近況報告

1月20日に召集された第201回通常国会は、150日間の会期を終えて17日に閉幕した。3月以降の審議は新型コロナウイルス問題一色だったが、19日にはようやく社会経済活動の自粛制限の多くが解除され、週末には国民の移動がスタート。全国の行楽地にも人手が久々に戻りつつあるようだ。

東京に禁足状態であった国会議員も一斉に地元に帰省。私も3か月ぶりに自宅に戻った。初当選から現在までの政治生活で、これほど長い期間地元を不在にしたことはなかった。

この間、政府・与党は緊急事態宣言の発出から全面解除まで、刻一刻と変わる感染問題の対応に追われた。

前代未聞の災禍に対して令和2年度の第1・2次補正予算合計で事業規模約234兆円、財政支出約60兆円(真水)という、巨額の予算措置を講じた。ただ、執行面で多くの問題が生じ、世論調査によると国民の約半数が政府の対応に批判的であるようだ。

医療体制や社会規制にも国民の不満が募った。我が国の感染症対策法制では罰則を伴う強制力のある措置が準備されていなかった。国民の自主的行動に依存する「自粛要請」しか行えない政府の対処に、打つ手打つ手が何から何まで間違っているように言われ、「今日の(感染が蔓延している)ニューヨークは明日の東京だ!」との雑言も浴びせられた。PCR検査の実施件数の少なさにも批判の声が集中した。内外の専門家からも検査を増加させるべきだとの指摘も受けた。

それでも日本は感染者の死亡率が世界で最も低い部類に入る。最も恐れていた医療システムの崩壊も免れ、今のところ第一波の感染封じ込めに成功していると言えるのではないだろうか。

最近では「不思議の国?日本」と言われ、世界が日本を見る目が変わってきている。

結果には必ず理由がある筈だ。今後の検証作業により、不思議が納得に変わることを期待している。その為にも記録は正確に残しておかなければならない。

コロナ国会の最終日17日には、私にとって昨年来の懸案“科学技術基本法の改正案”が参議院本会議で可決・成立した。正にギリギリセーフ、きわどいタイミングだった。

科学技術基本法は科学技術創造立国にむけた科学技術振興を掲げ、日本の科学技術政策の方向性や枠組みを示す法律として25年前に制定された。政府はこの法律に基づき1996年度から5年ごとに科学技術基本計画を策定、わが国の科学技術振興に大いに貢献してきた。しかし立法から約四半世紀が経過し時代にそぐわない面が数多く見られるようになっていた。それを修正するための本格的な改正は今回が初めて。当初は議員立法(私も提案者の一人)として成立した法律だったが、今回は政府提出法案として提案された。令和3年度から始まる6期の科学技術基本計画は、新法の下で作成されることになる。

改正の柱の一つは科学技術・イノベーション(STI)の明確な定義づけだ。イノベーションは第3期基本計画以降、その重要度が高まり、現行法とのズレが大きくなっていた。法改正に伴い、基本計画の記述も科学技術者の視点だけでなく、恩恵を受ける個人・社会へと視点が広がる。

あわせて自然科学、人文科学、社会科学の各研究分野のうち、従来の基本法の対象が「人文科学のみに係るものを除く」との規定を修正する。自動運転をはじめ、社会システムの転換を伴う技術革新が急速に進んでいる。この状況を踏まえ、法律や哲学、倫理など人文科学分野の研究も支援していくことを盛り込んでいる。

また、科学技術政策の司令塔機能を強化するため、内閣府に「科学技術・イノベーション推進事務局」を設置し、府省ごとに分かれているベンチャー企業の支援制度などを統一することも検討する。さらに、最先端技術の開発促進にむけて、研究者や事業を創出する人材の確保や育成に取り組むことも新たに掲げている。

コロナ不況からの脱却とともに、党内ではアフターコロナの日本社会のあるべき姿の議論が加速している。既に新スパコン「富岳」の活躍が報じられているように、科学技術・イノベーション政策が重要な役割を果たすことは間違いない。綱渡りではあったが今回の法改正はまさに時を得た改正だったと思う。

今後は、しばらくの間、「第6期科学技術基本計画」の作成に全力投球で尽くしたい。

9月入学

新型コロナウィルス感染拡大防止を目的とする長期休校措置により、突如として政策課題となった「9月入学」問題。これについて検討してきた自民党の作業チームは1日、提言を取りまとめ安倍総理に申し入れを行った。

