秋の夜長に

先週、石原慎太郎東京都知事の国政復帰発表が、膠着状態にある国政に一石を投じた。
石原新党結成は、これまで幾度となく浮上しては消てきた話題であるだけに、予想されていたこととも言える。それでもこのニュースは政界に大きなインパクトを改めてもたらしそうだ。

まず、自民、民主両党に対抗する保守勢力(日本維新の会、みんなの党など)の連携・連合による第三極の構築。そして、それらを起爆剤とした合従連衡による政界再編成への道筋も視野に入ってくるかもしれない。近視眼的には、迷走する民主党の離党者の受け皿となり、臨時国会で内閣不信任案が可決される可能性もある。

何故このタイミングでの旗揚げなのか?
尖閣問題が自らの手を離れたこともあるかもしれない。一部で報道されているように、ご子息の伸晃氏が自民党総裁選に敗れ、目前の総選挙で親子対立の心配が無くなったことも一因だろう。

会見で80歳という年齢について問われ、「まさしく80歳なんだ。何でオレがこんなことをやらなくちゃいけないんだ。若いヤツ、しっかりしろよ!」と語気を強めた。
そう言えば、平成22年の“たちあがれ日本”の結党記者会見でも同じようなシーンがあった。党名の名付け親で発起人の一人として、そして自称・応援団長として出席した石原氏は、「我々は年寄りだが若い世代が持っていない危機感、国に対する愛着を持っている。今の若い人には気概がない」と、記者団を前に檄を飛ばしておられた。
国政の現状に危機感を禁じ得ないという、氏の強い思いがそんな言葉になったのだろう。

今回の石原氏の決起については様々な反応が出てくると思われるが、沈み行く祖国日本の姿を眼前にし、手をこまねいているわけにはいかないとの気持ちが、氏の決断の原動力になったことは間違いない。
「命あるうちに最後のご奉公したい」という言葉には、氏の祖国への思いを垣間見ることができる。少年期に敗戦を迎え、占領下でアメリカンナイズされていく日本に強い憂いを持ち続けて多感な青春時代を過ごした石原氏。彼等の世代に共通した国家観なのかも知れないが、日本的価値観を標榜し、人一倍国を愛する思いの強い石原氏らしい。

一方で、世界に類を見ない経済発展のド真中で、学生運動に情熱を注ぐ青春時代を過ごしてきた団塊の世代は、どんな国家観を育んできたのだろう?
もう高齢者の仲間入りを始めた我らの世代だが、石原氏から見れば「若いヤツ」の範疇に入るのかもしれない…。

「君は今この国の為に何ができるか?」30年以上前に見た映画「二百三高地」のキャッチコピーが私の脳裏を過ぎる。

日本は1980年代、その技術力、そしてその成長力において世界№1の国であった。
しかし、バブル崩壊後の国力は“失われた20年”と言われるように、ますます逼塞し展望が拓けない情況下にある。

政治家は、この国に生きる子々孫々に対して責任を有する職業である。その言動、一挙手一投足は、健やかな未来社会を築く礎とならなければならない。
「今この国の為に何ができるのか? 何をすべきなのか?」
“若いヤツ”の一人として、秋の夜長に、改めてじっくりと考えてみる必要があるのかも知れない。

党首会談決裂!

民主・自民両党の党首選後、秋休み状態になっていた国会だが、先週になってようやく自・公・民の3党党首会談が行なわれた。
しかし、輿石幹事長の「野田総理から、何らか具体的な提案がある」との予告にもかかわらず、残念ながら総理から何ら新しい提案はなく、解散時期を巡る双方の主張はすれ違いのまま、会議は決裂した。なりふり構わず、解散総選挙の引き延ばし作戦に入ったと思われる民主党の対応をみていると、今後も建設的な提案がでてくるとはとても考えられない。

民主党側の対応は全く不誠実なものである。しかし、このまま不毛の口げんかを続けていても膠着した局面は打開できない。国民の政治不信はますます高まり、世界各国からは日本政治の混乱を嘲笑されることになるだろう。
ここは我慢のしどころ。自民党としては、月末にも召集される臨時国会において、審議拒否戦法を放棄し、しっかりとした政策議論を通じて国民に政府与党の不誠実さと無責任さをアピールする方針に切り換えるべきだと私は考える。

まずは、特例公債法案と衆議院選挙の一票の格差是正、そして一体改革関連法案で定めた社会保障制度改革国民会議の設置への対応である。

そもそも特例公債法案は予算案と一体で審議すべきものであり、特例法案が成立していないから予算執行ができないというのは本末転倒だ。両者を切り離して、通しやすい予算案のみを強行採決するからこういう事態を招いている。少々細かい実務論を言えば、この法案が無くとも財務省が短期証券を発行(1年以内の借入)して凌ぐことが可能だと思う。
だが、知恵も工夫もない民主党は、この法案なくしては予算が枯渇すると言い張り、既に国民生活に関わる予算の執行を保留すると言う、国民生活無視の無責任な対応をし始めている。であれば、我々もこの法案を「人質」にするような戦法をとっても効果が薄い。

