳半の家庭菜園から

もう15年前になるが、平成8年10月、4回目の選挙で私は苦杯を喫した。

結果的に地元で過ごす時間が増えた私は、事務所と自宅の間の四畳半ほどの土地で初めての畑作にチャレンジした。

まず、雑草に埋れていた空地を備中鍬で耕し、四条の畝を作り、キャベツ、白菜、ジャガイモ、ピーマン、トマトなど、多くの種類の野菜を数本ずつ植えた。多品種少量生産だ。

生ゴミ減量作戦を奨励していた婦人会のお陰で、わが家にも2つのコンポストに堆肥が余るほど貯えられており、肥料に不自由することはなかった。

だが、農薬は一切使わない有機栽培だから、日々の手入れは結構大変だった。

キャベツなど葉物野菜は、葉が巻き始めると、どこからともなく蝶が飛んで来て卵を生みつけ、そのうち幼虫が旺盛な食欲を発揮してくれる。

日中は挨拶廻りなどがあるから、日々の害虫退治は夜の仕事になった。懐中電燈の灯りを頼りに割り箸でアオムシを駆除するのだが、殺すのは何となく可愛そうでアジサイなどの違う葉っぱに移してやっていた。

毎晩ムシ取りをして育てたキャベツのデキは格別。市販のモノとは葉の厚みが違うし、鉄板の上で左右に分けて焼き比べてみると味も明らかに違う(と思った)。

それまでの苦労が喜びに変わる瞬間だったと記憶している。

同じ頃、レモンの苗木をブロック塀の傍に植えると、キャベツ目当てのモンシロチョウに加えて、大アゲハや黄アゲハなど、最近はめったに見られなくなった大物も飛来するようになった。

ただ、このレモンの木はアゲハのせいか、日照不足のせいか、5年ほどは苗木の大きさのままだった。塀から離して植え替えた数年前から、ようやく実を結ぶようになり、今年も既に40個以上の小さな実をつけている。秋の収穫が楽しみだ。

自然の中で育んだ恵みの品を収穫するのは最高に楽しい。

東北で農業を営んでおられる方々も、収穫期には同じ想いを感じておられていたのだろう。しかも、わが家の趣味の菜園とは異なり、日本の食料供給基地である東北では、ほとんどの農家が販売農家であり、営農は現金収入を得る重要な手段なのだ。

手塩にかけて育てた大量のホウレン草やかき菜を廃棄せざるを得なかった方々の悔しさを思うと、本当に胸が痛む。瓦礫の残る農地、塩をかぶった水田を前に、今年の田植えを見送らざるを得なかった方々の無念はいかほどだろう。

政治は一日も早く、その思いに応えなければならない。

四季の移ろいと歩調を合わせる一次産業にとって、いつまでに何ができるかというスケジュール管理は特に大切だ。植え付けの時期、収穫の時期を逃すと一年を棒に振ることになってしまう。

一方で、時間感覚のない菅首相は、辞めると宣言したように見せかけながら、メドがたたない政策課題を次々と、かつ唐突に繰り出し、「“メド”がつくまで、私の責任として、やらせて欲しい」と、総理の椅子にしがみついている。

「自己満足のために軽々しく『責任』という言葉を使わないでくれ」と言いたい。

昨夜(19日)の政府・民主党首脳会談でも、退陣時期の明示を求める執行部に対し、首相は一人開き直り、3次補正予算や自然エネルギー利用促進法の成立を持ち出し、年末までの超大幅な会期延長を求めたようだ。結果、退陣時期はおろか、会期延長の幅も示すことができない状態が続いている。

3ヶ月以上の会期延長、通年国会が必要と思っていたのなら、内閣不信任案提出前の5月からそう主張すべきだろう。当時は国会での責任追及が継続することに怯え、会期延長はしないと言っていたではないか。

今になって小規模2次補正の編成を命じているが、その中身である二重ローンや液状化の問題は、震災直後からわかっていたことだ。規模も2兆円程度なら、もっと早く指示していれば会期中に編成できていただろう。

貴方が唐突に思いついた課題群は、心配しなくても次の総理が、与野党の“熟議”のうえで、必要に応じて実現する。

そのプロセスをスピーディにこなすためにも、今や障害物でしかない貴方は、一日も早く総理の座を降りるべきだ。

それができないなら、貴方は、国家の危機に際し、自尊心のために政治を大混乱させた『平成の暴君』として歴史に名を残すことになるだろう。

【号外】たちあがれ民主党の議員諸君!