提言では、「9月入学は国際化への対応のみならず、令和の時代に求められる社会変革・教育改革を実現する契機となり得る」など、その導入意義を認めているが、他方、制度改革には国民的な合意や33本もの関係法律改正が必要であり「今年度・来年度のような直近の導入は困難だ」と結論づけている。

また、子どもたちの学習の機会を保障するために、今年度の就学期間を一定期間延長する特例措置など、柔軟な対応策も検討すべきだとも指摘している。

そもそも今回の議論の発端は、大阪市の公立高校3年、西野桃加さんと中尾微々さんが4月19日、ネット署名サイト“Spring Once Again~日本全ての学校の入学時期を4月から9月へ!”を始めたことだ。2人は、「少しずつ学校開始が延ばされ、本来の学校生活を送れないまま3月に卒業となるよりは、まだ学校生活を全うするチャンスが生まれる」とし、9月入学によりかけがいのない青春を取り返すことができると、訴えた。(入学時期の変更と言うよりも「卒業時期の延期」がその趣旨と思われる)

この呼びかけに同調した一部の知事も、入学時期の9月変更の主張を始め、4月末の全国知事会議でも意見が交わされた。しかし、コロナ騒動に紛れた思いつきのような提案に反対する知事も多く、知事会としての合意形成には至らなかった。にもかかわらず、政府に対して、9月入学制について骨太の議論を行うよう要請がなされた。(その後知事会は「知事会としては必ずしも9月入学導入が前提ではなく、選択肢の一つとして研究する」との見解を表明しているが…)

何れにしても、意見集約ができない時には国に結論を委ね、責任を曖昧にするという知事会の体質が見られた気がする。後になって国の方針に単なる抵抗勢力とならないよう、今から知事としての議論も深めて欲しいものだ。因みにWTのヒアリングで、現場を預かる市町村会の意見は8割強が反対だった。

このような流れを受けて、政府では省庁横断の検討がスタート。自民党でもWT(ワーキングチーム)が設置され、9月入学導入の利点と課題、社会的影響などについて議論が行われた。私もメンバーの1人として皆勤で議論に参加した。

9月入学の議論は、これまでも何度も浮上しては見送られてきた経緯がある。

最初に秋入学が俎上に載せられたのは1980年代半ば。中曽根康弘首相の諮問機関である臨時教育審議会が、大学改革や教育の国際化を目的として秋入学への移行を提言した。

その後、2000年代初頭の森喜朗内閣の教育改革国民会議や第一次安倍晋三内閣の教育再生会議でも同じような議論が行われている。2011年には東京大学が秋入学への移行を検討して話題になったが、結局実現しなかった。経団連などの財界団体も高等教育の春・秋入学を何度か提言している。自民党でも政権復帰を目指して戦った2012年の総選挙では、「大学の9月入学を促進する」と、公約に掲げている。

ただ、いずれも大学のみの秋入学の話題だった。

今回、過去の議論とやや異なっていたのは、高等教育だけでなく初等教育を含むすべての学校の学年歴の変更が検討されたことである。背景に、新型コロナウイルスによる突然の休校、それに続く休校の長期化、また地域間の教育格差の問題があったからだ。

この機会に政治決断すべきとの意見もあったが、最終的に今回の議論では、教育現場の実情を考慮すると早期導入は困難と判断された。

ただ、ポストコロナ社会の教育制度改革において、9月入学は選択肢の一つとして位置づけられた私は考えている。教育は国家百年の計、戦後70年余り続いてきた教育システムの大改革に向けて、幼児教育からリカレント教育まで、幅広い、多面的な視点が必要である。

今後、政府で行われる検討は、欧米の入学時期に合わせるという消極的な国際化対応ではなく、ポストコロナ社会の人材育成の在り方について、わが国の未来を切り拓くための創造的な議論が行われることを期待している。

コロナ対策の議論の舞台は国会に移ったが、党では「新国際秩序創造戦略本保」が設置され、ポストコロナを見据えた日本の未来像の議論が始まった。ポスト安倍を見据えた(?)アフターコロナの勉強会も次々とスタートしている。これらの動きの中でも、改めて9月入学の議論が積極的に行われることを期待している。