国会審議に思う

3月も早や20日を過ぎ春爛漫の季節が近づいてきた。

新年度も目前に迫り、平成29年度予算審議が大詰め迎えているはずだが、国会では森友学園の国有地払い下げ問題が一向に収束しない。参院の予算委員会をはじめ衆院の財政金融、国土交通、安全保障など他の関係委員会でも、政策課題や法案審議は棚上げ状態だ。

 

16日には、参院予算員会の委員らが豊中市に出向き建設中の小学校を現地視察し籠池泰典理事長と面会した。当日現地で視察団を出迎えた籠池理事長から、「平成27年9月に塚本幼稚園に講演に訪れた安倍総理の昭恵夫人から、100万円の寄付を受けた」との爆弾発言が飛び出した。

 

籠池氏の発言はこれまでも何度も変遷しており、この件についても信ぴょう性は薄い。だが、この発言を受けた形で、23日に衆参両院予算委員会で籠池氏の証人喚問が急遽行われることになった。証人喚問は、正当な理由がないかぎり出頭を拒否できず、虚偽の発言をすれば議院証言法で偽証罪に問われ刑罰の対象となる。

 

そもそも今回の騒動の端緒は、森友学園が国有地を評価額より大幅に安い価格で取得した点にある。まずは売却した財務省が価額低減の理由としている地下埋設物の撤去費用算出根拠の適否を明らかにすべきだろう。そして不適切であった場合には、その行政手続きへの政治家の介入の有無を明確にしなければならない。財務省の売却手続きについては、本来、会計検査院の審査案件であり、その審査を急がせる必要がある。にもかかわらず、国会では同じ質問が手を変え品を変えて繰り返し行われており、すでに多くの時間が浪費されている。

 

また、公文書偽造や公金横領詐欺などの可能性も浮かび上がっているが、これらも捜査当局に委ねるべき事案だ。もちろん国民の疑念には丁寧に説明責任を果たす必要はあるのだが、これ程の時間を割いて国会で論議されなければならないのか疑問に思う。とにかく23日の証人喚問をもって、森友問題が収束に向かうことを望むばかりである。国会は不毛な政局議論の場ではなく、健全な政策論議の場とすべきである。

 

森友問題に加えて国会質疑に多くの時間を費やしているのは、自衛隊の南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の「日報」隠蔽問題である。

防衛省が「陸上自衛隊が破棄した」としていた日報の電子データが再調査により見つかったことで、「防衛省統合幕僚監部が保管事実を隠すよう指示したのではないか」という隠蔽疑惑が浮上した。稲田防衛相は特別防衛監察で真相解明の実施を指示しているが、シビリアンコントロール(文民統制)の綻びをめぐり責任が問われかねない事態だ。

 

さらには、文科省の組織的な再就職斡旋問題では、内部調査により新たに30件超の国家公務員法違反事案を認定し、計60件もの違反事案があったことが報告された。

政府が国民の信頼を失えば正しい行政を執行することができない。霞ヶ関の官僚機構全体に隠蔽体質がこびりついているとすれば、それを浄化する責務は官僚はもとより、行政府の頂点に立つ与党国会議員にもある。我々政治家は、常に行政機構の意識改革に努め、国民の信頼を得るように努めなければならない。

 

あと1週間もすれば桜前線が列島に到達する。今年は関東より西では平年より遅め、関東・東北は平年並とのことだ。内外とも多くの政治課題が山積しているなか、我々国会議員には、ゆっくり花見を楽しむ余裕は望むべくもないが、せめて桜の花が散るまでには国会が政策論議の機能を回復させたいものだ。

国家百年の大計

一般会計総額97兆4,500億円余の平成29年度予算案は、2月27日衆院本会議で可決され、論戦の舞台は参議院予算委員会に移った。

しかし、論戦は政策論議とはほど遠い。文科省の天下り問題、学校法人への国有地払下げ問題といった疑惑の解明が必要ないとは言わないが、本来、予算委員会は当初予算案の内容、各種施策の方向性を議論する場である。野党の皆さんからも施策案を提示していただき、政策についての論戦をしっかりと行っていきたいものだ。

 

今国会で真剣に議論したい課題の一つが「教育の無償化」である。

安倍総理は施政方針演説で、70年前に施行された日本国憲法が普通教育の無償化を定め、小・中学校9年間の義務教育をスタートさせたことに触れた上で、「誰もが希望すれば、高校にも、専修学校にも、大学にも進学できる環境を整えなければならない」と言及した。

 

「教育の無償化」については、各党で様々な提案、議論が重ねられている。

日本維新の会は憲法改正による完全無償化を目指している。民進党も次期衆院選の公約原案で大学までの無償化を検討しているし、さらには共産党もその必要性には賛同している。与野党とも無償化を目指す方向性は一致している。しかし、具体策となると千差万別だ。

 

特に、日本維新の会の提案である憲法改正の要否という点で、大きく意見が分かれている。私の見るところ、自民党、民進党はそれぞれの党内で賛否両論がある。改憲に慎重な公明党や共産党、社民党は改憲の必要性なしという見解だ。

私自身は、改憲は無償化の必要条件ではないと考えている。

 

教育の機会均等については教育基本法第4条に規定されているが、要約すると「国民はその能力に応じて教育を受ける機会を均等に与えられなければならないし、能力以外の事由(人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位、門地)によって教育上差別されない。また、能力がありながら経済的理由によって就学が困難な者に対して、国および地方公共団体は奨学の方法を講じる義務がある」という内容である。

 

これは憲法第14条第1項(法の下の平等)、第26条第1項(教育を受ける権利)の精神を具体化したものである。そして、憲法は第26条第2項で、保護者に普通教育を受けさせる義務と、義務教育の無償化について規定している。これは義務教育の無償を明示したものであり、その他の教育を無償とするか否かについては、法律の規定に委ねられているという解釈だ。

 

現行の義務教育(無償教育)制度は1947年(昭和22年)の学制改革から続いているが、制定当時と現在では教育環境も社会も大きく変化している。

2016年(平成28年)の高校進学率は98.7%、大学進学率は56.8%で、専修学校等を含めた高等教育への進学率は80.0%となっている。キャリア教育の充実など教育の多様性を確保するため、6・3・3・4制の学制そのものの改正を求める声もあるが、まずは無償教育の枠の拡大から始めてはどうだろう。

 

教育の格差は、所得の格差に繋がり、所得格差が教育格差をもたらす。こうして親から子へと連鎖しながら、格差の固定化を招いてしまう。無償化による教育格差の解消は、この問題を解決する有効な手段であり、結果的に労働生産性や出生率も高めるという説もある。まさに、すべての教育の機会均等を実現する無償化は時代の要請であると言っても過言ではない。

 

そのための第一歩として、給付型奨学金制度を導入する予算案を今国会に提案している。この制度をステップに本格的な教育の無償化の実現を検討すべく、今般、自民党教育再生実行本部内に馳浩・前文科相を主査とする特命チームを立ち上げた。

 

教育は洋の東西を問わず「国家百年の大計」と言われる。

この機会に日本あるべき教育の姿について、原点に返って改めてじっくりと考えてみたい。