激震

ご承知のとおり、先週、M9.0の超巨大地震が東北の太平洋沿岸を襲った。お亡くなりになられた多数の犠牲者の方々のご冥福を祈り、また、行方不明の方々のご無事を願いたい。

それにしても、今回の災禍を通じて「津波」の破壊力を目の当たりにされた方は多いのではないか。

私自身、歴史上の出来事として、三陸沖を震源地として何度も巨大地震が発生し、そのたびに大津波の被害が発生していることは承知していた。

しかし、リアルな映像によって、膨大な海水が大河となって“まち”を流れる姿。自動車はおろか家屋をも軽々と持ち上げ、木っ端みじんに打ち砕く模様を見せつけられると、大地の力に対して人間の無力を感じざるを得なかった。

人類は何回も経験している天災をすぐに(数十年という地球にとっては瞬時の時も)忘れがちだ。

阪神・淡路大震災の前までは、京阪神地域が過去に何度も直下型地震に見舞われているにもかかわらず、いつの間にか大地震はプレート型のみといった誤信が通用していた。

今回被災した三陸地方も、1933年の「昭和三陸地震」による津波で数千人規模の大被害を被っている。にもかかわらず、その後の防潮堤の整備で、科学により自然を制御できると過信していたのではないか?津波を甘く見る心が生じていたのではないだろうか?

明治から昭和初期の物理学者である寺田寅彦氏は、関東大震災のような局地的な地震よりも、江戸末期の安政時代に生じた「東海、東山、北陸、山陽、山陰、南海、西海諸道ことごとく震動」する広域震災の再来を懸念し、また、「人間は何度同じ災害に会っても決して利口にならぬものであることは歴史が証明する。……そうして昔と同等以上の愚を繰り返しているのである。」とも言っている。

寺田博士が懸念した愚をこれ以上繰り返さないために、我々は自然の中で生きている小さな存在であると言うことを心に刻み、自然への畏敬を忘れずに生きて行かなくてはならない。

そのためには、今回の大津波の災禍をしっかり“伝える”ことが第一の責務。そして、数多くの尊い犠牲を無駄にしないためにも、災害に強いまちを再興しなくてはならない。さらには、関東から関西までを揺さぶる「東海、東南海、南海連動型地震」をも想定した万全の“備え”にこれまで以上に取り組む必要もあろう。

とは言っても、まずは、東北地方の救助活動と復旧活動だ。

今回の災害による、がれきや泥の量は、近年兵庫を襲った豊岡水害や佐用水害の比ではない。まちの復旧作業には数多くの人手が必要だろう。

災害ボランティア発祥の地とも言える兵庫から、一人でも多くの有志が被災地の再建に駆けつけることを願いたい。

民主党政府の政権運営には大いに不満のあるところだが、今は一時休戦。挙国一致して一日も早い復旧を応援しなくてはならない。