自衛権

15日に召集された臨時国会は安倍首相の所信表明演説、そして各党の代表質問も終え、先週21日からは衆参の予算委員会に所を移して、本格的な議論がスタートした。

安倍総理自ら“成長戦略実行国会”と銘打った今国会。政府としては民間主導の自律的な経済成長を加速するため、「産業競争力強化法案」や「国家戦略特区法案」の審議・成立を最優先したいのは言うまでもないが、予算委員会での質疑は多岐にわたる。

福島第1原発汚染水漏水問題から始まり、アベノミクスを中心とする経済政策の成否、加えてTPP交渉内容の経過、また、外交・安全保障政策に関しては司令塔となる日本版NSC(国家安全保障会議)の創設や密接に関連する特定機密保護法案、そして集団的自衛権を巡る安全保障問題等々、議論すべき問題には事欠かない状況でもある。

中でも長らく国会での議論を避けてきた感がある安全保障の課題については、この際しっかりと時間をかけて審議する必要がある。

臨時国会前の10月3日、日米の外交・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)が、初めて東京で開催された。この会議の成果である共同文書には、日米同盟をよりバランスの取れた実効性あるものに深化させるとともに、日本の役割を拡大する旨が謳われている。具体的には、国家安全保障会議(日本版NSC)の設置や国家安全保障戦略(NSS)の策定、防衛大綱の見直し、防衛予算の増額、そして集団的自衛権の行使容認の検討などである。

「集団的自衛権」は国際法の上からも主権国家固有の権利である。そして権利である以上、その行使も可能であると解する。誰しも、親しい友人が他人から襲われ、危機に瀕している時に、平然とそれを見過ごすことはできないだろう。同盟国の危機に際して、共に戦うことは権利と言うよりも責務と言うべきかもしれない。
私は従来の内閣が示してきた「保有しているが行使はできない」という憲法解釈の方に無理があるように思う。ただ、だからと言って解釈変更のみで国家の方針を「保有し行使できる」に改めるのもいかがなものだろう?

集団的自衛権の行使は安全保障の柱とも言える重要方針である。今、それを安直に解釈変更という手法で変更すれば、後々、解釈による再変更を容認することになりかねない。言うまでもないことだが、法治国家である以上、国家の基本原則が時の政権の意向によって恣意的に変更されることは許されるべきではない。この際、少々時間がかかったとしても、最低限、立法措置により変更点を明確にし、そして、できれば憲法そのものを改正し、自衛権について明確な記述を定めるべきだろう。

昨今、北東アジアの軍事的な緊張が高まっている。
巨大な隣国は20年以上にわたって毎年10%以上の国防予算を増額し、軍拡路線を突き進む。この国は、我が領土である尖閣諸島のみならず、フィリピンやベトナムの領土である南シナ海の島々でも軍事的圧力を強化している。朝鮮半島の独裁国家は先軍政治の旗を掲げ、再三にわたる核実験とミサイル発射で周辺国を威嚇して、あまつさえ我が無辜の民を拉致し知らぬ存ぜぬ頬被りだ。そして、準同盟国であるはずの韓国さえも、第二次大戦後の混乱に紛れて実効支配を始めた島根県・竹島での軍事訓練を行っている。

これらの緊張感を解くべく、第一に外交努力が欠かせないのは当然だ。しかし、外交を成就させるためにも、交渉力を高めるためにも、軍事同盟の存在は大きな武器となる。
国民の生命と財産を保護し、領土や領海という最大の国益確保を最優先するために、安全保障の課題について、憲法論議も含め、しっかりと現実的で責任ある議論を展開していきたい。

改革の決め手は国民目線

参議院選挙後、一時は秋の内閣改造が話題に上ったが、結果的には全閣僚が留任した。
政権が発足したのは昨年末。改造となれば大臣の在任期間は僅か10ヶ月となり、いささか短い(私の文部科学大臣在任は10ヶ月であったが…)。10ヶ月では充分に力を発揮することは難しいし、官僚支配と言われている状況にも陥りかねない。

当然のことながら、政権運営上問題がなければ、大臣はできる限り長期間務めるべきだ。一内閣一閣僚という、かつての民主党の主張は正しいと言える。(ただし結果的に民主党政権後半は閣僚ポストのたらい回しが行われたが…)
そして「改造見送り」という今回の選択は正しい判断だ。続投される閣僚の皆さんには、これまで以上の活躍を期待したい。

ただ、一方で、3年3ヶ月の野党時代のツケもあり、自民党内には閣僚適齢期の議員を数多く抱えている。政治の道を進むからには、誰もがポストを望むのも当然だ。閣僚も含めた人事は、政党運営上の難しい課題であり、総裁の腕の発揮しどころでもある。

この秋の一連の人事では、党三役をはじめ主な党幹部も留任し、いささか地味なものとなったが、副大臣や政務官(政府)、常任委員長や特別委員長(国会)については全面的に入れ替えが行われた。
その中で、私は「科学技術・イノベーション推進特別委員長」の任を離れ、新たに自由民主党の「党・政治制度改革実行本部長」に就くことになった。

