国民統合の象徴

昨日、4月29日は「昭和の日」。「みどりの日」と呼ばれた時期もあるが、私たち団塊の世代にとっては、いまだに昭和天皇の「天皇誕生日」としての意識が強い。
昭和天皇の64年にわたる在位期間はまさに激動の時代と言えるだろう。25歳の若さで第124代天皇として即位、平和を願いながらも米英との開戦を余儀なくされ、そして、焦土の中で終戦を聖断をなされた。後半生は象徴天皇として戦後復興の道、奇跡の高度経済成長の道を国民とともに歩まれた。

その昭和の時代が終わり、平成の世となって四半世紀。今、皇室のあり方として女性宮宅を巡る議論が再び熱を帯びてきた。
現在の皇室は、東宮家のほか、秋篠宮、常陸宮、三笠宮、桂宮、高円宮の5家。そのうち男のお子様は秋篠宮家の悠仁(ひさひと)親王のみである。現行の皇室典範に基づくと女性皇族はご結婚されると皇籍を離脱されるルールであり、皇族はいずれ悠仁親王お一人となられる。

このため、一つは喜寿の齢を超えられた陛下のご公務の軽減を含め、皇室活動の安定性を確保するため、もう一つは皇位継承資格者の確保という視点から論じられているのが女性皇族が結婚後も皇室に留まる「女性宮宅」の創設だ。政府でも前者の観点から皇室典範の改正をも視野に入れた有識者ヒアリングが始まった。

「古来、皇位継承が男系で続いてきた歴史的な重み」から男系継承を堅持すべきとの意見も根強いが、私は、しっかりと血統が維持されDNAが継承されるのであれば女帝をも認めても良いのではないかと考える。
今の時代、男系にこだわる必要性は乏しいだろう。現に日本が立憲君主制度のお手本とした英国では、女王エリザベス二世が60年もの長きにわたり在位されており、我が国でもかつては、推古、皇極、持統など8人10代の女性天皇が存在している。

さらに、小泉内閣時代の「皇室典範に関する有識者会議」の議論でも、女性・女系天皇、女性宮家創設に肯定的な意見が多かったように思う。
とは言うものの、万世一系、二千年の歴史を誇る皇室のあり方である。結論を急ぐ必要はない。有識者ヒアリングを含め、国民的な議論の結果に委ねるべきだろう。

それにしても、78歳にして数々の公務をこなされている陛下のお姿には頭が下がる。
東日本大震災の直後には毎週のように被災者を慰問され、去る2月には心臓冠動脈のバイパス手術を受けられたにもかかわらず、わずか1ヶ月足らずで見事に公務に復帰。東日本大震災の一周年慰霊祭にお元気な姿を見せられ、被災地の復興にお気遣いされながら「人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願う」との言葉を賜った。

先週木曜日(26日)には、陛下が火葬を希望され、葬儀や陵も簡素にするように求められているとの発表があった。国民に負担をかけまいというご意志の表れだ。
かまどの煙の逸話(※)で知られる仁徳天皇は「天が君主を立てるのは民のためであり、君にとって民は根本である。だから、民が一人でも飢えるのならば、君は自らを責めなくてはならない」と語られたという。この聖徳は現在の皇室にもしっかりと受け継がれている。

皇室とともに歩んできた「日の本の国」、国民統合の象徴である天皇をいただく国家。その歴史ある国のかたちにふさわしく、天皇陛下が元首であることを明確にし、日本のさらなる繁栄に尽くしていきたい。そのためにも、変化をおそれず、国家元首としての皇室のあり方を論じていくことも必要だ。

※仁徳天皇が高台から遠くを眺めたときに、人家からかまどの煙が立ち上っていないことに気付かれた。「民が貧しいから炊飯ができないのではないか」と心配された天皇は、租税を免除する詔を発し、宮中では徹底した倹約が行われた。その後3年、民の生活は豊かになり、同じ高台から見渡すと、どの家々から炊煙が立ち上っていた。

審議拒否について

先週金曜日(20日)、田中直紀防衛相と前田武志国土交通相に対する問責決議が、参議院本会議で可決された。

田中防衛相は就任して約3か月間、国会答弁などで失言や迷走を重ねてきた。答弁のたびに右往左往し、副大臣や秘書官に助けられる姿に、「この大臣で日本の安全保障は大丈夫か?」と不安に思った国民も多かっただろう。北朝鮮のミサイル発射時の不手際が致命傷となった形だ。