私の顔を見たくないのですか? 本当に見たくないのですか…? なら、この法案を通してください」と、満面に笑みを浮かべながら問いかけ、最後はVサインまでした菅首相。その姿を目にして、心の底から怒りが込み上げて来たのは、私一人ではないだろう。

次から次へと新しい課題を「自らの責任でやりたい」と繰り出し、居座りを図る菅首相。「永年議員をやって来たけど、こんな人は見たことない。恥ずかしいなぁ~」との渡部恒三民主党最高顧問の言葉のとおり、見苦しいを通り越し、政治家として見るに堪えない姿だ。

内閣不信任案を詭弁と奇策で切り抜けられてしまった以上、野党には打つ手はない。

まさに制御不能の有様で、政治の恥をさらし続け、国民の政治不信を高め続ける菅直人。
「こうなったら民主党の中でケジメをつけてもらうしかない」と、自民党の伊吹文明氏が言っておられたが…、私も全く同感だ。

今、問われるべきは、民主党の政党としてのガバナンス能力だろう。
党内は百家争鳴状態で、代表と執行部の意思すら乖離していては、もはや政党とは言えないのではないだろうか。

民主党の皆さんは、官邸の瓦礫と化した菅代表を一日も早く処理して欲しい。
それが貴方達の、今果たすべき「未来への責任」だ。

悩ましき日々

朝日28%、毎日24%、読売31%、共同33%。
各社の最新の世論調査による内閣支持率だ。低いことは低いのだが、意外にも前回調査から若干上昇の傾向が見られる。
内閣不信任案を巡って、民主党内であれほどの茶番劇が繰り返されたというのにどういうことか? 総理がかわいそうという、判官贔屓だろうか?? それとも菅内閣終焉へのご祝儀相場か?? 

アンケート結果への疑問はさておき、「一定のメド」を呪文のように唱え、総理の椅子にしがみ着く菅首相におかまいなく、永田町はポスト菅に向けに走り出した。

誰が日本の新しいリーダーになるのかはあえて予想しないが、私は、これからの指導者には3条件が必要だと考える。
第一に「与野党を問わず、幅広く信頼を得られること」
第二に「私利(党利)私欲を捨て公に尽くせること」(個人的な人気取りを狙った、場あたり的パフォーマンスはもってのほかである。)
第三に「政策に通じ、官僚機構を使いこなせること」
もっとも、民主党が解党しない限り、新しい代表が首相になるのだろうから、まずは「民主党内を掌握する力量があること」が第一か?(これが最も難しいのかもしれない…)

新総理選出後の与野党協力のあり方についても、大連立か、閣外協力か、という議論が展開されている。
大連立ということなら、例え、震災復興に限定すると言っても、最低限、外交や安全保障に関する政策合意が無くては対外的に説明できないだろう。
閣外協力にしても、膨大な復興財源確保のために、せめて“ばらまき4K政策”は放棄してもらわねばなるまい。

しかし、大連立か閣外協力かはともかくとして、大事なことは、今回の政策協議が成立すれば、「衆参ねじれ国会の下での政策合意の枠組み」が形作られるということだ。
安倍政権以降のねじれ国会は、日本の政策運営を大きく停滞させてきた。福田政権時の日銀総裁人事、道路財源の暫定税率に関する民主党の理不尽な対応は、その最たるものだ。
二院制を採用する国家は多々あり、必ずしも両院の多数派が同一とは限らない。現在のアメリカのように、大統領の支持母体と議会の与党が異なることもある。しかし、各国とも知恵を出して着実に政策を取りまとめ、実行している。

今、我が国の政治が為すべきは、新しい時代の政策合意形成システムを構築することだ。
政策課題は震災復興のみではない。社会保障制度と税制の一体改革、沖縄の基地問題をはじめとする安全保障問題、TPP加盟をめぐる通商政策、原子力のあり方を含むエネルギー政策等々、あらゆる政策議論を進めるためにも、与野党協議の枠組みが必要だ。

昨年の参議院選挙後から、私は一貫して社会保障制度の見直しをテーマとした「与野党協議」とその前提として民主党マニフェストの凍結を主張してきた。
それが安心社会を実現し、次世代へ負担を先送りしないための「未来への責任」と考えたからだ。