科学技術政策は私のライフワークである。今後ともこの分野の政策決定に積極的に係わっていくことは言うまでもないが、当面は、党改革・政治改革の実行に全力で取り組む。

一言で党改革・政治制度といっても、テーマは広範に亘る。既に今年の2月に、逢沢一郎前本部長のもとで取りまとめられた実行本部の答申では、「総裁選公選規程の見直し」「候補者選定方法」「予備選挙の実施」「ネット選挙解禁への提言」「派閥問題」「政策立案能力向上対策」「政党助成金要件の改正」「党本部改革」などについて提言がなされている。

そのうち、「総裁選公選規程」は今年3月の党大会で改正が行われ、決選投票に地方票を取り入れる仕組みができた。「ネット選挙解禁」は4月に法改正も行われ、先の参議院選挙から実施されている。一方で、派閥や政策立案能力の問題は、長期間課題とされながら、未だに決定的な方策が見いだせていないテーマだ。

諸外国より「3周遅れ」といわれる国会改革の議論集約も急がれる。既に我が党では、効率的な審議システムへの改善策等を「新しい国会の在り方」として取りまとめている。今後、自・公・民・維新で構成する協議会をスタートし、議論を深める。スピード感を持って結論を得たい。

「民無信不立(民信なくんば立たず)」。課題は多くとも、政治改革の本質は孔子の時代から変わらない。そして、政治への信頼を得るためには、永田町の慣習にとらわれない国民目線に立った政(まつりごと)を行わなくてはならない。

昨年末の総選挙や先の参議院選挙で、我が党にも多くの新人議員が誕生した。これらの新しい議員が日本の政治に新鮮な空気を送り込んでくれるものと期待している。
そして私も、初心を忘れず。同士とともに「ユートピア政治研究会※」を結成した若き日を思い起こし、今一度、理想の政治を求めて改革に挑戦したい。

好天に恵まれた今年の秋祭りも終わり、いよいよ今日から臨時国会が始まる。緊張感を持って審議に臨みたいと思う。

※昭和63年、自民党の若手議員10名が政治改革に挑むべく結成した政策勉強会。

実りの秋 本番!

「これまでに経験したことのないような大雨」や「ただちに命を守る行動を」など、新しい気象予報用語が次々に発信された今年の夏。何よりも“これまでになかった猛暑”が日本列島に猛威を振るったが、まだまだ暑い日があるとはいえ、さすがに彼岸を過ぎると秋の気配も感じる今日この頃である。

実りの秋の到来とともに播磨路に祭りの季節がやってきた。これから約3週間、故郷は今年もまた祭り一色に染まる。すでに我が家(高砂市曽根町)では、夜な夜な屋台の太鼓の練習音が聞こえてくる。

私も氏子の一人である曽根天満宮では、今年は国恩祭(※)の輪番になっていたため、ゴールデンウィークに続き2度目の屋台の練り出しとなるが、やはり盛り上がるのは秋祭りだ。
宵闇迫る境内で、一斉に各屋台の布団屋根にイルミネーションが点灯する。クライマックスの練り合わせでどの町の屋台が威勢よくて強いやら、13・14日の例大祭が今から待ち遠しい。祭り好きの仲間とともに今年も大いに楽しみたい。

さて、祭りが終われば15日からいよいよ臨時国会が始まる。
産業競争力強化法案をはじめ、成長戦略の実現を加速する新規政策群の創設はもちろん、国家安全保障会議設置法案や特定秘密保護法案、公務員制度改革関連法案などの重要法案の審議、加えて通常国会終盤の混乱で積み残した形の電気事業法の改正案の処理も急がなくてはならない。

私のライフワークである科学技術政策の分野でも、平成20年に制定した「研究開発力強化法」の改正法案を提出する方向で、党内議論を進めている。

安倍総理は「日本を世界で最もイノベーションに適した国にする」と繰り返し発言している。その実現への原動力となるのは、研究開発能力のさらなる充実による国際競争力の強化だ。産官学の連携を進める人材流動化、長期安定的な研究開発資金の提供、研究成果の実用化を進める規制緩和等の施策を推進しなければならない。財政当局や規制官庁の抵抗は強いが、その壁を打ち破り、改正法案を提出、成立に導きたい。

通常国会が閉幕したのが6月26日。参議院選挙と5日間だけの臨時国会があったとはいえ、実質的な法案審議は既に3カ月以上休止している。
この間、福島の汚染水問題がクローズアップされ、TPP交渉も年末の決着に向け最終段階に入っている。
課題は山積しているが、スピーディーな議論を展開し、決められる政治の実現に努力しなければならない。

※国恩祭…江戸時代末期の天保年間に起こった大飢饉(1830年代)に由来する。飢饉による人心荒廃を憂いた加古(旧・加古郡)と伊奈美(旧・印南郡)の神職が集まって、「祓講」という組合組織を結成して、郷土の繁栄と安泰を祈願する臨時の大祭をおこなったのが始まりと言われている。毎年5月に旧加古郡と印南郡の22の社が2社ずつ輪番で務め、11年に一度当番となる。