タイ大洪水

いよいよバンコクの水没が始まってしまった。
タイの水害報道は夏場から伝えられていたが、まさか、このように長期をかけて徐々に被害が広がり、一国の首都が為す術もなく機能麻痺に陥るとは考えても見なかった。

アユタヤ地区の工業地帯は、既に半月以上も機能を停止している。最終組み立て工場自体が水没していなくても、部品供給網がズタズタに切り裂かれ、機能回復には相当な時間を要しそうだ。
1985年のプラザ合意による円高以降、タイ国に日本工業村ともいえる産業移転を続けてきた日本企業群には、ユーロ危機に伴う円急騰に続く大打撃だろう。

東日本大震災の大津波や紀伊半島を襲った台風12号の局地豪雨もそうだが、大自然は我々の想定を遥かに超えたレベルで近代文明を襲う。まるで、人の知恵の浅はかさや科学技術の無力をあざ笑っているかのようだ。

タイ大洪水の原因探究は事態が安静化してからじっくりと取り組んでもらいたいが、少なくとも異常気象のみが引き起こした災害ではないだろう。むしろ、多くの部分は人災=地形への配慮を無視した急速な都市開発にあるのではないだろうか。

チャオプラヤ川河口付近のデルタ地帯は、元々広大な低湿地が続く地形だ。372㎞の河川延長で高低差はわずか25m、日本の河川では考えられない低勾配だ。
その沖積平野に大都市を作ってしまった。もちろん、水害に備えるための運河や地中配水管は設けられていたようだが、今回の災禍には焼け石に水だった。
上流部における工業団地造成のための森林伐採は、自然の保水力も低下させてしまったことだろう。
海に向かっての勾配がないだけに、堤防で水を防ごうとすればとてつもない規模の堤防と排水ポンプが必要となる。

かといって、毎年このような水害に見舞われてはたまらない。
「国を治めんとすれば水を、水を治めんとすればその上を治めよ」というのは豊岡市出身で、治水・砂防の神様と呼ばれた赤木正雄博士の言葉だ。
古から急流に挑んできた日本の治水技術、河川土木工学の出番かもしれない。明治以来、我が国の公共事業は安全安心の基盤づくりのために尽力してきた。
産業投資のみではなく、このインフラ技術と理念も積極的に輸出してはどうだろう。

そして、もう一つ大切なのは、人類は自然の中で生かされているという道徳観ではないだろうか。西洋的な発想=科学技術の力で自然を制御するというのは20世紀の思考だ。
東北の津波被災地では、高台移転作戦が大々的に論じられている。確かに自然の高台があるところ、古の民が貝塚を作った高台があれば、そこに住まいするのも良いだろう。

ただ、無理に山を切りひらいて高台を築くと、津波は避けられたとしても山の神の怒りに触れるかもしれない。
これからのまちづくりは、自然への畏敬の心を基本に、災いを避ける発想で進めなくてはならないのではないかと私は考える。