「遅すぎる!」と言いたいところだが、日本の将来を左右する政策課題について、与野党が同じ席に着き、前向きの議論を繰り広げることは、大いに歓迎したい。
もっとも、与野党協調が進むほど遅くなるのは総選挙。ベンチで出番を待っている私としてはいささか悩ましいことではある‥‥。
しかし、それは昨今の永田町の姿にいらだつ日本国民の政治不信を思えば、小さな悩みなのかもしれない。

永田町劇場

ご承知のとおり、先週、内閣不信任決議案をめぐる政治ドラマが演じられた。

「小沢氏、不信任案賛成。新党結成も視野」「鳩山氏、賛成を表明」
これらが採決当日、2日の朝刊のヘッドラインだ。民主党が分裂し、不信任案が可決される可能性も大きいと予想される展開となっていた。

ところが、その午前中に菅・鳩山会談が行われ、「総理の早期退陣」を条件に両氏は党分裂を回避することで合意? 事態は急転、不信任案は大差で否決された。

ところがところが、否決されるやいなや、少しでも長く居座りたい菅総理と少しでも早く引きずり下ろしたい鳩山氏が、退陣時期について議論を始め、民主党内で「言った」「言わない」の茶番劇が繰り広げられた。

「一定のメドとは?」をテーマとする数日の論争を経て、総理退陣までの幅はかなり縮まり、今のところ「今月中から遅くとも8月まで」となったようだ…。

今回の不信任騒ぎには国民から非常に厳しい意見が寄せられている。残念ながら、国民の政治に対する不信感はピークに達してしまった。

「早期退陣を条件とした、不信任否決」という一応の結果が出たからには、これ以上、政局を長引かせてはならない。
退くと決めたのなら、菅総理は一日も早く退陣すべきだ。
そして、与野党が心を一にして国政に励める体制を築かなくてはならない。

ただ、鳩山・菅両氏の合意事項のうち、①復興基本法の早期成立(=既に修正案が与野党ほぼ合意済み)、②復興の基本方針提案と第2次補正予算の作成への道筋(=マニフェスト政策の検証が前提)、くらいは総理退陣の花道にしても良いだろう。
なぜなら、これらの手続きの間に菅総理辞任後の政治体制を考えなくてはならないからだ。

そもそも私はこの時期の展望無き不信任案提出には反対だった。
可決されたとしても、被災地の状況を考えると解散総選挙という手法はあり得ない。とすれば、不信任案提出前に、内閣総辞職後にどういう枠組みが必要かを思い描いておく必要があった。
共産党に指摘されてしまったが、「菅総理ではなければ誰でもいい」では無責任の謗りを免れないだろう。

たとえ民主党が分裂したとしても、「マニフェスト厳守」を主張している小沢グループとの協力体制はあり得ない。
であれば、誰となら組めるのか? 

国難打開への挙国一致体制が、今、日本の政治に与えられた命題であるなら、まず、自民党が、震災復興、社会保障、安全保障、外交通商等についてのビジョンを提示し、志を同じくする他党議員を募るべきだろう。
民主党に政策立案能力、政治理念が無いのであれば、我々、自民党が具体的政策を描き、それを実現する政治体制をも国民に明確に示さなくてはならない。

ところで一連の動きの中で、改めて気になったのが菅総理の総理としての責任感だ。
まず、不信任案提案前に菅総理の周辺から「可決されたら総理は解散をすると言っている」との情報が流れたこと。
選挙基盤が弱い新人議員に対する脅しだろうが。(事実、民主党の新人議員は「総理は解散されますかねえ?」と心配気に私に聞いていた。)「解散」という言葉を自党の議員への脅しに使うということは、選挙を行えば自らの党が敗れるということ=政権が国民の信を得ていないことを自覚しているということだ。
まさに政権の延命しか考えていないと言われても当然だ。

メディアがどう言おうと「国難の時にあって、政党の垣根を取り払い、挙国一致で臨まなければいけない」と、ほとんどの国会議員が考えていると私は思う。
そして、「菅総理が辞めれば、障害は払拭され、一応の体制は整うのではないか」と、自民党や公明党議員の親しい友人のほとんどがそう考えている。

菅総理自身がこれまでの政権運営で作りあげた不信感こそが、与野党協力が整わない最大の原因なのだ。
それを総理が自覚していなければ、いくら言葉で反省の弁を述べてもこの先も同じ間違いをくり返すだろう。
今すぐ総理が辞任されることが、被災地のため、そして日本のためにもなる。