ただ、予算案に反対した野党が無条件で原案に賛成することは難しい。「24年度予算には無駄があり削減すべきである。無駄な予算を執行するための借金の片棒は担げない」というのが我が党の主張である。3月初めには組み換え動議も提出している。
政府はそれらの点にについて見解を明らかにし、合意形式を図る努力をすべきである。

衆議院選挙の一票の格差問題も、昨日今日出てきた問題ではない。最高裁による違憲判決が下されたのは2011年3月のことである。それから1年半余り、改正案を議論する時間は十分にあったはずだ。自民党は昨秋「小選挙区0増5減」案を提示したが与党は議論に応じず、6月になって突如「0増5減」に「小選挙区比例代表連用制」とう難解な仕組みを加えた法案を国会に提出し、しかも8月に衆議院で強行採決を行った。

制度の根本を見直すような選挙制度改革には相応の時間を要する。それは年単位の時間をかけて計画的に議論するとして、今はまず違憲状態を解消するための「0増5減」を優先すべきだ。

社会保障制度改革国民会議には、議論の期限が来年の8月21日までと法定されている。
充分な時間を確保する為にも早急に会議を設置し、議論をスタートさせるべきだ。
この会議こそが三党合意の成果と言うべき、政策決定の新たな仕組みのひな形である。
来るべき総選挙や来年の参議院通常選挙の結果如何に関わらず、誰が与党になっても野党になっても、政争の具とせず継続して建設的な議論が行われる必要がある。
政権交代により与野党の立場が逆転し、共通の理解の土俵ができた今こそ、新しいルールを定めるチャンスだ。今後社会保障のみならず、外交や安全保障についても国民会議を設置すべきではないだろうか。

この3つの条件が整えば解散を先送りする理由はなくなる。それでも解散を実行しなければ「野田総理は大嘘つき」であることが天下に示される。

デフレ脱却をめざす景気対策、近隣諸国との円滑な外交の回復、逼迫するエネルギー問題への対処等々、日本の行く手には課題が山積している。だが、三年余の政治運営を見る限り現在の民主党政権には、これらの課題への対応能力があるように思えない。一日も早く解散総選挙で国民の手によって政権をリセットする事が求められている。

希望の光

「秋の陽は釣瓶落とし」。一カ月前までは7時近くまで可能だった街頭広報活動も、今は6時前には終えなければならない。
9日(体育の日)も夕暮れとともに辻立ちを終え、自宅でくつろいでいたところ、TVに“今年のノーベル生理学・医学賞に山中伸弥京都大学教授の受賞決定”のテロップが流れた。
その後の一週間の報道合戦で、「山中教授」と「iPS細胞」の名は、再び全国民の知るところとなった。

筋肉や皮膚など人体を形作る60兆余りの細胞の源は、たった1個の受精卵だ。受精直後はあらゆる細胞になる「万能性」をもつが、これが分裂、増殖し特定の役割を持つようになると元の状態に戻ることはない=老化はすれども受精卵状態に若返りはしないと考えられていた。これに異説を唱えたのは今回共同受賞したイギリスのガードン博士で、1960年代に体細胞の核を卵細胞に移植する方法でクローンの作製に成功した。そして、卵細胞を使用せずに細胞を「多能性を持つ状態に初期化」する技術を開発したのが山中教授である。
これまで「万能細胞」の主役であった胚性幹細胞(ES細胞)は、受精卵を壊して作るため、命の尊厳をおろそかにするのではないかという問題点がある。iPS細胞を使えば、こうした倫理的な問題を回避できる。

山中教授は2006年、マウスの尻尾から採った体細胞に初期化のカギとなる4つの遺伝子を入れることで、iPS細胞を作製した。2007年にはヒトの皮膚の細胞でも成功した。
その報告のため文部科学大臣であった私のところへ来られたのが、同年12月初旬のこと。「この研究が成功した理由は何だったと考えておられますか?」と尋ねたところ、「運が良かったんです」と即座に答えが返ってきた。
「名誉欲のない人だなぁ」というのが第一印象。通常は「できるだけ支援します」と答えるのが一般的だが、その謙虚な人柄に感銘した私は、「全面的な支援を約束致します」とその場で反射的に応じ、年末には文部科学省として5年間で100億円超の研究費を投入する方針を表明した。

iPS細胞の応用範囲は幅広い。なかでも自分の体細胞で損傷した部位を修復する再生医療は、従来の手法では治療が困難な難病に苦しむ方々にとって、夢の治療方法だ。山中教授のもとには難病患者や家族から激励と相談が絶えないという。
私の主催する新世紀政経フォーラムで、再生医療の第一人者である西川伸一先生(理化学研究所)に講演いただいた際、脊髄を損傷し車椅子生活を余儀なくされている方から、「今日のお話を聞いて、いつかまた歩ける日が来ると、諦めずにこれからも希望をもって生きていけます」と感謝されたことを、鮮明に覚えている。

