今年もまた8月15日がやって来た。戦後65年、65回目の終戦記念日である。
毎年のことであるが、この時期のTV番組には第二次世界大戦に因んだ特集が数多く見られる。
14日(土)、私は「歸國(きこく)」というドラマを見た。
終戦記念日の平成22年8月15日、深夜の東京駅に幻の軍用列車が到着、戦争で玉砕したはずの兵士の「英霊」たちが降りたった。夜明けまでの数時間、現在の日本をさまよい歩いた英霊たちは、今の日本に何を見たのか‥‥というストーリーのドラマである。
戦後65年、日本は世界に類を見ない発展を遂げた(90年代初期からはいささか停滞しているが‥‥)
しかし、ドラマの中で英霊の一人は昔の婚約者に語りかける。
「日本は本当に幸せになったのか?」と
「日本はものすごく豊かになったわ。だけど幸せなのかどうかは分からない。確かに豊かになったけど、日本人はどんどん貧しくなってる気がする。」と婚約者は答える。
夜明け前の東京駅から南の海に帰って行く英霊たちは「今の様な日本を作る為に我々は死んだつもりはない。」という言葉を残していく。
先の大戦で散っていった英霊達は我々に何を託したのだろうか?
どんな日本を創ってほしいと思っていたのだろうか?
そう言えば、しばらく靖国神社に行っていない。
今度上京する際には、ぜひ参拝する時間を作りたい。ひょっとしたら彼等の声が聞けるかも知れないから。
私たち政治家は、常日頃から、日本の礎を築き上げてきた先人の心に思いを馳せ、そして、
彼らの期待に応えられているのか否か、自問を続ける必要がある。
それが、先人への責任を果たす第一歩になるのだから‥‥。
ところで、政治には時間軸でみると3つの責任があると私は考えている。
・この国を築き上げてきた先人に対する責任(過去への責任)
・今を生きる国民に対する責任(現在への責任)
・最後に未来を創る子ども達への責任だ。(未来への責任)
8月15日は、もちろん「過去への責任」を考えるべき日だが、
今の私には、「未来への責任」の方が気になってならない。
持続可能性が疑われる社会保障制度、GDPの2倍近い借金を背負った財政構造。
正に日本丸が沈むかも知れないという危機的な状況下にあって、今の政治は「未来への責任」を果たしていると言えるのだろうか? 疑問を持たざるを得ない。
今は党利党略を捨て、胸襟を開いて超党派で議論し、国家的課題(経済・税財政・社会保障)について、一日も早く結論を導き出すことが、「未来への責任」を果たす唯一の道だと私は考える。
その議論のプロセスは、過去と現在への責任を果たす上でも不可欠な仕組みになるだろうから。