メモリアルデイ

 年を跨いで新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。1月8日に首都圏1都3県に再発令された緊急事態宣言を、14日には栃木、岐阜、愛知、京都、大阪、兵庫、福岡の7府県にも拡大し、11都府県が対象となった。昨春の宣言時と異なり、今回は休業要請などの対応は緩和されているものの、国民の皆さんにとって再び我慢の時が始まることとなった。

 菅義偉総理や関係都府県知事は、国民の協力によりこの難局を乗り越えるべく、懸命に呼びかけている。西村康稔大臣や専門家が新宿や渋谷の大型パブリックビジョンでも道行く人達に必死に訴えているが、今のところヒトの流れはそれ程減っていないようだ。

 人々の行動変容が感染者数の減少として現れるまで2週間程必要なため、今回の対策の結果が判明するのは今週末以降となる。対策の効果が十分でないと判断された場合には、更なる規制強化が求められることになる。

 発足当初7割という高支持率を誇った菅内閣の支持率が、4割前後まで急落している。その主要因がコロナ対策に対する不満であることは明らかだ。「未知のウイルスへの対応は誰がやっても上手くいかない」との見方もあるが、果たしてそうだろうか?何か足りないものがあるのではないのか? 与党の一員として、責任を改めて問い直さなければならない。

 例えば、新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正。通常国会に規制強化策を盛り込んだ改正案が提出される予定だが、遅きに失したのではないか? 党内では、この類の改正の必要性が8月に提起されていたが、個人の行動制限や罰則に対する慎重論があり、事態が深刻化するまで議論が進まなかった。東京都は先日、3ヶ所の公的病院をコロナ患者受け入れ専用病院とすると発表したが、この発想も昨夏に提案されていたものだ。

 今から考えると何故もっと早くできなかったのかと、反省しきりではある。第一波、第二波の感染対策が一定の成果を得ていたので、「そこまでやらなくても」との甘い判断があった。最悪の事態を想定する力が足りなかったものと思う。政治は結果責任を問われる。危機管理の在り方を改めて問い直さなければならい。

 日本の医療体制にも疑問が寄せられている。人口あたりのベッド数が世界で最も多く、感染者数は圧倒的に少ないのに、何故医療が逼迫するのかという点である。当面、目の前の医療崩壊を防ぐ緊急対応措置が先決だが、ある程度事態が沈静化したら、医療資源の配分、特に人的資源の養成と配置について、改めて検証する必要がある。

 今日、18日には総理の施政方針演説をはじめとする政府4演説が行われ、国会での論戦がスタートする。国家像が見えないと言われている菅総理がどんな施政方針を表明し、与野党の質問にどう答えるのか、じっくりと確認したい。

 菅総理にとっては初めての本格的な論戦の場となるこの国会は、正に政権の命運を賭けた勝負の場となるだろう。安倍前総理の突然の辞任により計らずも(?)その座に就いた菅総理ではあるが、ここは国家の最高責任者として覚悟を持って臨んで欲しい。

 昨日は、阪神・淡路大震災のメモリアルデイ。26年前の1月17日AM5:46に阪神淡路地方を襲った大震災は、6千4百余の人生を一瞬にして奪い去った。早朝からのニュースを見ながら、震災からの復旧・復興に駆けずり廻った日々を思い出した。そして当時、「想定外」、「未曽有」という言葉が繰り返し使用されたことも脳裏によみがえった。

 あの時と同じく今も国難の時、危機管理能力が問われる時であることは変わりない。そして、「想定外」を無くし、「未曽有」の災禍に適切に対応することこそが危機管理の本質であり、政治の果たすべき役割であろう。

 26年前の日々に想いを馳せながら、コロナ禍という新たな国難に政治責任を果たすべく、更なる努力を重ねて行きたいと思う、今年のメモリアルデイ(1月17日)である。