再生医療は未だに現在進行形の発明だ。実用化までには、まだまだ課題も多い。
山中教授も「一日も早く本当の意味の社会貢献と言うか医学応用を実現させたい、させなければならない。そういう気持ちでいっぱいであります」と語り、そして「一日も早く研究の現場に戻りたい」と力説されている。
ストックホルムでの授賞式が終わる12月頃までは、しばらく多忙な日々が続くとは思うが、少しでも早くインタビューや祝賀会の嵐から解放してあげたいものだ。
日本のみならず世界中の難病患者が、一日も早い再生医療の確立を待っているから…。
iPS細胞は、多くの人々の「希望の光」なのだ!

ポートアイランドで進められている神戸医療産業都市構想の中核施設の一つ、「発生・再生科学総合センター」(理化学研究所の機関)では、来年から網膜再生の臨床研究がスタートする。脊髄損傷治療も5年以内に最初の患者に投与できるところまでもっていきたいとのことだ。
こういった取り組みを加速するために、長期持続的な研究開発費の供給と臨床研究分野の一層の規制緩和、さらには知的財産権の国際ルールの確立を怠ってはならない。
この分野で日本が国際競争に勝ち抜くためにも、第二第三の山中教授を生むためにも。

後の祭り

秋の訪れとともに、今年もまた播州路に祭りの季節が帰ってきた。
我が曽根天満宮の秋季例大祭は、10月13、14日。自宅の界隈は数週間前から、太鼓や囃子あわせの音で充ち満ちている。町内の通りのそこかしこに、提灯と紙垂(しで)飾りがつけられ、否が応でも祭り気分は盛り上がる。

曽根天満宮の由緒は、延喜元年(901年)、菅原道真公が冤罪で九州大宰府に流される途中に、伊保の港から曽根の地を訪れ、日笠山の山上で「我に罪無くば栄えよ」と祈って小松を植えられたことによる。今から千百年前のことである。

お社の祭事は室町時代初期から始められたと言われるが、今のように締込み姿の若い衆が絢爛たる屋台を練り歩くようになったのは江戸時代、天保年間(1830~1843年)の頃からのようだ。播州地方のどこの社も同じような歴史を持っているだろう。我らが故郷の秋祭りは、ざっと200年間、毎年毎年、連綿と練り続けられてきたのである。

一方の我が国の政(まつりごと)の状況はどうか? 自民、民主のダブル党首選も終わり、それぞれ新執行部が誕生し、政府は第3次野田改造内閣が発足した。体制が整い「いざ、総選挙か」、「臨時国会の論戦開始か」と思いきや、永田町は未だに閉店状態が続いている。

臨時国会の召集どころか、未だに与党から党首会談の呼びかけさえ行われていない。原発の是非をめぐるエネルギー政策も、領土を巡り紛糾するアジア外交も、消費税引き上げのためにも必要なデフレ対策も、いずれも中途半端で方針も定かでないまま放置されている。

その上許し難いことに、重要閣僚の一人は「法案審議の目処がたたないなら、国会を開く意味がない」と言い放ち、民主党内からは「臨時国会を開けば解散に追い込まれるから、開かない方が良い」との不謹慎な声が聞こえて来る。与党民主党の立ち居振る舞いには、国民そっちのけの「保身」しかないように思える。

野田総理や民主党幹部が、“国民生活に重大な影響が及ぶ”と言っていた赤字国債発行による「特例公債法案」の成立を先送りしてでも、 “近いうち解散”を避けたいと考えているのなら、政権与党として無責任極まりない話だ!