前田国土交通大臣は、15日に行われた岐阜県下呂市長選で、特定候補に対する支援を要請した文書に大臣名で署名し、告示前に地元の建設業団体幹部らに送附されたという事実が発覚。公選法が禁じる「事前運動」と「公務員の地位利用」の2点付抵触する可能性が指摘されている。

両氏の行いとも問責に値することは間違いないが、昨秋の一川氏、山岡氏に続き、こうも問責決議が続くと国民も辟易としているのではないか。
一義的には野田総理の任命責任。すなわち党内融和を優先する余り、適材適所の人事ができていない点にある(特に防衛大臣について)。しかし一方で、問責する野党側も、権利行使のタイミングをよくよく考えるべきではないだろうか。

問責決議が可決されれば、当然、野党は対象閣僚が出席する会議への参加を拒まざるを得なくなる。いわゆる審議拒否で国会が停滞する構図だ。果たして今はそういう政局に引きずり込むべき時期だったのだろうか?

案の定、野田総理は両閣僚を続投させる意思を示し、お二人とも辞任するという素振りもない。したがって、しばらくの間(両閣僚が交代するまで)国会は開店休業状態となり、社会保障と税の一体改革もエネルギー問題もTPP参加問題も、先送りされることになるだろう。うがった見方をすれば、消費税増税法案の国会審議を先送りしたい民主党執行部の策に、自民党がはめられた(乗った)形だ。

しかし、今は国会を空転させている局面ではない。
「決められない政治」に国民の不満が募っている今、「職場放棄」とも言える「審議拒否」による足踏みは何としても避けなければならない。与野党が、駆け引きに終止して国会の停滞を長引かせれば、政治不信は増々広がるだろう。

両大臣が辞任されるのが最も簡単な解決方法だが、それが望めないのなら、自民党としても問責決議可決の体面を保ちつつ審議を進めるための知恵を絞るべきだ。
例えば、両大臣は認めないと決めたのだから、副大臣に委員会等への出席を求め、大臣には一切質問しなければ良い。委員長が指名して両大臣が答弁しても、その発言は無視し、副大臣に再質問すればいいのだ。正規の姿とは言えなくても、審議拒否で停滞するよりはましだろう。

野田総理も消費増税法案の閣議決定前に「今国会成立に命を賭ける」とまで言われている。この大仕事を為すためには、お二人の閣僚を交代させるくらいは小さな問題ではないのだろうか? それとも心の中では自民党の責任で審議が空転するならそれも良しと考えておられるのだろうか? ぜひとも英断を期待したい。

世界は日々刻々と激動している。我が国を取り巻く状況は内政外交とも課題山積だ。政府民主党も自民党も、つまらない面子に拘わって、内輪の駆け引きをしている暇はないだろう。少なくとも今は日本の舵取りは、あなた方に託されているのだ。

国家基本政策委員会

先週、今国会2回目の党首討論が行われた。消費税関連法案と社会保障制度に関する議論を期待していたが、残念ながら政策の中身に切り込む質問はなく、相変わらずの手続き論の批難応酬に終始した。

この討論の直前になって国対委員長を通して党首会談の申し出があったが、あのタイミングでの会談が実現するとは到底考え難い。相手が拒否することで世論の批判を受けるとの読みが働いてるのだろうが、そんな不毛な駆け引きよりも、一刻も早く民主党内をまとめ、法案審議を始めることが、今、野田総理が果たすべき責任ではないのだろうか?

消費税関連法案に野党の賛同を得ようとするなら、「4年間の任期中には増税はしない。増税をする時には信を問う」との過去の主張について説明責任を果たす必要がある。総理は「次の総選挙でマニフェストの総括はされる」と言及しているが、そんなマニフェストでは投票の判断指標に成り得ない。
「消費税が上がるのは2014年4月なのだからマニフェスト違反ではない」などと苦しい言い訳をするのではなく、「増税しなくても、財源はあるんです」と誤まったメッセージを送り続けたことについて、しっかりとケジメをつけるべきである。

