会期末

日本年金機構の個人情報流出問題で審議の日程が大きく遅れた「労働者派遣法改正案」。紆余曲折を経て先週末19日(金)の衆院本会議で自民、公明などの賛成多数で可決され、参院に送付された。

同日、本会議場で委員会審議の結果を報告する渡辺博道厚生労働委員長の首には、コルセットが痛々しく装着されていた。ご承知のとおり10日の委員会室入室時に繰り広げられた格闘の証である。民主党の徹底抗戦による大混乱のシーン、腕力で委員長の入室を阻止しようとする様は、今や懐かしい55年体制、昭和の時代を想起させた。

あの様子を観た国民の皆さんは、どの様に受け止めただろうか?

民主党の長妻代表代行は報道番組で、「数を背景に強行に審議を推し進めようとする巨大与党に対抗する為には、ああするしかない。やむを得ないこと」と言及していたが、果たしてそうだろうか? 言論の府において、あのような暴行が正当化できると考えているのなら、大きな勘違いだ。

国会では一定の期間内に議論の結論を得るために、それぞれの国会に会期を定めている。今回の通常国会の会期は1月26日から6月24日までの150日。そして、原則として会期終了と同時に審議中の議案はすべて廃案となる。

このため従来から会期末が近づくと、野党の戦術として、政府案を廃案に追い込むため、または政府与党から譲歩を引き出すために様々な手法が駆使されてきた。消費税導入や年金制度の改正など、与野党が激突した法案の採決時には、必ずと言って良いほど議事妨害が行われた。ある意味、国民の皆さんに野党の存在意義を示すための演出として、抵抗のための抵抗を行うのが常態化していたとも言える。

委員会室前でのピケ(入室妨害)や、採決投票時の牛歩(投票に著しく時間をかける)や牛タン(フィリバスター:演説を長時間続け審議を妨害する)といった行為だ。時に乱闘(見える?)と思える場面もなかったとは言えないが、今回の様に負傷者が出るような案件は体験したことがない。

私自身も若い頃に何度か乱闘場面に巻き込まれた(国対の命により参加させられた?)こともあったが、当時はけが人を出すようなことは決してなかった。乱闘を是認するわけではないが、一種、国会審議に花を添える演出のような行事として、当事者間に暗黙の了解があり、自制力が働いていたのだ。

しかし今回の事案は様子が違う。現に負傷者を出してしまい、さらに公党の責任ある立場の者が暴力沙汰を恥じない物言いを行っている。谷垣自民党幹事長が、「言論の府が力をもってそれを封じようとするやり方」を「旧態依然だ」と言っておられたが、全く同感である。

与党=自民党と野党=社会党が長期固定化していた55年体制は遠い昔。今や与野党の政権交代が実現する時代である。政権を担う意志がある責任政党は、日本の課題を解決するための現実的な政策を“提案”し、“議論”することにより政策実行力を証明しなくてはならない。自党の存在を示すための「反対のための反対」は許されず、ましてや「暴力行為」はもっての外だ。

今週24日には第189回通常国会の会期末を迎える。多くの重要法案を審議未了で廃案にすべきか? 会期を延長し、しっかりと議論を重ね成案を得るべきか? 国民への責任を果たすために選択すべき道は自明だろう。

今日22日には会期延長の手続きが予定されている。すでに19日、自民党国対は各議員に月曜午後からの “禁足令”を出した。野党の対応次第では長い夜になるかもしれない。

町村信孝先生

「前衆議院議長、町村信孝先生が急逝された」。

1日の夕刻、上京された生嶋高砂市議会議長と「地方創生に関する勉強会」についての打ち合わせの最中に、その訃報が届いた。

町村先生は、日比谷高校、東大を通じラガーマンとして鳴らし、ゴルフ、テニスとスポーツ万能と言われていた方だったのだが病魔には勝てなかった。衆議院議長を僅か4ヶ月の在任で無念の辞任を決断されたのが4月21日。それから僅か一ヶ月余り、健康回復にむけ頑張っておられると思っていたのだが・・・。残念でならない。

翌朝、ご自宅に伺いお顔を拝見させていただいたが、特にやつれた様子もなく、今にも目を覚まされるようなお姿。奥様の「渡海先生ですよ!」と耳元で何度も呼びかけられる声に、私は込み上げてくる思いを抑えることができなかった。

町村先生との出会いは、初当選した1986年(昭和61年)に遡る。清和政策研究会(通称:清和会、当時の福田派)の1期上の先輩で、兄貴分として公私にわたって随分お世話になり、可愛がっていただいた。

当時の清和会の1期先輩には、中川昭一(故人、元財務相)、尾身幸次(元財務相)、北川正恭(元三重県知事)さんなどがおられたが、その錚々たる先輩方の中でも町村先生は一際秀でた論客で、聴衆を魅了する演説に定評があり、「将来の日本国社長(総理総裁)候補」の一人と早くから目されていた。通産官僚の経験で培った実務能力を発揮され、文相、外相、初代文科相、官房長官などを歴任、党内随一の政策通として長らく国家運営の中枢を担われてきた。

5日午前に青山斎場で営まれた自民党・町村家の合同葬儀で、葬儀委員長を務めた安倍総理からは、「私にとって兄のような存在だった。常に国家の屋台骨を支えてきた偉大な政治家を、私たちはまた一人失った」と、気持ちのこもったお別れの言葉があった。志半ばで逝った先輩を思う無念さがひしひしと伝わってきた。

私自身も福田康夫内閣で文科相として初入閣した当時、官房長官の重責を担っておられた先生から、“大臣としての気構えや姿勢、組織運営の要諦”など、親身になってご指導いただいたこと。また、町村先生ご夫妻と私ども夫婦4人で北アフリカのモロッコ、チェ二ジアを旅行したことなど、走馬灯のごとく脳裏をよぎり、改めて胸の詰まる思いが込み上げてきた。

町村先生の持ち味は、豊富な知識と経験に裏付けされた論理的実践的な思考だった。そして、今国会の開会式では「内政、外交の各般にわたり、すみやかに適切かつ充実した審議を行い、国民生活の安定向上に万全を期す。」「諸外国との相互理解と協力を一層深め、世界の平和と繁栄に寄与していかなければならない。」と語られていた。

しかるに今国会、衆院・平和安全保障特別委員会の審議は、あいも変わらず神学論争に終始し、政府側の答弁も論理が一貫しない場面も見受けられる。4日に開催された衆院・憲法調査会では、時計を1年巻き戻すかのような参考人質疑もあった。

国運を左右する課題に対して、与野党が真正面から、“誠実”に“ベストを尽くし”丁寧な議論を繰り広げ、決めるべき時は決める政治を実現しなければならない。