「政治改革の嵐、若手議員の会」

さて、再び昭和63年のリクルート事件に話題を戻そう。秋から冬にかけて事件は政界、官界、財界を巻き込む大きなスキャンダルへと発展していた。

ユートピア政治研究会もメンバーが38人と広がり政治改革の勉強会を続けていたが、党にも政治改革の気運が高まり政治改革本部が設置されていた。

本部長は後藤田正晴先生、事務局に武村正義先生が就任した。

武村氏が党の正式機関の役職についたこともあり、ユートピア政治研究会はある意味で、役割を終えた。

しかし党内で政治改革を強く推進するのに運動体は必要とのことで、当選1~2回議員で新たな同志が結集し「政治改革を堆進する若手議員の会」を作った。

会長はどちらかと言うと目立つのが好きな石破茂氏が就任した。

赤坂のビルに拠点を確保し、私達はこの勉強会で議論を重ね組織的に政治改革本部の会議で発言し、党内の議論をリードした。

当時の一期生の論客は簗瀬進(後の民主党参議院議員)・岩屋毅(現自民党衆議院議員)、いずれも後にさきがけの設立に参加することとなった。

政治改革の議論は、金のかからない政治を実現するために

①寄付行為の禁止(公職選挙法の改正)

②公費の導入(政党助成金)

③選挙制度の改正(小選挙区制の導入)

の3点に集約された。

①と②の党内合意は得易かったが、③選挙制度の改正については大議論となった。

選挙制度に完璧なものはない。中選挙区制であろうが小選挙区制であろうが、長所もあれば欠点もある。

それに議員が選挙制度を決めるのは、力士が土俵の大きさを決めるみたいな話でおかしいと私は思っている。

政治改革の議論の発端は政治と金にあった。中選挙区はサービス合戦になり金がかかる。加えて政党助成金を導入するには、同一政党の候補者同志が戦う中選挙区は適当でない。

サービス合戦でなく政策本位の選挙だと小選挙区か比例代表が良い。

但し小選挙区制になると地域の代表は一人しかいないことになるので、より利益誘導が強くなるので地方分権を進める必要がある。

①小選挙区、②政党助成金、③地方分権は一体的に実現しなければならない。

これが我々の主張の要点だった。

平成3年頃、

海部総理は改革を進めようとしておられたが、反対も大きく党内調整は困難を極めた。

「このままでは政治改革は頓挫してしまう」

そんな強い危機感を持った若手議員の会の有志は、総理官邸に押しかけて総理に迫った。

「我々は全力で総理を支えます。改革が党内の反対で立ち行かない時は解散総選挙で国民に信を問うべきです。」

「我々も覚悟はできています。」 仲間の一人が胸のバッチを外して机の上に置いた。

鳩山由紀夫氏であった。

海部総理は「皆さんの気持は良く分かっている。私も覚悟は出来ている」と答えてくれたのだが‥‥

しかし総理は党側の圧力により自らの手で解散することはできずに辞職することになる。

圧力をかけたのは当時自民党副総裁の職にあった金丸信氏であった。

後任の総裁選は、宮沢・渡辺・三塚、三氏で戦われ、宮沢喜一氏が総裁に選出され、第78代総理大臣に就任する。