何度もこのコラムで言及してきたが、「税と社会保障の一体改革は、どの政党が政権を担っても避けて通れない課題であり、国の財政情況を考えれば先送りできない。」との主張に異論はない。消費税を当面10%にupすることは、自由民主党が一昨年の参議院選挙で揚げた公約でもある。民主党の真摯な反省があれば、我が党も審議入りを拒否する理由はない。

ただ世論調査が示す国民の意見は非常に厳しい。総理は時間の経過とともに増税反対の声が高まっている事実を深刻に受け止める必要がある。
議員定数の削減などの身を切る努力が一向に進展しないことも理由だろうが、消費増税ができれば財源はわき出てくるような気分になって、ムダの排除どころか整備新幹線や高速道路など自民党政権が凍結した公共事業まで次々と復活していることも、厳しい評価を招いているのではないだろうか。

それにしても「嘘の片棒を担ぐつもりはない」との谷垣氏の発言に、野田総理が「郵政民営化したらバラ色の世の中になると言っておられたけど、ならなかったじゃないですか?」と反論したのは、聞くに堪えなかった。
政策の成果は思うように実現しないこともあるが、それは結果論であり「嘘」をついた訳ではない。それを曲解し「自民党も嘘をついたことがあるから、民主党にも嘘をつく権利がある」かのごとく口答えすることが政策の総責任者のあるべき姿だろうか?マニフェストは国民との約束だ。猛省を求めたい。

谷垣氏も「政治生命を賭ける」との意味を改めて問うなど、手続論に終止するのでなく、当面する政策課題について政府の姿勢を質し、我が党の主張を発信すべきだ。
政策議論が始まれば、困窮するのは党内不一致の民主党なのだから。(ただ、自民党が必ずしも一枚岩になっているとも言い切れないが…)

もう一つ、喫緊の課題である大飯原発の再稼動について何ら言及が無かったのも残念だ。これは福井県のみの問題ではなく、我が国のエネルギー政策を左右する重要課題であり、避けては通れない道だ。
未だに設置されていない原子力規制庁、遅すぎる安全基準の設定、早すぎる基準適合の判断、地元自治体に責任を丸投げするかのような手法等々、追求すべき問題点はいくらでもある。しっかりとした国政の判断を問い質すべきではなかったか…

党首討論の正式名称は、「国家基本政策委員会」。次の機会には、この名にふさわしい政策議論を展開してもらいたい。

桜花爛漫

寒波の影響で北上が遅れていたサクラ前線だが、4月に入りようやく本州にたどり着いた。先週の土日は久々の晴天に恵まれたこともあり、東京では満開の桜の名所が多くの人出で賑わったようだ。世界遺産姫路城でも観桜会が始まったが、こちらはまだ5分咲き程度、播州での見頃は次の週末になりそうだ。

日本を象徴する花とも言えるこの“サクラ”だが、由緒ある吉野山のような“ヤマザクラ”の名所はごくわずか。全国の行楽地で花見客を楽しませてくれる品種は“ソメイヨシノ”だ。各地で絢爛に咲き誇るこの花の歴史は意外と浅い。

ソメイヨシノが生まれたのは、江戸時代の後期のこと。江戸の町外れの染井村(現:豊島区駒込)の植木職人たちが、エドヒガンとオオシマザクラを交配して生まれた品種と言われている。その種子は芽を吹くことが無く、接ぎ木によって増やされる一種のクローンだ。
葉が出るより先に花が咲くというエドヒガンの特色と、大きな花ビラが密生するオオシマザクラの特色を併せ持つこの種は、満開時の華やかさから明治時代に全国に広がり、海外にも輸出された。ワシントンDCのポトマック河畔を飾るサクラも、明治の終わりに東京市から贈られたソメイヨシノである。

異なる種の花粉とめしべを人為的に結びつけ品種改良を行う、いわゆる人工授粉は数千年前の古代から行われてきた科学技術だ。江戸の職人たちが意識したかどうかはともかく、今風に言えば、遺伝子組み替え、バイオテクノロジーを駆使した品種改良である。

花粉といえば、先日、兵庫医大の研究チームが花粉症の原因物質が「インターロイキン33」というタンパク質であることを特定したという報道があった。基礎研究の段階であり、特効薬の開発には、まだまだ時間がかかるだろうが、国内だけでも2千万人が悩まされている症状の根本的な治療に繋がる大発見だ。