総選挙を前にして、新たな政策集の取りまとめもままならず、離党者が後を絶たない民主党の姿は、選挙のために集合した烏合の衆であることの証明だ。
わが自民党は、もう重要法案を人質とした審議拒否や、大臣の不始末を指摘した問責といった姑息な手法を用いる必要はない。

淡々と必要な減額補正を伴う「特例公債法案」の採択や、一票の格差を是正する「衆議院の選挙制度改革」、「社会保障制度改革国民会議」の設置などの諸懸案事項を審議処理した後に、堂々と重要政策の論戦を仕掛ければよい。PKO五原則のあり方といった安全保障政策、TPP参加を巡る通商政策、原発再稼働の是非を含むエネルギー政策、何をネタにしても政府民主党は内部対立を来たし、自壊するだろう。

避けるべきは、決められない日本の政治が続き、いたずらに国力を損なうことだ。今、政治家が政(まつりごと)を私し、政治に対する国民の不信感や政治離れがこれ以上進めば、日本の将来に進歩と繁栄の絵図は描けない。

さて、次の週末はいよいよ曽根の祭りの本番。5年ぶりの土日開催となり、当然、例年以上の賑わい、盛り上がりを見せるに違いない。
願わくはこの祭りの季節が終わるまでに、正常な国会運営をスタートさせて欲しいものだ。政治不信回復の手だてが「後の祭り」にならないように…。

国民政党、途半ば?

激戦となった自民党総裁選は、安倍晋三元首相が決選投票で石破茂前政調会長を破り、第25代総裁に選出された。総裁経験者の再登板は初めて。決選投票での逆転は石橋湛山氏が岸信介氏を破った1956年以来56年ぶりとなる。

26日の投開票日、私は、党本部8階のホールで新総裁誕生の瞬間を見守っていた。(とは言うものの、今の私は党員としての一票しか行使できないのだが…。)
開票前から、5人の候補の中では石破氏が一位になるだろうが、議員票のみの決選投票となれば2位の候補が勝つのではないかと言われていた。

それでも、1回目の投票結果発表で、石破氏の党員獲得票が165票(党員票の55%)と読み上げられた時、一瞬、会場がざわついた。
石破氏の地方の党員獲得票が事前の予想より多かったのだ。2位の安倍氏は87票だからダブルスコアでダントツの第一位である。しかし、党員票と議員票を合わせた第1回目の投票では、どの候補も過半数を制することはできなかった。

石破氏は全国各地で150回を超える遊説を重ね、また、TVの討論番組での分かりやすい論説から、地方の党員の人気は高まっている。しかし、派閥に属さない、と言うより派閥解消を唱えているため当然ながら議員票は少ない。
ただ、民意の反映とも言える党員の意向は、各議員も無視できない。2001年総裁選で党員票の圧倒的多数を獲得した小泉氏に議員票がなだれ込んだように、石破氏が党員の6割以上を押さえれば、決選投票で議員の多くが石破氏支持に回るとも言われていた。

石破氏が今回獲得した党員票165票は、決選投票に臨む議員心理にどう影響を与えるか否か? 結果的には微妙な得票数だったと思えた。
思わず私は隣にいた同僚に「この得票だと、ひょっとすると石破が勝つかも知れないね?」と言った。「党員票のこの結果を2回目の議員のみの投票で覆したら、又、永田町の論理と言われるな」とも。彼は黙って頷いていたが…。

決選投票の結果は「安倍晋三君108票、石破茂君89票」。地方の党員と永田町の国会議員の選択はねじれることとなった。
ルールに則り行った選挙なのだから、秋田県連のように結果に抗議するのはいかがなものかと思うが、圧倒的な地方の票数差が2回目の投票で無視されることには確かに違和感を覚える。次回の総裁選挙までに、何らかの形で制度改正を行うべきだと思う。
「永田町の論理でなく国民政党として地方の意見を大切にする…。」3年前に政権を失った時、その原因を総括し反省をした筈なのに。まだまだ教訓が生かされてるとは言えない…。

ともかく、来るべき総選挙に向けて自民党の新体制が整った。安倍新総裁は、野党党首としてのスタートになるが、野党の地位にある今だからこそ、やっておかなければならないことがある。

それは「責任野党」像の確立だ。東日本大震災直後の復興支援策の提案や、我が党が主導した社会保障と税の一体改革に係る三党合意などは、その一つの姿である。しかし、ともすればこの3年間、理不尽な審議拒否、不信任や問責を繰り返す、古い野党的な対決手法も見られてきた。

我が党が野にあっても為すべきことは、常に国民のために政策を議論することである。
そのために、まずは三党合意をしっかりと実現するとともに、一票の格差の是正、特例公債法案などは一刻も早く採決し、そして、山積する課題に対処する政策をどんどん提案していくことだ。「反対のための反対を繰り返し、国会の責務を放棄するのが野党ではない」ということを、次期野党である民主党に示すためにも「責任政党」を目指すべきだ。

この3年間、何故自民党の支持率が上がらなかったのか? もう一度3年前に戻って、自民党をゼロから改革していく必要がある。
「自民党が変わらなければ、日本の未来はない!」と街頭で訴えていた石破幹事長には、
その先頭に立って頑張ってほしいものだ。