こういったバイオテクノロジーを進化させる装置がもうひとつの「SACLA(サクラ)」、先月も取り上げたが、播磨科学公園都市(上郡町)で運用を開始したばかりのX線自由電子レーザーである。この最新鋭装置の仕組みの解説は、理化学研究所のサイトを参照いただきたいが、いわば分子レベルの動きを見ることができる顕微鏡といったところだ。

創薬(薬の構造デザイン)にしても、遺伝子組み換えにしても、つい最近までは直感と経験に頼るところが大きかった。それは遺伝子やタンパク質の構造や動きを直接見ることができなかったからだ。それが、Spring-8やSACLAの開発によって研究環境が大きく変わってきている。
今後、秋に本格稼働する世界最速のスーパーコンピュータ「京」と組み合わせて、バイオテクノロジーの新たな開拓が期待できるだろう。

加工貿易の時代が終わった今、日本が稼ぐ術は知的財産を売ることだ。産学が総力を挙げて、科学技術をはじめとする知恵の力を磨かなくてはならない。ハリマのSACLAも早く研究成果という実を結び、サクラと同じく、日本中に世界中に知られる存在となってもらいたい。

平成24年4月9日配信文

球春

3月21日に幕を開けた第84回センバツ高校野球大会は、早くも明日、決勝戦を迎える。
毎年のことながら、今大会も球児たちのひたむきなプレーが、多くの名勝負を生み、全国のファンに大きな感動をもたらした。
が、今大会で一番感動的なシーンは、ゲームではなく開会式での見事な選手宣誓だったかもしれない。

全国32校から抽選で宣誓の大役を勝ち取ったのは、東日本大震災の被災地から出場した石巻工業高校(宮城県・21世紀粋)の阿部翔人主将。
震災直後の昨年の大会では、創志学園高校(岡山県)の野山慎介主将が、避災地の方々に心温まるエールを贈ったが、今度は被災地の球児から復興への誓いが全国に響いた。

平成23年3月11日、大津波は石巻工業高校のグラウンドも飲み込んだ。いつものように練習をしていた野球部員たちの日常が一変した。部員の7割の自宅が被災し、彼らは3日間学校に取り残された。
震災後の厳しい環境の中で、津波で荒れたグラウンドを自らの手で整備し、支援に送られたボールに書き込まれた励ましの言葉に勇気づけられながら、決して締めることなく練習に励んできた石巻工業の選手達。テレビで放送された一年間の彼等の姿が宣誓の言葉に重なる。

「人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。しかし、日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう日本の底力、絆を。我々高校球児ができること、それは全力で戦いぬき、最後まであきらめないことです。」
歯切れの良い言葉で、しっかりと語られたこの宣誓に、スタンドでテレビの前で、多くの人々が涙した。日本中の方々が、大きな拍手を贈った。

今年の大会では、被災地の中学生が3日目(24日)の各試合前の始球式に招かれるという企画もあった。例年、地元近畿の小中学生に登板の機会が与えられるのだが、主催者の計らいで福島、宮城、岩手の3県を元気づけるために実施されたものだ。
原発事故で自宅を離れ、避難先のいわき市で野球を続けている少年、自宅が津波で全壊した亘理町の少年、グラウンドが仮設住宅で埋め尽くされた大船渡市の少年、それぞれ立派に大役を果たした。次は高校球児となって、ぜひ、甲子園のマウンドに戻って来て欲しい。

始球式と言えば、平成20年3月、私は文部科学大臣として第80回センバツ高校野球大会開会日のマウンドに立った。ただ、私には考えがあって、始球式のボールを一人の高校球児に詫した。
慣例が崩れることを極度に嫌う文部科学省の官僚からは、「恒例のことだから、是非、投げて欲しい」と再三再四要請を受けたが、私は自分の考えを押し通した。
私の投球を期待してテレビを見ていた選挙区の皆さんからはお叱りを頂くことになったが、今でも「あれで良かった」と思っている。
甲子園は、高校球児にとって何物にも替え難いあこがれの聖地だ。その舞台に大臣といえども政治家の始球式は似合わない。

さて、話を戻して今大会。
現時点で、東北の雄「光星学院」(青森)の快進撃が続いている。被災地に感動と勇気と笑顔を届けるために、日本の底力を奮い起こすためにも、東北勢初の優勝を勝ち取ってもらいたいものだ。